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5-13

「簡単なことだ。我は貴公と戦いたい。万全の貴公と、死力を尽くしてな」


 そう嘯き、旋風が足を肩幅に開く。そしてダラリと下げた両の拳を軽く握って見せると、途端に陽炎にも似た殺気の奔流が彼の背中から立ち昇った。


「……!」


 その気迫がほんの戯れのような威嚇に過ぎないことを、美夢は肌で感じた。そして観念したように息をひとつ吐き、緊張していた構えを解いた。


「あなたの言う通り、今はよした方が良さそうですね。まだ体力が戻りませんし、さっき窒息状態で無理に気合を発しましたので肺や気管も傷んでいる。この状態であなたと戦っても正直勝てる気がしません」


「それで良い」


 旋風も臨戦態勢を解き、拳法家ふたりの間に流れる空気がわずかに弛緩する。美夢がそのまま後ずさり、松風から離れる。すると反対に旋風は近づき、気絶している彼を肩に担いだ。


「感謝する。腕の立つ殺手を失うわけにはいかぬのでな」


 美夢としては、決して旋風の事情を汲んだわけではない。今ここで彼の邪魔をすれば戦いになる。ここで無駄死にをして香織を危険に晒すわけにはいかない……そう判断しただけのことだ。忸怩たる表情をする美夢に、旋風は失笑を漏らして言う。


「此度の暗殺任務、我が方は総勢6名で臨んでいる。我を除けば動ける殺手はあと2名……貴公がそれを退ければ初めて我の出る幕となる。是が非でも我を引きずり出し、後顧の憂いを断つが良い」


「……言われなくとも」


 あと2名。最大の脅威である旋風を入れても3名。それだけ倒せば香織を守り切ることができる。初めて具体的な目標を示され、美夢は思わず胸の前で拳を握った。


「だが」


 美夢が一瞬昂揚したのを見抜いたかのように、立ち去りかけた旋風が振り返った。


「血影衆の力を甘く見ぬことだ。既に倒れた3名も、数多の任務や死闘をくぐり抜けて来た手練ればかり……貴公が勝てたのは天運に過ぎぬことを忘れるな」


 流し目の眼光も鋭く、美夢を一瞥する旋風。息を呑む美夢を尻目に、地を蹴って高く飛び上がる。木立の間に消えていくその姿を追いながら、美夢は慌てて叫んだ。


「教えてください! なぜ香織さんが命を狙われなければならないのですか!? 依頼人の目的は何です!?」


 木立の暗がりから答えは返って来ない。旋風はもう遠くへ去ったようだ。


「旋風!! ……くそっ」


 美夢は悔しさに地面を叩いた。旋風の放つ強者のオーラに圧倒され、何もできなかったのだ。この度の邂逅は美夢にとって完敗と言わざるを得ない。


「何たる腑抜け……自分が情けない。敵との駆け引きもできないなんて……ん?」


 と、美夢は自分が叩きつけた拳の先に、一枚の紙切れが舞い落ちるのを見た。暗い地面の上でぼうっと白く映えているそれを拾ってみると、達者なペン字で簡素な文面がしたためてあった。


 暗殺指令書

  以下の人物を隠密に殺害のこと

   標的氏名 無道院香織

   遂行期限 本書開封より300時間

  詳細は同封のデータを参照のこと


「無道院……香織?」


 耳慣れない響きの名字がそこには記されていた。香織のフルネームが「兼道香織」であることは美夢も知っている。ではこの指令書で言及されているターゲットは一体誰なのか。美夢の知る香織とどんな関係があるというのか。まさか人違いなどということはあるまいが。


「あなたからの謎かけなのですか、旋風」


 胸のざわつきを美夢は感じた。しかし、今は不確定な情報を元に思い悩むべきではない。今すべきは、少しでも体力を回復して明日に備えることだ。香織が友人と過ごす時間を守り、その命も守る。大仕事だが、決めたからにはやり抜かねばならない。指令書はいったんジャージのゴムにでも挟んでおき、美夢はさっき飛び出して来た窓から部屋へと舞い戻った。


 窓枠から注意深くベッドに着地すると、香織は依然としてすやすやと寝息を立てている。松風を引きずり下ろした時に起こしはしなかったかと気を揉んでいた美夢は、その様子を見て安堵した。静かに窓を閉め、改めて彼女の寝姿を目に焼き付ける。


「……天運なんかじゃありませんよ。わたしが勝てたのは、勝利の女神がついているからです」


 布団にくるまった香織がみじろぎをし、再びその手が外に出る。美夢はベッド脇に跪くと恭しくその手を取り……ついばむような口づけを掌に落とした。


「すみません……無断で報酬、貰っちゃいました」


 途端に美夢の顔が茹でだこのように紅潮し、湯気も立たんばかりになる。


「……ひゃー」


 美夢はいそいそと香織の手を布団の中に戻し、己の顔をぱたぱたと仰ぎながら再び座禅に入った。常夜灯がほのかに照らす部屋には静寂が戻り、手負いの二人にいっときの休息をもたらすのだった。


《つづく》

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