第54話、絶望と動乱と混沌と。9
唯華を乗せた輸送ヘリが国会議事堂へと向かう中、腹部の激痛が彼女の意識を揺さぶった。教師のさすまたが食い込んだ傷口からは、止めどなく血が流れ続けている。ヘリのローターが刻む轟音が内臓に響き、その振動が激痛を増幅させる。唯華は、奥歯を噛み締め、小さくうめき声を上げて口元を押さえた。僅かに開いた指の隙間から、鮮血が滲み出る。その血は、彼女の唇を赤く染め、私服の白いブラウスの胸元にも滴り落ちていた。顔色は見る見るうちに青ざめ、額には冷や汗が滲んでいた。呼吸は浅く、荒くなっていたが、その瞳には微塵の怯えもなく、むしろ燃え盛る炎のような決意が宿っていた。
「唯華様!大丈夫ですか!?顔色が真っ青です!衛生班を呼びますか!?すぐに治療を!」
隣に座る美咲が、唯華の異変に気づき、血相を変えて問いかけた。その声には、深い心配と焦りが滲んでいる。美咲は唯華の肩に手を伸ばし、その震える身体を支えようとした。唯華の私服のブラウスに広がる血の染みが、美咲の心を締め付けた。血の生臭い匂いが、狭いヘリの機内に充満し、美咲の胸を締め付けた。
唯華は、美咲の手を掴み、弱々しく首を横に振った。その手は冷たく、しかし確かな力で美咲の手を握り返した。
「あぁ……大丈夫だ。心配するな、美咲。この程度、問題ない。この戦争が終わるまで、私は治療を受けない。この痛みも、私を突き動かす力となる。私には、まだやらねばならぬことがあるのだから……」
唯華の言葉は、かすれながらも、その意志の固さを美咲に伝えた。彼女は、自らの痛みを乗り越え、使命を全うしようとする唯華の姿に、畏敬の念を抱かずにはいられなかった。
「ですが、唯華様……無理だけはしないでください。貴方は、神聖日本帝国の最高指導者なのですから。貴方にもしものことがあれば、全てが……」
美咲は、潤んだ瞳で唯華を見つめた。唯華の決意の固さを知りながらも、その身を案じる気持ちを抑えられない。唯華は、そんな美咲の頭を優しく撫で、再び窓の外に目を向けた。東京の夕暮れの空が、彼女の冷徹な横顔を赤く染め上げていた。ヘリは東京のビル群を縫うように飛び、国会議事堂の威容が徐々にその姿を現し始めていた。唯華は、再び口元を押さえ、ごぼっと音を立てて血を吐き出した。その度に、美咲の顔には絶望の色が濃くなった。唯華の私服のブラウスは、すでに血で赤く染まり、その痛々しい姿は美咲の心を深くえぐった。しかし、唯華はそれを気にも留めず、ただ前を見据えていた。彼女の意識は、すでに眼下に広がる東京の街、そしてその先にある「浄化」の未来へと向かっていた。
ヘリが目的地上空に差し掛かると、唯華は美咲に促され、乱れた私服のボタンを外し始めた。彼女の私服は、洗練されたクールさと清楚さを兼ね備えたデザインだった。上質なネイビーのブレザーは、肩のラインが美しく、身体に沿うように仕立てられている。その下には、パリッとした白い襟が覗くブラウスが着用され、胸元には控えめな銀色のブローチが輝いていた。足元は、光沢のあるシンプルなローファーで、全体の印象は知的な優等生そのものだった。しかし、そのブレザーの下には、漆黒の生地に銀色の装飾が施された、神聖日本帝国軍の軍服が隠されていた。
唯華は、ゆっくりとブレザーを脱ぎ、次に白いブラウスのボタンを外した。その動作一つ一つに、痛みに耐える微かな震えが見て取れた。ブラウスが肩から滑り落ちると、その下から現れたのは、漆黒の軍服のジャケットだった。右肩から胸にかけては、金色の飾緒が幾重にも輝き、威厳を放っていた。漆黒の生地で作られた短めのスカートが身体にフィットしており、そのデザインは、彼女の細身の体躯を強調し、その冷徹な雰囲気を一層際立たせていた。透き通るような黒髪ロングの長い髪には、紫色のリボンが力強く結ばれ、風に揺れている。そして、その戦闘服の左腕には、赤い糸で力強く縫われた「新日本解放戦線」の文字。これらの特徴は、警察や自衛隊にとって、恐怖と憎悪の象徴と化している。彼らは彼女を「悪魔」と呼ぶ者さえいる。
唯華は、私服のスカートとブラウスを脱ぎ捨て、軍服のジャケットを羽織った。その動作は、痛みに耐えながらも淀みがなかった。血で汚れた私服は、無造作に足元に置かれた。軍服を身につけた唯華の姿は、先ほどの女子高生とは全くの別人だった。その瞳は、獲物を狙う猛禽類のように鋭く、全身から発せられるオーラは、周囲の兵士をも圧倒するほどだった。
「これで、準備は整った。美咲、行くぞ。」
唯華は、低く、しかし確かな声で告げた。美咲は、唯華の覚悟を改めて感じ取り、静かに頷いた。
ヘリは国会議事堂の屋上に静かに着陸した。ローターの回転が止まり、耳をつんざくような轟音が徐々に遠のいていく。唯華は、腹部の痛みに耐えながらも、美咲と300人の精鋭部隊を率いてヘリから降り立った。国会議事堂の重厚な建物が、威圧的な存在感を放っている。夕暮れの光が、その石造りの壁に影を落とし、まるで歴史の舞台が始まるかのような厳かな雰囲気を醸し出していた。唯華の足取りは、わずかにふらついていたが、その眼差しは鋭く、一切の迷いを許さなかった。彼女の背後で、兵士たちが整然とヘリから降り立ち、各自の装備を確認する金属音が響いた。
唯華は、血の滲む口元を拭い、かすれた声で指示を出した。その声は、痛みに打ち勝つ鋼の意志を宿していた。
「各隊、配置につけ!首相官邸、議員会館を同時に占拠する!迅速に、そして確実に!抵抗は排除せよ。ただし、不必要な殺生は許さない。我々の『8の盟約』を忘れるな!」
唯華の声は、痛みを感じさせないほど冷静で、兵士たちは瞬時に散開した。第1部隊は国会議事堂本館へ、第2部隊は首相官邸へ、第3部隊は議員会館へと、それぞれ分かれて突入した。唯華は、美咲と共に国会議事堂本館へと向かった。彼女の足取りは、わずかにふらついていたが、その眼差しは鋭く、一切の迷いを許さなかった。
国会議事堂の内部は、静寂に包まれていた。大理石の床に兵士たちのブーツの音が響き、その音だけが不気味に反響する。警備にあたっていた護衛警察官たちは、新日本解放戦線の突然の奇襲に虚を突かれ、あっという間に武装解除されていく。彼らは、まさか日本の心臓部が、これほどまでに容易く侵されるとは夢にも思っていなかっただろう。警備室のモニターには、次々と制圧されていく監視カメラの映像が映し出され、警備主任は絶望的な表情で無線を握りしめていた。唯華の部隊は、音もなく廊下を進み、主要な部屋を次々と制圧していった。本会議場、委員会室、事務室……。国会議事堂の占拠は、象徴的な意味合いが強かった。抵抗はほとんどなく、彼らはまるで幽霊のように議事堂の奥へと進んでいった。
しかし、首相官邸と議員会館では、状況は一変した。
首相官邸では、厳重な警備網が敷かれていた。護衛警察官たちは、突入してきた新日本解放戦線部隊に対し、激しい抵抗を開始した。自動小銃の乾いた音が響き渡り、閃光弾が炸裂する。硝煙の匂いが廊下に立ち込め、壁には弾痕が刻まれていく。
「撃て!撃ちまくれ!一歩も通すな!総理を守れ!」
護衛警察官の隊長が、血走った目で叫ぶ。しかし、新日本解放戦線の精鋭部隊は、訓練された動きで応戦した。彼らは、事前に収集された情報に基づき、官邸内の構造を完全に把握していた。死角からの攻撃、精密な射撃、そして圧倒的な火力。護衛警察官たちは、懸命に抵抗したが、訓練された兵士たちの前に次々と倒れていった。血の匂いが、霞が関の空に漂い始めた。負傷した兵士たちのうめき声と、銃声が入り混じり、官邸内は地獄絵図と化していた。
「首相官邸、制圧完了!首相と内閣官房長官、財務大臣、外務大臣、防衛大臣、そして複数の秘書官を確保しました!抵抗は排除済み!負傷者多数!」
無線から報告が入る。その声には、興奮と達成感が滲んでいた。報告を受けた唯華は、小さく頷き、血の滲む口元を拭った。
同時刻、議員会館でも激しい銃撃戦が繰り広げられていた。議員会館の警備は首相官邸ほど厳重ではなかったが、それでも護衛警察官たちは必死に抵抗した。彼らは、議員たちを守るために、自らの命を顧みず銃を構えた。しかし、新日本解放戦線部隊は容赦なく進軍し、各部屋に立てこもっていた国会議員たちを次々と拘束していった。議員たちの悲鳴と怒号が、会館中に響き渡った。中には、窓から逃げ出そうとする者もいたが、地上に待機していた兵士たちによって捕らえられた。
「議員会館も制圧!残りの国会議員を拘束しました!抵抗は鎮圧!負傷者は軽微です!」
別の無線から報告が入り、唯華は小さく頷いた。彼女の腹部の痛みは増していたが、その表情には一切の揺らぎがなかった。彼女の脳裏には、すでに次の段階への計画が描かれていた。
数十分後、轟音と共に首都上空に新日本解放戦線の本軍が到着した。攻撃ヘリMi-24が低空で旋回し、その機関砲がビルの屋上を掃射する。戦闘機が轟音を上げて上空を通過し、東京の空を完全に支配した。東京は一瞬にして戦場と化した。陸上戦闘部隊の戦車が主要な道路を封鎖し、都庁、警視庁、最高裁判所、東京地方裁判所、そして自衛隊の市ヶ谷駐屯地、練馬駐屯地、霞ヶ浦駐屯地、習志野駐屯地、横田基地を次々と占拠していく。各施設からは、激しい銃声と爆発音が響き渡り、火の手が上がった。東京の全ての治安機関は、完全にその機能を停止した。もはや、日本政府に反撃の術は残されていなかった。街中には、サイレンの音と、人々の悲鳴が響き渡り、混乱の極みに達していた。しかし、新日本解放戦線の兵士たちは、一切の感情を見せず、ただ黙々と任務を遂行していた。
首相官邸の地下会議室では、拘束された首相、内閣官房長官、財務大臣、外務大臣、防衛大臣、そして複数の秘書官や国会議員たちが、顔面蒼白で椅子に座らされていた。彼らの手足は拘束され、口には猿轡が嵌められている。唯華は、美咲を伴い、その中心に立つ。彼女の腹部の傷からは、まだ少量の血が滲んでいたが、その存在感は圧倒的だった。会議室の空気は、極度の緊張と絶望に満ちていた。彼らの目には、恐怖と、そして理解できない現実への困惑が入り混じっていた。
唯華は、情報省大臣の山田剛に視線を向けた。
「準備はいいか、山田。全世界が、我々の新たな夜明けを目撃する時だ。」
山田は、即座にタブレットを操作した。その指先は微かに震えていたが、その表情は真剣だった。
「はい、唯華様。全世界に向けてライブ配信を開始します。回線は確保しました。YouTube、ニコニコ動画、Facebook Live、X(旧Twitter)など、主要なプラットフォーム全てで同時配信します。」
唯華は、静かに頷くと、拘束されている首相たちに歩み寄った。彼らの震える視線が、唯華の冷たい瞳と交錯する。唯華の口元に、微かな笑みが浮かんだ。それは、勝利を確信した者の笑みだった。




