section6『走れ』
降りかかる恐怖に、理屈も判断も通用しない。
本能が告げるままに、ただ“走る”しかなかった──。
今回のセクションでは、ついに“それ”が姿を現します。息を殺して読んでいただければと思います。
橋の裏のわずかな空洞。そこは、まるで世界から取り残された小さな部屋のようだった。
誰もが肩で息をし、喉の奥から擦れた音を漏らす。泥と埃、そして恐怖にまみれた空気が満ちていた。
けれど──耳が、まだ何か音を拾っていた。
足音。遠ざかったはずのそれが、再びこちらへ向かってくる気配。
背筋に冷たいものが走った。
(……戻ってくる。まだ終わってない)
視界が妙に澄んで見えた。空気の流れ、壁のひび、地面の傾斜。すべてが鮮明に頭に入ってくる。まるで身体の外まで感覚が広がったような、そんな違和感。
「ここ…まずい。まだ逃げないと」
俺の声に、誰かが顔を上げた。だが、その顔には疲労と動揺が滲んでいた。
「無理だって……走れねぇよ……」
「もう足が……」
(わかる。けど、それでも)
「頼む、立ってくれ。ここは“狩場”みたいなもんだ。見つかったら──次はない」
這うように出口を探す俺の脳裏には、奇妙な地図が浮かんでいた。見ていないはずの道が、脳内でつながっていく。勘とも予知とも違う、研ぎ澄まされた直感。
「走るぞ! 今しかない!」
俺は飛び出した。コンクリートの破片を踏み、鉄骨を飛び越える。後ろからも誰かの足音が続く。
そして、背後から咆哮。
瓦礫を跳ね飛ばし、異形の怪物が追ってきた。
──ただの逃走じゃ、間に合わない。
風の流れが変わる。陰が伸び、日差しがビルの合間に差し込む。
(……あそこだ)
「右! その路地!」
後ろの誰かが足を取られ、転びそうになる。俺は手を伸ばして引き寄せる。すぐ後ろ、地面を抉る音。
(いける。まだ──生き残れる)
最後の障害、崩れたフェンスの隙間。俺たちは、滑り込むようにそこへ突っ込んだ。
“それ”の手が届く寸前、俺たちは逃げきった。
全員が地面に伏して、しばらくは誰も動かなかった。
「……なんで、そんなにわかったんだよ」
誰かがぽつりと呟いた。
俺は答えず、ただ空を見た。
夕陽の奥に広がる、赤く染まった空。
まるで、世界そのものが俺たちを試しているようだった。
恐怖の正体はまだ曖昧なまま。けれど確かに、“何か”が動き出している。
真の走りは逃げではなく、命を繋ぐ意思の表れでした。




