第73話、絶望と動乱と混沌と。28
遥か先には、何本ものビルが崩れ落ち、都内は真紅の炎に包まれていた。その光景を、唯華は血が滲むほど唇を噛み締めながら眺めていた。この炎こそが、腐りきった日本を焼き尽くし、新しい国を創り出すための業火なのだと、彼女は自分に言い聞かせる。その熱が、唯華自身の体温を奪い去るような冷たさを感じさせた。
「馬鹿な…米軍…!」
唯華は、双眼鏡を強く握りしめ、憎しみに満ちた声で呟いた。彼女の計算が、全て狂った。西日本政府軍を打倒し、日本を統一した後、米軍との交渉に入る予定だった。米軍は、日本の内紛には介入しないという情報を、情報省は掴んでいたはずだった。しかし、それは全て、米軍の欺瞞だったのだ。
「私…私は…」
唯華の脳裏に、半年間の記憶が走馬灯のように駆け巡った。兵器の生産に汗を流す工場の責任者たちの顔、訓練に励む兵士たちの顔、そして、彼女を「ゆい姉」と慕う幹部たちの顔。彼らは、彼女の言葉を信じ、彼女の理想を信じ、命を懸けて戦ってくれている。しかし、その彼らが、今、米軍の圧倒的な火力によって、次々と命を落としているかもしれない。
「私が…間違っていたのか…?」
唯華の心に、深い絶望が忍び寄ってきた。彼女は、自分が背負う使命の重圧に、初めて押し潰されそうになっていた。彼女は、自分自身の無力さを痛感した。たった一人の女子高生が、この腐敗した世界を変えようなどと、傲慢な考えだったのではないか。
その時、彼女の専用端末が震えた。副官・佐藤美咲からの通信だった。
「唯華様、ご無事ですか?東京湾から艦砲射撃が…!米軍の艦隊が、東京に上陸を開始しています!」
美咲の声は、恐怖と焦燥に満ちていた。
「…美咲。私は、大丈夫だ。それよりも、各部隊に指示を出せ。東京にいた部隊を、東京郊外まで撤退させろ。そして、東京にいる国民を、一人でも多く避難させるんだ。特殊作戦部隊の住民避難誘導班に、全力を尽くすよう伝えろ」
唯華の声は、震えていた。しかし、その声には、最高指導者としての使命感が宿っていた。彼女は、絶望に満ちた心に、自らを奮い立たせるかのように、次の作戦を立案し始めた。彼女は、まだ、諦めてはいなかった。
神聖日本帝国の首都、旧東京。かつては世界有数の大都市だったこの街は、今や戦場と化していた。東京湾から米軍の戦艦が、轟音を立てて艦砲射撃を開始した。砲弾が都心の高層ビルを直撃し、ビルはまるで紙でできているかのように崩れ落ちていく。爆発音と、崩壊していくビルの轟音が、東京の空に響き渡る。
「くそっ!艦砲射撃だ!退避しろ!」
特殊作戦部隊長・中村健太が、部下たちに怒鳴り声を上げる。彼の部隊は、情報省のサイバー部隊が事前に把握していた、米軍の攻撃目標から外れた地域で、住民の避難誘導を行っていた。しかし、米軍の無差別な艦砲射撃は、彼らの努力を無に帰そうとしていた。
「こっちだ!こっちへ来てください!」
中村部隊の隊員たちが、必死の形相で市民たちを地下鉄の駅へと誘導していく。彼らの周りでは、ビルが崩れ落ち、瓦礫が舞い、まるで世界の終わりが来たかのようだった。市民たちは、パニックに陥り、我先にと逃げ惑う。
「落ち着いてください!焦らないで!」
隊員たちの声は、爆発音にかき消されてしまう。
その数分後、東京湾から米軍と西日本政府軍の上陸部隊が、次々と上陸を開始した。彼らは、空母から発進した戦闘機や攻撃ヘリの支援を受け、都心部へと怒涛の勢いで進攻していく。
「よし、予定通りだ。東京にいた部隊は、全員撤退したな?」
東京郊外に撤退した神聖日本帝国の部隊を指揮していたのは、総司令官・斉藤隆一だった。彼は、唯華からの直接の指示を受け、東京の部隊を郊外へと撤退させていた。彼の部隊は、すでに東京と埼玉の県境付近に防衛線を構築していた。
「はい、総司令官。東京の部隊は、全員撤退しました。あとは、米軍と西日本政府軍が、東京の市街地まで入ってくるのを待つだけです」
第4歩兵師団長・佐々木隼人が、落ち着いた声で斉藤総司令官に報告する。
「よし。唯華様は、今、どこに?」
「それが…連絡が取れません。ただ、東京郊外のビルの屋上から、作戦を指揮しているとだけ…」
佐々木師団長の言葉に、斉藤総司令官の顔に不安の色が浮かんだ。しかし、彼はその不安を打ち消すかのように、無線機を手に取り、指示を出した。
「航空戦闘部隊に告ぐ!米軍と西日本政府軍が、東京の市街地に入ったことを確認次第、全爆撃機で空爆を開始せよ!目標は、東京の市街地全域だ!」
斉藤総司令官の非情な命令に、佐々木師団長は驚きに目を見開いた。
「総司令官…!しかし、それでは、まだ避難できていない市民が…!」
「仕方ない…!米軍の圧倒的な戦力に対抗するには、これしか手がないんだ!それに、唯華様は、この作戦を立案した際に、犠牲を出す覚悟でいると言っていた…!」
斉藤総司令官の声は、震えていた。しかし、その瞳には、最高指導者である唯華の意思を継ぐ、揺るぎない決意が宿っていた。
その数分後、東京の空に、神聖日本帝国の爆撃機が姿を現した。Su-34や鹵獲したB-52爆撃機が、轟音を立てて東京の空を旋回する。米軍と西日本政府軍の上陸部隊が、東京の市街地に侵入したことを確認すると、爆撃機は次々と爆弾を投下していった。
「…全弾投下!目標、東京市街地!繰り返す、目標、東京市街地!」
爆撃機からの報告に、唯華は、ビルの屋上から、唇を噛み締めながら、ただ涙を流していた。彼女は、自分が下した非情な決断が、多くの命を奪うことを理解していた。しかし、この戦いを勝利に導くためには、この選択しかなかった。
「すまない…みんな…!」
唯華の悲痛な叫びは、爆発音にかき消されていった。東京は、燃え盛る炎と、崩れ落ちるビルの瓦礫に埋め尽くされていく。




