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「そう言えば、ここ遊園地の敷地内なのよね。救急車、どうやって入って来るのかしら?」
「あっ」
私もそんなこと頭になかったので、愛梨ちゃんと同じように冷や汗をかいた。こういう場合、救急車って人混みをかき分けて入って来るものなのかな。それとも私たちが外まで運び出さないといけないやつ? いやいや、まず最初にパークの係員を呼んで段取りして貰うべきだったんじゃないの?
「うへぇ~、愛梨ちゃんチョンボだねぇ」
「いや、だって電話口では特に何も言われなかったし! メメちゃんだって気付かなかったでしょ~う!?」
「そんなことより早く何とかしないと! ええっととりあえずどこに問い合わせればいい? 迷子センター? 事務所的なとこ? いや待ってこういうのってコールセンターとかに言えばいいの!?」
私も私で疲労でだいぶヤキが回っている。怪我人を前に世間知らずの女子が三人集まって、無意味な議論が白熱しようとしていたその時だった。バタバタバタと何かけたたましい駆動音がして、私たちの頭上を大きな影が覆った。
「えっ、何? ……ええ~~~っ!?」
上空を見て驚愕する私の顔に、回転数300rpmの風が吹きつける。プールエリアに現れたのは、病院の赤いマークがついたヘリコプター。所謂ドクターヘリと呼ばれる代物だった。
「ひゃ~~すっごい。ウチ、ドクターヘリって本物初めて見た。愛梨ちゃん凄いの頼んでくれたねぇ」
メメちゃんがぴょんぴょん飛び跳ねてはしゃいでるけど、多分愛梨ちゃんは普通に119番通報しただけだと思う。本人の顔を見ると驚きで引きつってるし。
「い、いやぁ……最近の病院ってサービスいいのね。長いこと入院なんてしてないから知らなかったわ」
これで保健の先生をやってるんだから不思議だ。個人の通報で、しかも災害でもないのにドクターヘリが来るなんてどう考えてもおかしいだろう。呆気に取られている二人をよそに、私の警戒心は否応なく高まっていく。まさかと思って携帯を確認してみると、そこには向坂さんからの着信通知がズラリと並んでいた。
(いけない! 何かの拍子でマナーモードになっちゃってたんだ。向坂さん、もしかして何か掴んだの?)
十数度に渡る着信履歴を手繰ると、最後にショートメッセージが添えられていた。何らかの理由で私が応答できないと見て、向坂さんが文面で情報をくれたんだろう。内容を見ると、果たしてそこには私の依頼していた調査の結果が記されていた。
――香織様。先ほど翔瑠様が本宅をお発ちになりました。聞けば火急の用とのことで、急ぎ飛行機までチャーターしたようです。加えて、翔瑠様が大旦那様の遺産について人を雇い独自に調べていたことや、個人口座から用途不明の送金が億単位でなされていることもたった今確認が取れました。全ての黒幕は翔瑠様に間違いないでしょう。香織様、どうかすぐにお逃げください。向坂は香織様のご無事だけが望みです。
(向坂さん、ここまで調べてくれた……本当にありがとう。でもごめん。逃げろっていうのはちょっと聞けないかな。多分もう遅いし、私だってもう怯えるのは今日限りにしたいんだ)
向坂さんの突き止めた黒幕は、無道院翔瑠。私より八つ上の兄で、現当主の次男。きょうだいの序列で言えば上から三番目に当たる。長男である正人お兄様と共に黒幕の候補だった翔瑠お兄様だったが、とうとう自ら動き出したようだ。だとすれば、今まさに目の前に着陸した場違いなドクターヘリにも納得がいく。これはお兄様が仕掛けた罠なのだと。
「患者はそちらですね。ヘリの搭乗人数には制限がありますので、付き添いはお一人まででお願いします」
ヘリから出て来た救急隊員と思しき人が、押しの強い口調でそう述べた。まだ目を白黒させているメメちゃんと愛梨ちゃんが何か言う前に、私はずいっと前に進み出てこう言った。
「私が付き添います。美夢さんをどうかよろしく」
私の申し出は二つ返事で了承され、美夢さんは担架で手早くヘリに運び込まれた。私はその傍らの席に座り、共にシートベルトが着用される。離陸する前に窓の外へ首を伸ばし、私は友人二人に挨拶をする。
「二人は家に帰ってて。病院で色々落ち着いたら連絡するから、お見舞いに来てよ」
「わ、わかったぁ」
「気をつけてね、香織ちゃん」
回転を始めるローターの音に、メメちゃんと愛梨ちゃんの声はかき消されていく。そしてドアが閉じられた瞬間、私は搭乗員たちの背中に向かって言った。
「……私は逃げたりしない。だからちゃんと病院に飛んで。美夢さんを治療してくれないと、私何するかわからないからね」
ともすれば声が震えそうになるのを何とか堪えながら、私は精一杯の覚悟を示したつもりだ。それが通じたかどうかはわからないが、操縦席に座っている男が半分だけ後ろを振り向き、平坦な口調で言った。
「かしこまりました。よくぞお戻りで、香織お嬢様」
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ヘリは海岸線の方を向いて20分ほど飛んだ。鳥瞰で見た感覚から言うと、私たちが居たジャンボリーパークから山と市街地を交互に二つほど越えた地点になるだろうか。そうすると見えて来たのは、海を望む道路沿いに建てられた大病院の建物だ。学校の三倍はあろうかという広大な敷地の中でも一際目立つメイン病棟の屋上にはヘリポートがあり、私たちはそこへ降り立った。
(ここが敵の本丸……まさか無道院家の力が病院にまで及んでいたなんてね)
ちょうど雨雲を迎えに行く形になったのだろうか、さっきまでよく晴れていた筈の空は灰色にぐずつき始めており、今にも涙を零しそうな様相に変わっている。私はヘリの搭乗員に促され、屋上の階段を下りて病棟へと入って行く。美夢さんは担架に乗せられたまま処置室へ向かうようだ。
(美夢さん、ここまでありがとう。後は私一人でやってみるから……ゆっくり休んでね)
一抹の心細さを胸に抱えながら、私は病棟の廊下を歩いて行く。案内役の男たちの足が止まったのは、「院長室」のプレートが掛かった部屋の前だった。
「失礼致します。香織お嬢様をお連れしました」
一人がそう言ってドアをノックすると、中から「おう、入れ」と軽薄そうな声が聞こえて来た。この声、聞き覚えがあるなんてものじゃない。私にとってはうんざりするほど耳にこびりついた声で、この一年絶えず脳裏に蘇って来るのを必死に払いのけ続け、ようやく忘れかけていた実兄の声だ。
「お入りを」
ドアが開き、男が私を部屋の中に押し込む。よろけながら入室した私に、改めて声が投げかけられる。
「久しぶりだな、香織」
瀟洒な家具が揃えられた、落ち着いた内装の洋室。果たしてソファーに足を組んで座っていたのは、シックなスーツに身を包み黑髪を自然に撫でつけた若い紳士……私のよく知る無道院翔瑠その人だった。
「翔瑠お兄様……」
「元気してたか? こんな草ぼうぼうの田舎じゃ苦労も多いだろ。少し痩せたんじゃないのか。お前は昔から偏食のきらいがあるからな。バランスの良い食事を取れば仕事も勉強も自ずとパフォーマンスが向上するもんだ。あとはそう……あまりストレスを溜めないことだな。そのあたりはどうだ? 確保してるか? 自分なりのストレス解消法ってやつは」
ずり落ちそうに寄りかかった背もたれから体を起こそうともせず、翔瑠が軽い口調で尋ねて来る。そこに私の健康を思いやる意図は全くなく、本題に触れる前の枕に過ぎないことが私にはわかっていた。翔瑠はこういう人なのだ。フランクな振りをしていても、腹の底には打算が渦巻いている。
「そんなことを聞くために連れて来たんじゃないでしょう。私の命なんて知ったこっちゃない癖に」
「フン、相変わらずつまらん奴だなお前は」
《つづく》




