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「……う~ん」
まず唸り声を発したのは愛梨ちゃんだった。彼女には、私の家庭が複雑で今は距離を置いているぐらいの説明は前にしてあったから答え合わせのようなものだ。教師という仕事柄、思うことでもあるのだろうか。
「そもそもの話なんだけど、その無道院家ってそんなに有名なの?」
「は?」
愛梨ちゃんから飛び出した予想外の質問に、私は思わず口をポカンと開けてしまった。
「香織ちゃんの話だと地方の名士?みたいな感じなんだろうけど、正直ピンと来ないのよねぇ。メメちゃんはどう? 無道院って家、知ってたかしら?」
「ん~ん、全っ然。でも要はアレでしょ? 地元でブイブイ言わせてるだけで全国的にはそんな知られてないけど、地元から出ないからなんか偉い感じになってるやつ? 何だっけ、内弁慶……的な?」
愛梨ちゃんだけじゃなく、メメちゃんまでこんなとぼけたことを言う始末。想像してたどの反応とも違い過ぎて、私は思わずいきり立ってしまう。
「いや待って待って、無道院家だよ? 日本社会にびっしり根を張ってる一族だよ? 今日ジャンボリーパークに入ってから買った物の3割ぐらいは傘下の企業が作ってると思うんだけど、まさか存在すら知らないの?」
「知らないわねぇ」
「ウチも初めて聞いたかなぁ」
頼りない返事を返して来る友人ふたりを目の当たりにして、私はちょっと眩暈を覚えた。今の学校の理事長は普通に知ってたから、この二人が世間知らずなだけだと思うけど……私が長年忌まわしく思って来たことがこんなにも軽く受け止められてしまうと戸惑いが凄い。私的には二人に軽蔑されても仕方ないぐらいの覚悟で自分の生まれを打ち明けたんだけどな~!
「……無道院香織、さん。そうですか……そういうことだったんですね」
と、愛梨ちゃんの膝枕で眠っていた美夢さんが不意に口を開いた。いつの間にか起きていたんだろうけど、やっぱりしんどいのか目が開けられていない。恐らく意識も朦朧としているであろう美夢さんは、唇だけを細く開いてうわごとのように言葉の続きを呟く。
「家族に虐げられた経験、世間で感じた孤独、他者を利用してしまった負い目……それが今の香織さんを作っていたんですね。香織さんが時折見せる……寂しそうな目の理由がやっとわかりました」
「美夢さんあんま喋らない方がいいよ。さっき愛梨ちゃんが救急車呼んでくれたから、大人しくしてて」
疲れによる眠気が一番大きい感じだけど、それでも美夢さんの体が傷だらけであることに変わりはない。私としては安静にしといて欲しいんだけど、美夢さんは「大丈夫です」と言って聞かない。
「……香織さんの悩みを否定するつもりはありません。しかし……わたしは貴女のしたたかさが好きです。逆境にあろうとも己を奮い立たせ、顎はツンと上を向いて……自分が幸せになる道を自ら切り開こうともがく、そんな貴女が何より眩しい……ぐっ」
蹴り折られたあばらが痛むのか、美夢さんが顔を歪める。しかし、私はいつしか彼女の言葉を遮ることが出来なくなっていた。その先を聞きたい。言って欲しい。そう願いながらただ彼女の手を握ると、彼女は口元を俄かに綻ばせ、白い歯を見せてこう言った。
「生まれが何だと言うのですか。貴女を理解しない世間が何だと言うのですか。貴女は今、そんなしがらみを自らの手で断ち切ろうとしている。その大切な今をわたしは守りたい。誰が何と言おうと……例え香織さん自身が否定しようとも、わたしは貴女の戦いを肯定します」
瞬間、私の胸の中にさっと風が吹き抜けたような気がした。そしてその後にあたたかい気持ちが次々と芽吹いて、嗚咽の蕾になって胸元を上がって来る。
「うくっ……うっ、うぅぅぅ……!」
私は美夢さんの手を握り締め、それを捧げ持つようにして泣いた。この言葉だった。私がずっと欲していたのは、こんな言葉だったのだと。
《つづく》




