5-10
「さて」
窓辺に辿り着いた美夢は、サッシに手をかけると静かに鍵を開け、まず細く窓を開けた。隙間から入って来る音や匂い、微細な気配などの情報を探り……何も感じられないとなると、次は思い切って窓を大きく開け放す。
「誰も居ない……?」
この寮の周りに民家はなく、2階の窓から見える景色は芝草の生えた地面と暗い木立のみ。見渡す範囲に動くものはなく、ただ木々の間を夜風が吹き抜けている。
「……むう」
何者かの気配がしたのは気の所為だったのだろうか。念の為、窓から身を乗り出してもう一度確認する。
と、その時だった。
ビンッ!
硬い線が張る音がし、美夢の首にワイヤーのようなものが巻き付いた。
「ッ!」
同時に何者かがその線を勢いよく引っ張り上げ、美夢の体が吊り上げられる。
「かはっ……!」
気管を急激に圧迫され、美夢が苦しい息を吐く。線を引き上げる力は緩まず、美夢をそのまま窓の外へ吊り出そうとするが、美夢は窓枠を掴んで何とか堪えた。
「ハッ、首吊りだけは阻止しやがったか。なかなかやるじゃねーか」
窓の上から男の声がする。壁に張り付いているか、はたまた窓枠の僅かな出っ張りに足をかけているのか、いずれにせよこの陽気な敵はこの窓から顔を出す者をじっと待ち構えていたに違いない。
「ぐえっ……ぐぐ……香織さんを狙う、殺し屋ですね」
美夢は首の筋肉を固めて気管を保護し、少しでも窒息を遅らせようとする。だがもし窓の外へ足が出てしまえばそれも役に立たない。自重による衝撃が一点に襲いかかり、首の骨が折れてしまうのだから。
「おうよ。血影衆で夜討ちを任せりゃ右に出る者はねぇ、三弦の松風様とはオレのことだぜ」
「三弦……くっ、ではこれはまさか」
美夢は少林寺に居た頃、師事した高僧が馬頭琴を弾くところを見たことがある。絹糸のより合わさった強靭な弦は美しい音を奏でるが、使い方によっては命を奪う武器にもなる……そう言って高僧は替えの弦を振るい細木の幹を断って見せた。思わず戦慄したその時の記憶が、美夢の頭の中で鮮明に蘇る。
「三味線の弦!……道理で小気味良い音がしたわけです」
「ご名答!」
楽器の弦は横合いから爪弾かれることで摩耗こそするが、縦方向の引っ張りには滅法強い。おまけに美優の首に巻き付いたそれには予め結び目が拵えてあり、引けば引くほど輪がきつく締まっていく。がむしゃらに藻掻いても脱出は不可能だ。
「噂のボディーガードさんよ、この状況でなかなかの慧眼じゃねーか。感心したぜ。しかも首まで頑丈と来てやがる……逆にこっちの腕が痺れそうだぜ!」
などとおどけて見せながらも、殺し屋・松風は締め上げる手を緩めない。美夢が吊り出されまいと粘るならば、そのまま気道を奪い続け絞殺しきるつもりなのだ。一か八か……気が遠くなる前に、美夢は逆転を期して賭けに出ることを決めた。
「さーて、そろそろ眠たくなって来たんじゃねーか? 窒息ってのは脳内麻薬が出るからな。気持ちよく逝かせてや……らっ!?」
得意げだった松風が面食らい、前のめりによろける。美夢が己の首を戒める弦を後ろ手に引っ張り、松風を引きずり下ろしにかかったのだ。
「おいおいおい……正気かぁ? オレが落ちれば全体重がアンタの首にかかってどのみち即死なんだぜ!?」
「ふぬぬぬぬ……!!」
《つづく》




