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(美夢さんの言ってた通りだ……これ、使える!)
今朝、この笛を使った策を提案した美夢さんは、笛の音が持つ副次的な効力についても教えてくれた。それは、聴力を鍛えた者にとってこの音はよく聴こえすぎるというものだった。
『達人であれば千里先からでも聴き取れるというこの笛の音ですが、それだけに近くで聴くと耳をつんざく程うるさいんですよね。少林寺では聴力の訓練以外で吹くことは禁じられていましたし、訓練自体も寺を離れた山中にわざわざ遠征して行われたほどですから。一般人の耳には全く堪えませんが、武術を修めた者にとってこの音は根本的に有害なんです』
美夢さんがそう言ったのは、私が受け取った笛を試しに吹いてみようとした時だった。彼女の額からは俄に汗が吹き出していたから、恐らく過去に痛い目を見たことがあるんだろう。
『血影衆の使う武術は忍術の発展形ですから、その基本は隠形と聞き耳の筈。かすかな物音を聴く訓練は間違いなく積んでいるでしょう。殺手はもちろんのこと、兵隊ですら常人より耳が良いとわたしは考えています。よって至近距離で笛を吹き鳴らせば大きなダメージを与えられるでしょう。その隙に香織さんは逃げられますし、わたしも音を聴きつけて動き出せます。その後は、打ち合わせの通りに』
その時は私も正直ピンと来ていなかった。しかし目の前の南風を見れば、美夢さんの話に誇張がなかったことがわかる。何せあの美少年が瞳孔をかっ開いて声にならない呻き声を上げ、両耳を押さえてのたうち回っているのだから。
(真に受けて聞いといて良かった。ナイスだよ、美夢さん!)
私は立ち上がると壁沿いに体を滑らせ、床で痙攣する南風の体を慎重に跨ぎ越えた。そして表に脱出するドアのノブを握った時、美夢さんが言ったもう一つの言葉が鮮明に思い出された。
『香織さん。追い詰められた時、もう駄目だと思った時、諦めずにこの笛を吹いてください。この笛には、香織さんを思い苦行を乗り越えたわたしの執念が籠もっています。きっと香織さんの守り神になってくれますよ。貴女は一人じゃない。そのことを忘れないでください』
「……ありがとね、美夢さん」
少し目頭が熱くなってしまう私。でも悠長に構えてはいられない。視界の隅で南風の痙攣が収まりつつある。やがて笛のダメージから回復し、再び襲って来るだろう。彼に追いつかれる前に、私は美夢さんとの合流場所へ辿り着かなければならない。美夢さんの手で倒さない限り、殺手を無力化することは不可能なのだから。
「よし、行こう!」
勢いよくドアを開けて表のアトラクションに舞い戻った私は、ダッシュで館内を駆け抜けた。開きかけの自動ドアに体を滑り込ませ、お化けたちの威嚇をかがんでくぐり抜け、先を歩く家族連れやカップルを強引に追い越し、最速で出口へ。
(南風は……まだ来てない! 上手く脱出できた。ここから合流場所へ行くには……あっち方向か。と、その前に……)
私はサッと周囲を見回し、友人ふたりの姿がないのを確認した。もしここで彼女らに見つかり、追って来られては巻き添えを食わせてしまう……それだけは避けなければならない。
(メメちゃんたち、きっとどこかで座ってるんだろうな。悪いけど……もうちょっとだけ待ってて!)
私は再び走り出し、合流場所へ急いだ。園内は相変わらず激混みで、まっすぐ進むだけでもいちいち人波をかき分けなければならない。私が体の小ささを存分に活かして何とか走り続けていると、前方に大柄な男性が不自然に割り込んで来た。ドンとぶつかられ、私の足が止まる。
「すみませっ……」
反射的に謝りかけた私だったが、すぐに思い出した。一般人に化けて獲物を包囲する、それが敵の常套手段だった筈だと。見れば右から左からも男が来て私を通行人の目から覆い隠そうとしているじゃないか。
(こいつらは敵の兵隊……だったら、喰らえっ!!)
私は迷うことなく笛を吹いた。
ピィーーーーーーーーーーーーッ!!
途端に男たちが耳を押さえて悶絶し、一様にその場にひっくり返る。さながら転倒事故を思わせる場面に通行人たちがどよめき、早々に警備員が呼ばれる。これでこの三人はしばらく身動きが取れなくなった。私は悠々とその場を立ち去り、目的地へ向けひた走るのだった。
《つづく》




