第47話、絶望と動乱と混沌と。2
校舎裏は、夕暮れの淡い光に包まれていた。人影はまばらで、風が梢を揺らす音が、二人の間の沈黙を一層際立たせていた。瑠衣は、唯華の前に立ち、大きく息を吸い込んだ。
「神月さん……俺は、神月さんのことが好きです! 俺と、付き合ってください!」
彼の言葉は、夕暮れの空に吸い込まれるように響いた。唯華は、そのまっすぐな告白に、表情を一切変えなかった。彼女の瞳は、まるで感情を映さない鏡のように、瑠衣の姿を映している。
「ごめんなさい。私は、誰とも付き合う気はない」
唯華の返答は、あまりにもあっさりとしていた。瑠衣の顔から、一瞬で血の気が引く。彼は、この結果を予期していたはずなのに、心の奥底で僅かな希望を抱いていたのだ。
「どうして……?」
絞り出すような瑠衣の声に、唯華は僅かに顔を伏せた。
「私は、元から彼氏を作る気はない。理由は、中学時代のいじめによる心の傷が癒えてないから彼氏を作る気が起きないのと、やらないといけないことがあるから」
「そうか……神月さんって、中学時代いじめられていたんだ……」瑠衣は、唯華の言葉にショックを受けつつも、彼女への思いが募るのを感じた。「なら、僕が助けになるよ! そして一緒に、心の傷を癒していこうよ! あと、何をやる気なの?」
瑠衣は、唯華の心に寄り添おうと、そっと唯華の手に触れようと手を伸ばした。その瞬間、唯華の瞳に、昼間の柔らかな光とは全く異なる、鋭い光が宿った。
「私に触るなぁぁぁあああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
唯華は、瑠衣の手を勢いよく突っぱねた。その声は、これまでの彼女からは想像できないほど、感情的で、怒りに満ちていた。瑠衣は、唯華の豹変した姿に、たじろいだ。
「お前なんかに、私のこの苦しみがわかってたまるか! 来る日も来る日も絶望で……そんな中、私は、絶望の中抗い苦しんできたんだよ! それをお前なんかに崩されてたまるかよ! そうしてできた私の歴史がいとも簡単に託せるわけないだろ!」
唯華の言葉は、まるで胸の奥底に溜め込まれたマグマが噴き出すように、激しい感情を伴って放たれた。彼女の目には、微かに涙が浮かんでいた。
「そして私は、この腐りきった日本をぶっ潰し、いつかこの日本に革命を起こすのが私の夢なんだよ! 邪魔をするな!」
唯華は、腰にしまっておいた拳銃を勢いよく取り出し、瑠衣のこめかみに突き付けた。瑠衣は、唯華のあまりにも常軌を逸した行動に、ただ恐怖で立ち尽くすしかなかった。
「私はずっと耐えてきた。何かに頼ることもせず、そしていつの日か報われることを信じて戦ってきたんだよ! 誰にも託せない、押し付けることも! 踏みにじることも! 笑い飛ばすことも! 美化することも何にもできない人生を! 残酷無比なそんな人生を背負っている私に! たかが告白の二文字の前で消し去られてたまるかよ! そんな簡単に傷が癒えたら今までの悲しみや苦しみや苦労は何だったんだよ! いつも孤独で苦しくて、慰めてくれる人はいたけどそれでもいじめはヒートアップしていく。そんな人生お前は耐えられるか! いつもいつも苦しくて悲しくてそんな毎日を過ごしてきた私の歴史がそんな簡単に癒えるわけないだろ! お前にそんな残酷な過去を背負えるわけないだろ! だからお前みたいな生ぬるい人種は嫌いなんだよ。私は、私の思うがままの世界で神となり、腐りきった家畜どもに絶望を刻み込むんだよ!」
唯華は、感情的になって声を荒げ、頬を伝う涙が夕焼けに照らされてキラリと光った。その目は、憎しみと悲しみが混じり合い、まるで深淵を覗き込むような暗さを帯びていた。
瑠衣は、唯華の尋常ではない様子に、どうにか言葉を絞り出した。
「少し落ち着こうよ! 神月さん!」
瑠衣の言葉は、唯華の激情をさらに煽った。まるで、理解しようとしない他人事のようなその言葉が、唯華の心の奥底に眠る怒りを呼び覚ましたのだ。
「いつかわかるさ。私がやりたかったことが。いつの日か神の座を手に入れたら見せてやるよ! その時に私の考えが間違っていなかったと誰かに肯定されるのが最終目標なんだよ! それを実現するにはお前じゃ不可能だ! さようなら。永遠に」
唯華は、そう言い放つと、迷いなく引き金を引いた。乾いた銃声が校舎裏に響き渡り、瑠衣の身体が音もなく崩れ落ちた。彼の瞳は、恐怖と、そして理解できない唯華の狂気を映したまま、虚空を見つめていた。
それから2日後、氷雨瑠衣の遺体は新日本解放戦線によってコンクリート詰めにされ、東京湾に沈められた。
夜の東京湾。波の音が闇に吸い込まれていく中、唯華は船の上に立っていた。冷たい潮風が、彼女の新しいショートボブの髪を揺らす。彼女の隣には、副官として任命されたばかりの佐藤美咲が、静かに立っていた。美咲の表情には、唯華に対する絶対的な忠誠と、かすかな緊張が入り混じっている。
クレーンで吊り上げられた、無機質な灰色のコンクリートの塊が、ゆっくりと船縁から水面へと下ろされていく。それは、瑠衣の最後の姿だった。唯華は、そのコンクリートの塊を見つめながら、静かに呟いた。
「私に告白するなら、この日本が変わった時にしてもらいたいものだね」
唯華の声には、一切の感情が感じられない。ただ、冷徹な支配者の言葉がそこにあった。美咲は、唯華の言葉に、深く頭を下げた。
「はい。その通りでございます」
東京湾の深い闇の中に、コンクリートの塊が沈んでいく。水面に波紋が広がり、やがて何もなかったかのように静寂が戻った。
その夜、全国ニュースで唯華の高校が取り上げられていた。
「衝撃の展開です。数ヶ月前に不審な事故死として処理された私立紫電高校の学年主任、松原先生の死について、新たな疑惑が浮上しています。松原先生の妻が記者会見を開き、警察に対し再捜査を強く求めました」
ニュースキャスターの声が、唯華の部屋に響き渡る。モニターには、憔悴しきった松原先生の妻が、涙ながらに訴える姿が映し出されている。
「主人の事故の内容や、なぜこうなってしまったのか、警察の皆さんには再度徹底的に調べていただきたいのです…!」
続けて、氷雨瑠衣の失踪についても報じられた。
「また、同じく紫電高校の生徒である氷雨瑠衣さんの失踪に関しても、新たな情報が入ってきております。氷雨さんの母親も会見を開き、警察に捜査の徹底を訴えました」
瑠衣の母親は、泣き崩れながら、必死に言葉を紡いでいた。
「なぜ、瑠衣が消えたのか…なぜ松原先生が亡くなってしまったのか…ぜひ、警察の皆さんで調べてください!」
学校側は、これらの報道に大忙しとなっていた。メディアからの問い合わせが殺到し、生徒や保護者の間には不安と動揺が広がっていた。しかし、唯華は、そんな世間の騒動をまるで他人事のように受け流していた。
彼女は、クアトロモニターの前に座り、新日本解放戦線のメンバーに指示を出していた。
「これまでの武器や兵器の配置、人員の配置を全て改変する。新しい組織図を幹部たちに発表する」
唯華の言葉には、一切の迷いがなかった。瑠衣の死によって、彼女の心に巣食っていた中学時代の傷が、再び深くえぐられた。だが、それは彼女を弱らせるどころか、より一層「浄化」の意思を固める結果となった。
そして、新日本解放戦線と日本政府との戦争は、すぐそこまで来ていた。
氷雨瑠衣の死から約2週間ほど前、唯華の元に1通のメールが届いていた。新日本解放戦線の幹部以外誰も知らないはずのメールアドレスに届いたそのメールに、唯華は警戒しながらも恐る恐る目を通した。
差出人は、佐藤美咲。そして、その内容に唯華は驚きを隠せなかった。
「私は、新日本解放戦線のリーダー神月唯華様の側近、または、副官になりたいです。なぜなら私は、いつも学校で唯華様のことは見ています。いつも勉強熱心でわからないことがあれば人に優しく教えていて、しかも時間が許す限り一緒に遊んでくれて、私はそんな唯華様が大好きです。そんな新日本解放戦線のリーダーと一緒に、ともにしたいと考えています。自己紹介が遅くなりましたが、私の名前は佐藤美咲と言います。唯華様の友達と言っていいのかわかりませんが、新日本解放戦線のために力になります。どうかよろしくお願いします!」
メールを読み終え、唯華はクアトロモニターの光に照らされた部屋で、ぽつりと呟いた。
「は? あの佐藤美咲か? いやいやないだろ。でも、あの人ならなんか心を許してしまう気がする」
唯華の脳裏には、いつも太陽のように明るく、何の悪意も持たずに自分に接してくれる美咲の笑顔が浮かんだ。彼女の純粋な好意は、唯華の凍りついた心に、確かに微かな温かさをもたらしていた。
唯華は、迷うことなくメールに返信した。
「あなたが本当の佐藤美咲なら、私の自宅は知っているよな? 今週の金曜日に家に来てくれたら、あなたを副官として任命します」
送信ボタンを押しながら、唯華は自嘲気味に口元を歪めた。
「なんか色々とおかしなことになっているな」
そう思いながらも、彼女は新日本解放戦線が行う次の作戦立案に取り掛かった。
次に唯華が立案した作戦は、これまでのものとは規模が違った。
「さらに10,000以上の人員の確保と、整備兵やその人たちの訓練。また、武器や兵器、銃火器の準備。そして、静岡、山梨、新潟、群馬、福島、栃木、茨城、千葉、埼玉、神奈川。これらの県境付近、特に人目につかない山奥の地下に、長野の地下壕に匹敵する、あるいはそれ以上の規模の軍事拠点を構築するのだ」
唯華の戦略は明確だった。東京への進攻を多方面から可能にし、いかなる事態にも対応できる強固な防衛網を築き上げること。それは、首都圏を完全に掌握するための布石であり、同時に、来るべき「浄化」の日に向けた最終準備でもあった。
「あと2か月ほどで基地が完成するようにと命令を下した」
その夜、唯華はクアトロモニターの前に座り、新日本解放戦線の幹部たちと、さらに大規模な計画を練っていた。
それは、東北地方全域、北海道、長野県、新潟県、山梨県の全土と、静岡県、千葉県の一部山岳部を掌握する、首都陥落の前哨戦の計画だった。
唯華の瞳は、モニターに映る無数の地図と数値、そして作戦計画を見つめながら、冷徹な光を放っていた。彼女の心には、中学時代のいじめによって刻まれた深い傷と、氷雨瑠衣の死によって再び呼び覚まされた憎悪が渦巻いている。だが、その憎悪の奥底には、友人たちとの温かい交流で芽生えた、微かな光もまた、確かに存在していた。この二つの感情が、彼女の計画にどのような影響を与えるのか、そして、この国に何をもたらすのか、誰も知る由もない。
そして、その計画の傍らには、唯華の許可を得て、これまで通り「唯華」と呼ぶことを許された副官佐藤美咲が、静かに控えていた。彼女の存在は、唯華の冷徹な世界に、予期せぬ変化をもたらすことになるのだろうか。




