第72話、絶望と動乱と混沌と。27
五月某日、神聖日本帝国は「暁の雷鳴」作戦において圧倒的な優位に立っていた。奇襲は完全に成功し、西日本政府軍は指揮系統を麻痺させられ、各方面で敗走を続けていた。九州、山陰、四国、北陸、東海への同時多発的な上陸作戦は、まさに電撃戦と呼ぶにふさわしいものだった。神聖日本帝国の圧倒的な火力と、兵士たちの士気の高さが、旧体制の軍隊を次々と打ち砕いていく。
総司令官・斉藤隆一率いる九州方面軍は、上陸後わずか数日で九州をほぼ制圧し、福岡市(博多)への進軍を目前に控えていた。各県の西日本政府軍の抵抗は組織的なものではなく、散発的なものに留まっていた。田中慎吾副総司令官率いる山陰方面軍は、中国山地を越え、広島市への進軍路を確保。吉田悟師団長率いる四国方面軍は、四国全土を掌握し、瀬戸内海から本州への上陸準備を整えていた。青木健太師団長率いる北陸方面軍は、内陸部へと進攻し、滋賀県で京阪神方面への突破口を開こうとしていた。そして、村田隆司師団長率いる東海方面軍は、静岡、愛知、三重を制圧し、名古屋市を包囲。残るは、主要都市圏である名古屋、大阪、広島、博多を攻略するのみとなっていた。
最高指導者邸の地下深くにある作戦会議室。神月唯華は、クアトロモニターに映し出された日本地図を満足げな表情で見つめていた。地図上の西日本地域は、神聖日本帝国の象徴である真紅の旗で次々と塗り潰されていく。作戦開始からわずか一週間足らずでの快進撃は、彼女の予想を上回るものだった。
「斉藤総司令官、福岡市への攻撃は予定通り明日午前6時に開始せよ。田中副総司令官、広島市への総攻撃は明後日だ。吉田師団長は、瀬戸内海から姫路への上陸準備を。村田師団長は、名古屋市への総攻撃を明々後日…」
唯華の凛とした声が、各方面の指揮官たちに指示を与えていく。彼女の瞳は、勝利への確信に満ちていた。しかし、その時だった。モニターの一角に設置された、情報省の専用回線がけたたましい警告音を鳴らし始めた。
「唯華様、大変です!」
情報省大臣・山田剛の声が、悲痛な叫びとなって響き渡る。山田大臣の顔は、血の気が失せ、画面越しでもその動揺が伝わってきた。
「何事だ、山田大臣。落ち着け」
唯華は、静かに、しかし威厳のある声で山田大臣を制した。
「は、はい…在日米軍が…宣戦布告をしてきました!彼らの軍事衛星が、日本全土を偵察していたことが判明しました。そして、北海道、東北、北陸、東海の我々の領海に、米軍の艦隊が展開しています!」
山田大臣の言葉に、作戦会議室にいた全員が息を呑んだ。唯華の隣にいた副官・佐藤美咲は、驚きに目を見開いた。
「馬鹿な…米軍は、これまでの戦闘で一切の動きを見せていなかったはずだ。西日本政府軍の行動は、米軍の監視下にあることは承知していたが…まさか、我々が西日本を制圧する直前に、宣戦布告をしてくるとは…!」
唯華は、冷静を装いながらも、心臓が凍りつくような感覚に襲われた。彼女は、米軍の介入を想定していなかったわけではない。しかし、これほどの大規模な介入が、このタイミングでなされるとは、夢にも思っていなかった。彼女は、モニターに映し出された衛星画像を凝視した。そこには、日本海、太平洋、津軽海峡を埋め尽くすほどの米軍の艦隊が映し出されていた。空母、巡洋艦、駆逐艦、揚陸艦…その数は、神聖日本帝国の全戦力を優に凌駕していた。
「唯華様!仙台、札幌、新潟に艦砲射撃が始まりました!さらに、東京湾にも米軍の艦隊が…!」
山田大臣の報告に、唯華の顔から血の気が引いていく。艦砲射撃の轟音が、東京の地下深くにいる彼女の耳にも、微かに届くような気がした。
「東京…だと?馬鹿な…米軍は、我々の主要な拠点を全て把握していたとでも言うのか…!?」
唯華は、絶望の淵に立たされた。彼女が築き上げてきた、この半年間の努力が、全て無に帰してしまうのではないかという恐怖が、彼女の心を支配しようとしていた。
その数分後、西日本全土でも、米軍による同時多発的な攻撃が開始された。名古屋、大阪、広島、博多…神聖日本帝国が制圧寸前まで迫っていた主要都市に、米軍と西日本政府軍が空挺降下、または上陸を開始したのだ。
「各師団長に告ぐ!直ちに攻撃を停止し、防衛線を構築せよ!増援部隊が来るまで、持ちこたえるんだ!」
斉藤総司令官の声が、焦燥に満ちたものに変わっていた。快進撃を続けていた神聖日本帝国の部隊は、突如として出現した米軍の圧倒的な火力と、装備の差に、次々と敗走を余儀なくされていった。
「唯華様、どうすれば…!?」
美咲が、震える声で唯華に尋ねた。唯華は、答えられなかった。彼女の頭の中は、真っ白になっていた。彼女は、半年間の努力が、たった数分で崩れ去っていく現実を、受け入れられずにいた。彼女は、ただ呆然と、モニターに映し出された日本全土が炎に包まれていく映像を眺めることしかできなかった。
最高指導者邸の地下深くから、唯華は東京郊外の30階建てのビルの屋上へと移動した。冷たい風が、彼女のトレードマークである黒い戦闘服の裾を翻す。唯華は一人、双眼鏡を覗き込んでいた。時折、疲労からか瞼の裏が熱くなり、指先で強く目をこする。徹夜続きの作戦立案と、昼夜を問わない指揮で、彼女の体は悲鳴を上げていたが、それを無視する。息を潜めるようにじっと遠くを見つめる。




