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8-9

(でも……プロの殺し屋がなんでそんなことを思うの? さっきも私を殺そうと思えば殺せたのに、しなかった。どうしてなの?)


 そんな私の疑問に答えるかのように、旋風の独白が続く。


「我もな、かつては武の道を究めようと夢見たことがあった。伝承に残る少林寺の英雄の如く、義に尽くす武術家になりたいと。だが……結局、血影衆の宗家に生まれた我が身にあったのは暗殺者として生きる道のみ。ただ糊口をしのぐためだけに拳を振るう人生に何の生き甲斐があろうか。悲嘆に暮れる日々だったが……林美夢、貴公に出会えた。心から感謝する」


 感慨深げに口角を上げながら、旋風が両手を胸の前に出して独特の構えを取る。拳を握るでもなく、鍵爪のように十指を曲げたその構えはまるで虎の前足を思わせた。


「少林秘伝、虎形拳。古文書より見出し我流で会得したこの技で今、貴公への引導を渡そう。貴公の少林拳を我が拳で打ち破れたこと……それを慰めに、我は残りの生を耐え忍ぶ」


 虎の爪を強張らせ、旋風が一歩進み出る。美夢さんが立ち直るのを待たずにとどめを刺すつもりだ。私は堪らず走り出て、雨のベールを突き破る勢いで叫ぶ。


「ふ、ふざけないで!! 美夢さんはあなたの自己満足の手段なんかじゃない!! そんなことのために……美夢さんを殺すなんて許さないから!!」


 私は勢いのままにジーンズのポケットから拳銃を抜き出す。さっき翔瑠お兄様から拝借した、自動式の拳銃だ。どこかで見た知識を頼りに安全装置を外し、数メートル先の旋風に銃口を向ける。そんな私に、旋風が冷ややかな視線を送って来る。


「無道院の娘よ、そんなものが役に立つと思っているのか。お前の指が引き金を引くより速く、我が爪はお前の喉を引き裂くぞ」


 興が削がれるのを嫌ってか、旋風の殺気が私にも向けられつつあるのがわかる。実際、素人が震えた手で撃つ銃撃なんて、旋風ほどの達人には脅しにもならないんだろう。でも、ここで引いたら美夢さんが殺される。それだけは絶対に嫌だ。


「美夢さん聞こえてる? 私たちこんな奴に負けちゃ駄目だよ。こんな他人の得手勝手なんか乗り越えて、私は私の人生を続けていく! 美夢さんだってこんな所で終わっていい筈ないでしょ!? そうだよ……私たちまだまだこれからだもん。だから一緒に来てよ、美夢さん!!」


 私は満身の力を指先に込め、固い引き金を引いた。乾いた発砲音が響き、発射された弾丸が旋風の遥か後ろの床面に爆ぜる。やっぱり素人がおっかなびっくり撃って上手くいく筈はなくて、狙いは大外れ。だが、その跳弾の音が彼女を目覚めさせた。


「ぐ……おおおああああああああっ!!」


 絞り出すような雄叫びを上げ、美夢さんが床に手を突く。そこから倒立するように両足を跳ね上げ、間近まで迫っていた旋風の側頭部を両側から蹴りつけた。


「グオッ……!!」


 再度こめかみを狙い打たれ、旋風の動きが止まる。その隙を逃さず、美夢さんが全身全霊を振り絞る。


「でええええええええええいっ!!」


 気合を発して起き上がるや、棒立ちの旋風の胸板をめがけて正拳突きの連打。堪らず彼が後ろに下がれば、追いかけて喉笛に水平の手刀を二度、三度と叩きつける。


「どおわああああああああああっ!!」


 続いて足技地獄が始まる。柔軟な膝関節を駆使した二段蹴りが旋風の脇腹と側頭部を立て続けに見舞い、彼の足元がふらついて更に後退する。美夢さんは更に踏み込んで回し蹴り、後ろ回し蹴り、往復してまた回し蹴りの連撃を繰り出す。いずれも旋風の頭部を捉え、折れた歯が血と共に飛んで行く。


「ぎえええああああああああああああっ!!」


 極めつけはヌンチャク攻撃だ。さっき私が投げ渡したヌンチャクをズボンの裾から取り出し、ひとしきり旋回させるや猛烈な連撃を始める。薙ぎ払い、打ち下ろし、回転した勢いでまた打ち下ろす。遠心力をたっぷり乗せた棍が容赦なく旋風の頭部を、肩を、胴体を打ち据え、骨肉が粉砕されていく。その度に彼の体は後ろに弾かれ、遂にはヘリポートの(へり)近くまで来た。


「ぜえいっ!!」


 そして美夢さんはヌンチャクの両方の柄を逆手に持つと、その先端を勢いよく突き出して旋風のみぞおちを打突した。岩のような腹筋に二本の棍がめり込み、旋風の口の端から血が溢れ出る。


「ガ……グフッ……!」


 滅多打ちにされながらも地に立ち続けていた旋風だったが、とうとう糸の切れた人形のように崩れ落ち……どさりと美夢さんにの肩に身を預けた。


「やっ、やった……!」


 と、私が快哉を叫ぼうとしたその時だった。


「まだだ!!」


 突然、旋風の目に生気が戻った。彼はまだ力尽きてはいなかったのだ。


「なっ……!?」


 面食らう美夢さん。だが対処しようにも、完全に懐に入られたこの状態では身動きが取れない。旋風が両手で虎の爪を作り、無抵抗の美夢さんに一撃を見舞った。


「死ね!! 少林拳を受け継ぎし者よ!!」


 旋風の振るった十指は美夢さんの脇腹に深々と突き刺さり、皮膚を突き破って肉に食い込んだ。これが旋風の温めていた技、虎形拳の威力だと言うのか。


「ぎっ……あああああ!!」


 美夢さんが悲鳴を上げる。きっと想像を絶する痛みが襲っているんだろう。一方の旋風は最後の気力を振り絞ったのか最早正常な意識を保てなくなっており、美夢さんの体に指を突き刺したまま動こうとしない。


「死ね……死ぬのだ!! 我と共に行こうぞ!! 恥辱に満ちた我が生の幕は、貴公の手で引かれなくてはならぬ!! フフフ……フフハハハハハハハハハハ!! アーッハハハハハハハハハハハハハ!!」


 折しも閃いた稲光が、半狂乱に陥った彼の面相を照らし出す。濁った眼を飛び出さんばかりに見開き、口も裂けよと狂笑するその姿に、私は思わず戦慄した。


「……そうかも、しれません」


 不意に美夢さんがそう呟く。貼りついた髪に隠されたその表情は、どこか安らいでいるようにも見えた。


「あなたは、わたしが責任を持って地獄へ連れて行く!」


 美夢さんが腕を回して旋風の体を抱え込み、足を踏ん張って強引に前へ進み出る。その先はヘリポートの端の端、一歩踏み外せば奈落へ真っ逆さまの崖っぷちだ。


(美夢さん!? 何するの美夢さん……まさか! 駄目だよそんなの!)


 直感に駆られた私は拳銃を放り捨て、美夢さんの方へ駆け出す。だが、伸ばした手が届く筈もないほどその距離は遠く、美夢さんの決心は無情なほど早かった。


「……すみません香織さん。お供するのはどうやら無理みたいです。どうかお元気で」


 一瞬振り返った美夢さんの顔は、怖いぐらい優しく微笑んでいた。私は何か叫んだ気がするけど、それを聞く前に美夢さんの唇は最後の一言を紡ぎ出していた。


「さよなら」


 美夢さんが地を蹴って跳躍し、旋風もろとも宙へ飛び出す。叫び声のひとつすら残さず、二人の体は重力に従って落下し、瞬く間に私の視界から消える。


「美夢さん!!」


 私はヘリポートの縁に辿り着くと、身を乗り出して下を見た。だが美夢さんの落ちて行った先は夜の闇がぽっかりと口を開いているだけで……そこから返って来る声もなければ、彼女の影すら見当たらなかった。


「美夢さん……ああっ」


 私は床に膝をつき、天を仰いだ。雷はいつしか止み、ただ涙のような雨がさめざめと私の頬を濡らす。その中で私は声を上げて泣いた。何度も美夢さんの名を呼びながら、まるで赤ん坊のように泣き続けた。一人にしないで欲しい。早くこの涙雨を晴らして欲しいと、それはまるで祈りのような慟哭だった。


 美夢さんと血影衆、そして私と翔瑠お兄様との戦いは、こうして終わりを告げた。


《つづく》

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