section3『まだ、生きている』
この世界が夢なら、目を覚ましたい。
だが、冷たい風も、胸を刺す痛みも、すべてが“本物”だと告げている。
現実を受け入れるには、あまりに早すぎる。けれど、俺はもう目を逸らせない。
恐怖と混乱の狭間で、俺は自分の“生”を確かめようとしていた。
どれだけ歩いたのか、もうわからなかった。
瓦礫を踏みしめる自分の足音だけが、この世界に存在する“現実”だった。
風は吹かない。空は静かに灰色に沈んでいた。
けれど、その静寂すら妙に不安だった。
──誰もいない。だが、“何か”がいる気配だけは、消えてくれない。
呼吸が浅くなる。
空気が重く、肺の奥まで冷えた鉛のような何かが沈み込んでいく。
それでも俺は、自分の心拍を数えていた。
(……大丈夫。俺は、まだ動ける。目も、耳も、生きてる)
この世界に来てから、ずっと同じことを心の中で繰り返している。
繰り返していないと、不安に押し潰されてしまいそうだった。
崩れかけた建物の影を通り抜け、瓦礫の隙間を覗き込む。
錆びついた鉄骨が露出し、壁面には爆風のような痕が刻まれている。
でも、そこに“誰か”がいる気配は──やっぱり、なかった。
……いや、違う。
“気配”は確かにある。
それはまるで、透明な視線が背中に絡みついてくるような感覚。
それが何よりも、恐ろしかった。
「……誰か……いるのか……?」
自分の声が、やけに大きく響く。
誰にも届かないとわかっているのに、声を出さずにはいられなかった。
ふと、壁に何かの“爪痕”のようなものが刻まれているのを見つける。
人間の手ではありえない大きさ。指が多すぎる。
しかも深く抉られている。
(一体何が…)
足音を殺すように一歩引いた瞬間、足元の砂利がカランと転がった。
振り返る。
……誰もいない。
それでも確かに感じた。
誰かが──いや、“何か”がそこにいたという気配を。
沈黙が、やけにうるさい。
まるで耳鳴りのように、周囲の“何もなさ”が頭の中で反響してくる。
(見えないのが、一番怖い)
ただの影。空気の揺らぎ。風で動いた布切れ。
そんなものの一つ一つに、いちいち心臓が跳ね上がる。
けれど、自分の足は止まらなかった。
もしここで立ち止まったら。
もしここで座り込んでしまったら──
自分は二度と動けなくなると、本能でわかっていた。
(この世界は、俺を試してる……)
そんな妄想じみた考えさえ、今は現実に思えた。
敵も味方もわからない。ルールも目的も見えない。
だけど、それでも。
「……俺は、まだ……生きてるから」
ぽつりと呟いた言葉が、自分の胸に返ってくる。
誰かに向けたわけじゃない。ただ、自分自身に向けた言葉だった。
その瞬間。
背後で、“何か”が確かに動いた。
それは小さな音だった。
何かを蹴った音かもしれないし、どこかで金属がきしんだだけかもしれない。
だが──“確かに、そこにいた”。
恐怖が喉元までせり上がった。
でも、振り返らなかった。
ただの妄想かもしれない。
今は自分にそう言い聞かせて前へ進む。
足を踏み出す。背を向けたまま、瓦礫を越えて。
次に振り返ったとき、もう何もいなければそれでいい。
でももし、まだそこに何かがいたら──
その時はきっと…
恐怖に押しつぶされそうになりながらも
俺は、前だけを見て歩き続けた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
異世界で目覚めた真が、生きていることを実感する──それだけのシーンですが、彼にとっては大きな一歩です。
まだ何もわからない中で、それでも進もうとする姿を描きました。
引き続きよろしくお願いします。