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8-6

「だから香織、家に戻れ。自分の役割を思い出せ。そうすれば命だけは助けてやる。もし聞けないというならオレはどんな手を使ってでもお前を殺す! 殺人結社にいくら払ってもいい。金の問題じゃないんだ! お前を野放しにすることだけは絶対に許さない!!」


 そう思えば、さっきまで怖くて仕方なかったこの怒号がひどく幼稚なものに聞こえて来る。私の心を埋め尽くしていた恐怖が、別の感情に塗り替わっていく。


(ああ、クソ親愛なるお兄様。貴方は私と同じだよ。辛く苦しいものでしかなかった自分の人生を、どうにか肯定したくて仕方ないんだ。自分の戦いに意味はあったと、誰かに言って欲しいんだよね。わかるよ。私も美夢さんやメメちゃん、愛梨ちゃんにそう言って貰えて死ぬほど嬉しかったから。でも、だからこそ……その勝手な言い分は聞けないかな!)


 私は伏し目がちだった目をカッと見開き、両手で翔瑠お兄様を思い切り突き飛ばした。


「なっ……!?」


 私に反撃されることなど微塵も想定していなかったであろう翔瑠お兄様は、簡単によろけて私の肩から手を離した。その隙に、私はトレーナーの下に隠していた秘密兵器を取り出す。


(お兄様たちが生存競争で潰し合わないために用意されたオモチャ。それが私だったんだよね。さしずめ、三匹のキツネに与えられた一羽の子ウサギってところかな。でもウサギだって追い詰められればキツネを蹴り殺すって言うじゃない? ここからは私とお兄様の……生存競争だ!!)


 丈夫な木を削り出した二本の棍を、鋼鉄の鎖で繋いだ強力無比なる打撃武器。私が振りかざしたのは、美夢さん愛用のヌンチャクだ。南風との戦いのどさくさですっ飛んでいったそれを、私は密かに拾っていた。美夢さんに返さずそのまま拝借していたのは、この時のためだ。


「ハッ、何だそれは。冗談もほどほどに……」


 翔瑠お兄様は私の本気をまるで悟っておらず、嘲笑を漏らしている。私は油断しきったその横っ面めがけて、見よう見まねのヌンチャクを振り抜いた。


 ガツーンッ!!


「ぶはっ!……はぁ!?」


 快音と共に翔瑠お兄様の顔面が殴打され、欠けた歯が口から零れ落ちる。驚きと困惑で、翔瑠お兄様が間抜けな声を上げた。


「ハァ……ハァ……いける。これ、私にも使えるよ!」


 人を本気で殴った感触がヌンチャク越しに手を痺れさせ、脳に伝わって急速にアドレナリンを分泌させる。長年の鬱憤も手伝って、私の闘争心を測るメーターは一気にマックスを振り切った。


「翔瑠お兄様、覚悟―――ッ!!」


「ちょっ、ちょっと待て! 待っ……ぐふっ!?」


 展開に頭が追いついていない翔瑠お兄様が制止するのも構わず、私はヌンチャクをやたらめったらに振り回して打ち据える。武器を持っているから身長差やリーチの差は最早問題じゃない。おまけにお兄様には格闘技の経験なんかない……腕でガードしてもそれは急所を庇っているだけだから、骨身には確実にダメージが入る。痛みで反撃なんかできる筈もない。事実、私は面白いぐらい一方的にお兄様を殴り続けた。


「ええいこれでもか! これでもかこれでもかこれでもかーーーーーツ!!」


「ぐっ! あぐっ……い、痛い!! やめろ!! お前、自分が何をやってるかわかってるのか!? ぐぶっ!……オ、オレのサンドバッグの分際で……いやそもそも人としてどうなんだ!? 刑務所に入りたいのか!?」


 翔瑠お兄様が何か言ってるけど、そんなの知ったこっちゃない。こうなった以上は傷害罪で御用になるのもやむなしだ。刑務所でも鑑別所でも児童相談所でも、無道院の家に戻るよりはよっぽどマシってものだ。


「殺るか殺られるか! 先に始めたのはお兄様でしょ!? さあ命が惜しければ諦めて手を引きなさい! 今後一切私の人生に干渉しないと誓うなら命だけは助けてあげる!!」


 そう言いながら一際強く振り下ろした一撃が、翔瑠お兄様のガードをすり抜けて頭頂部を強打する。「ぎゃっ!!」と悲鳴を上げ、お兄様が頭を押さえて床に転がる。的が大きくなったのをいいことに、私は更にヌンチャク攻撃を加える。


「おらっ! 何とか言えっ! 今まで散々いじめてくれちゃって、そのヘラヘラしたツラを一度ボコボコにしてみたかったのよねーーッ!! このままたたっ殺してやるから観念しろッ!!」


「ううっ! ひぐっ……ご、ごめっ……ごめんなさい。ぐあっ!……もう殴らないで、頼むよ……っ!」


 とうとう泣きが入る翔瑠お兄様。なかなか痛快な光景だけど、ちょっと痛いぐらいですぐこんなこと言うやつは信用ならない。もっとお仕置きが必要なので……続行します!


「そんなこと言ってやめてくれたかお前はーーーーッ!!」


 私の怒りの一撃がお兄様の腰骨に叩きつけられ、ボグッと嫌な音が鳴る。


「~~~~~~~ッ!!」


 声にならない声を上げ、床の上をのたうち回る翔瑠お兄様。スーツも髪型も乱れに乱れて、全く無様という他ない。でもまだまだ収まらない私は、追撃を加えるべく再びヌンチャクを振りかぶる。こうなればもう、気が済むまでやってやる……私が人間としての理性を手放そうとした時だった。


「やめておけ」


 背後から何者かの手が伸びて、私の腕を掴んで攻撃を制止した。私は苛立ち紛れにそれを振りほどこうとするけど、全く動かない。それに痛い。前腕が骨ごとギリギリ締め付けられて、まるで万力に挟まれてるみたいだ。私の手に力が入らなくなり、ヌンチャクが足元の床に落ちる。


「その男に、お前が手を汚す価値などない」


 耳元に降って来るその低い声に、私は聞き覚えがあった。あれは確かこの戦いの始まり。疾風との戦いを終えた美夢さんを強襲した、凄い威圧感を放つ男が居た。そう、血影衆の殺手……名は旋風!


「あ……ああ……!」


「また会ったな、無道院香織。我らを相手によくぞここまで生き残った」


 生命の危機を肌で感じ、体が硬直してしまう私。そんな私に旋風がかける言葉は意外にも優しかったが、私の腕を掴む力は少しも緩まない。逃がすつもりは全くないようだ。


(最悪だ……美夢さんも警戒した実力者にこんな所で出くわすなんて! 黒幕が痺れを切らして出向いて来た所を直接締め上げれば、戦いを終わらせられると思ったのに……これじゃ私の命が先に終わっちゃうよ! 美夢さん……美夢さんはどうしてるだろう。いや、あの怪我だもん。流石に来られないよ。どうしよう……本当に、本当の本当に終わりなの? 私……死ぬのか!?)


 今、私の命は旋風の掌の上にある。彼の気持ち一つで私の肉体は破壊され、このぐるぐる回る思考もたちまち霞のように消えてしまうだろう。極限の状態に立たされ、私の呼吸はどんどん浅くなっていく。そんな中、顔を無残に腫らした翔瑠お兄様がヨロヨロと立ち上がった。


「旋風っ……お前ぇ!! なぜ黙って見てた!? 依頼主のオレが危うく殺される所だったんだぞ!? お前らに今までいくら払ったと思ってんだこの役立たずが!!」


「我らの引き受けた依頼はこの娘の暗殺だ。貴様の護衛ではない」


 ヒステリックに喚き散らす翔瑠お兄様に対して、旋風の態度は冷たい。闇の世界に生きるプロの暗殺者に対して、一般人が起こす癇癪の何と虚しいことだろう。


「ぐっ……なら今すぐそいつを殺せ!! 仕事なんだろうが!!」


 お兄様がそう檄を飛ばし、それを聞いた私は懸命に体をばたつかせる。とは言っても旋風の拘束から逃れられる筈もなく、無駄な抵抗と言う他なかった。


「うあああ~~~ッ! 離して! 離してよぉ!! 私はこんなとこで死ねない……絶対に生き残って、幸せになってやるんだから! くそぉ~~~離せぇ!!」


《つづく》

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