第39話、神月唯華の高校生活!5
週末の楽しい時間が終わり、唯華の日常は再び学校での完璧な優等生としての振る舞いへと戻った。朝、登校すると、昇降口でクラスメイトたちが笑顔で「唯華ちゃん、おはよう!」と声をかけてくる。彼女の「おはよう」という声は、以前よりもほんの少しだけ柔らかさを帯びているように感じられた。休み時間には、自然と女子たちの輪の中心に唯華がいて、先週末の映画やショッピングの話で盛り上がる。唯華も以前のように的確な相槌を打ち、時折、心の底からの笑顔を見せるようになった。その笑顔は、かつての完璧さに隠されていた冷たさを失い、温かい光を宿している。
鈴鹿裕樹は、唯華の変化を敏感に感じ取っていた。以前は感じられた唯華の完璧な笑顔の裏にある虚無感や冷たい視線が、少しずつ薄れていくのを感じる。唯華が女子たちと談笑している時、以前のような遠くを見つめる冷たい視線は減り、目の前の友人たちと心を通わせているように見えた。難しい問題を解いている時の横顔にも、以前のような底知れない闇の揺らめきは影を潜め、知的な輝きが増しているように裕樹には感じられた。彼が見た新日本解放戦線のリーダーの「唯華様」の姿と、目の前の温かい少女の間にあった冷たい隔たりが、少しずつ埋まっていくのを感じ、裕樹の心には漠然とした不安ではなく、微かな安堵が広がっていた。
週が明けて3日目の放課後、唯華はいつものように図書館の奥まった席で分厚い参考書を広げていた。難解な数式の羅列を追う唯華の脳裏には、先週末の友人たちとの楽しい記憶がかすかに蘇る。甘いパンケーキの香り、カラオケで響いた友人たちの歌声、そして何よりも、彼女たちの純粋な笑顔が、唯華の集中を阻むように脳裏をよぎる。そんな唯華の背後から、突然、勢いよく抱きしめられた。
「唯華ー!見ぃつけた!」
明るい声と共に、美咲が唯華の肩に顔をうずめる。唯華は一瞬肩をすくめたが、すぐにそれが美咲だと分かり、安堵の息をついた。美咲の向日葵のような明るい笑顔が、唯華の視界いっぱいに広がる。
「美咲。どうしたの?」
唯華が振り返ると、美咲は満面の笑顔を浮かべている。その隣には、おっとりとした雰囲気の花音と、お洒落で流行に敏感な里奈もいて、期待に満ちた眼差しで唯華を見つめていた。三人の視線が、唯華に注がれる。
「ねぇねぇ唯華!今度の週末、私たちと一緒に美容院行かない?」美咲が興奮気味に言った。その声には、純粋な喜びと、唯華と一緒に過ごせることへの期待が溢れていた。
唯華は少しだけ目を見開いた。美容院に行く、という誘いは、彼女のこれまでの生活には全くなかったことだ。身だしなみは常に整えていたが、それは機能としての側面が強く、流行や個性を楽しむためのものではなかった。彼女の黒髪ロングは、常に手入れが行き届き、艶やかではあったが、それはあくまで「完璧な優等生」としての外見を保つための一部に過ぎなかった。しかし、美咲たちの純粋な誘いを前に、唯華の心は揺らいだ。彼女の内に秘められた「普通」への憧れが、その誘いによって刺激されたのだ。
「美容院?」唯華は問い返した。その声には、微かな戸惑いが混じっていた。
「そう!花音も里奈も、私も、週末に髪を切りに行こうって話してたんだ!唯華も一緒にどうかなって!」
花音と里奈も笑顔で頷く。彼女たちの瞳には、一点の曇りもない純粋な好意が宿っていた。それは、中学時代の、彼女の完璧さを妬むような視線とは全く異なる、温かい眼差しだった。
唯華は少し考える素振りを見せた。髪を切ること、それは彼女の「完璧な計画」にはない、新たな変数だ。新日本解放戦線のリーダーとして、彼女の行動は常に効率と目的に最適化されてきた。外見の変化は、無駄な要素として排除されるべきものだったはずだ。しかし、同時に、彼女の心をじんわりと温めるような、新しい「普通」の誘いでもあった。友人たちと共有する、ささやかな日常の楽しみ。それは、彼女が心の奥底で求めていたものなのかもしれない。
「…いいよ」
唯華が小さく頷くと、美咲たちは図書館中に響き渡りそうなほどの歓声を上げた。周りの生徒がちらりと唯華たちの方を見たが、すぐにまた自分の勉強へと戻っていく。
「やったー!唯華も来てくれるんだ!嬉しい!」
美咲が唯華の手を取り、ぶんぶんと揺らす。その温かい手のひらの感触が、唯華の心に新たな温かさを広げた。それは、長い間閉ざされていた扉の隙間から差し込む、もう一本の光のようだった。
放課後、唯華は自宅に戻り、リビングにいる母親に声をかけた。母親は唯華が帰宅するやいなや、彼女の私服姿をじっと見つめ、柔らかな笑みを浮かべた。唯華は、普段学校で着ている清楚系の服装とは異なり、可愛らしいブラウスにふんわりとしたスカートを合わせていた。ブラウスは柔らかなシフォン素材で、胸元には控えめなフリルがあしらわれている。スカートは淡いピンク色で、軽やかに揺れるギャザーが彼女の可憐さを引き立てていた。全体のトーンは淡いピンクと白で統一され、足元はシンプルなローファー。まさに、品のある可愛らしさを演出している。
「ただいま、お母さん」唯華の声は、以前よりも少しだけ弾んでいるように聞こえた。
「おかえりなさい、唯華。今日は何かあった?なんだか嬉しそうね」母親の優しい声がリビングに響く。母親は唯華の顔を覗き込み、その表情に微かな変化を感じ取っていた。
唯華は少しだけ躊躇したが、意を決して切り出した。「あのね、お母さん。今度の週末、友達と美容院に行こうと思ってるの」
母親は唯華の言葉に、少し驚いたような表情を見せた。「あら、美容院?唯華が髪を切るなんて珍しいわね。何か心境の変化でもあったのかしら?」母親は微笑みながら、唯華の長い黒髪にそっと手を伸ばし、その滑らかな髪を指で梳いた。「唯華の髪、ずっと綺麗に伸ばしてたものね。大切にしてるんだと思っていたけど」
唯華は少しだけ頬を染めた。母親の言葉に、彼女の心に微かな迷いが生まれる。確かに、この黒髪は彼女の「神月唯華」としてのアイデンティティの一部だった。しかし、友人たちとの「普通」の時間を求める気持ちも、彼女の中で大きくなっていた。
「うーん、特にこれといった理由はないんだけど、友達と一緒に行くのもいいかなって。それに…少し気分転換もしたいなって思って」唯華は、曖昧な言葉でごまかしたが、その瞳の奥には、新しい自分への期待が揺らめいていた。
母親は唯華の言葉に、嬉しそうな顔を見せた。娘が友達と楽しそうに過ごしている姿を想像し、顔が綻んだ。「そう。唯華が友達と出かけるのは、お母さんも嬉しいわ。美容院代、いくらくらいかかるのかしら?お母さんが払ってあげるわよ」
「ありがとう、お母さん。多分、〇〇円くらいだと思う」唯華は事前に調べておいた金額を告げた。彼女は、このような日常的な会話をすることに、少しずつ慣れてきていた。
「分かったわ。じゃあ、これを使ってちょうだいね」母親は財布からお金を取り出し、唯華に手渡した。その手には、母親の温かい愛情が込められているようだった。
「ありがとう」唯華は母親からの美容院代を受け取り、その温かい心遣いに、じんわりと胸が温かくなるのを感じた。それは、彼女がこれまで意識して避けてきた、人間らしい温かさだった。
自室に戻った唯華は、鏡の前に立った。長く伸びた漆黒の髪が、彼女の肩を覆っている。その髪は、彼女の「完璧な優等生」としての象徴であり、同時に「新日本解放戦線のリーダー」としての冷徹さを隠す仮面でもあった。
「髪を切るか…」
唯華は独りごちた。これまでの彼女にとって、髪型は単なる外見の一部でしかなかった。流行を追うこともなく、常に手入れが行き届いた清潔な状態を保つことだけを意識してきた。しかし、友人たちの誘いを受け、彼女の心に微かな迷いが生まれていた。この黒髪を切り落とすことは、これまでの自分との決別を意味するのだろうか。
「気分転換、ね…」
それは、彼女が「普通」の女子高生としての一歩を踏み出す、小さな変化の兆しだった。新日本解放戦線のリーダー「唯華」としてではなく、一人の「神月唯華」としての彼女が、少しずつ殻を破ろうとしているのを感じていた。その髪を切り落とすことで、彼女は新たな自分を見つけることができるのだろうか。
あとがき
登場人物:
神月唯華
佐藤美咲
鈴木花音
田中里奈
鈴鹿裕樹
唯華の母親




