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前にカフェで美夢さんに言いかけた問いの続きは、まだ私の喉に引っかかったままだ。もし自分がここまでの善意を向けられるに値するのだとしたら、せめてその理由を知りたい。そうすれば自己嫌悪に喘ぐ日々も少しはマシになる気がするから。
「あ」
と、食器を片付けていた美夢さんが、ふと気付いたように呼びかけて来た。
「そのぉ……香織さん? もし独り寝が心細ければ、いつでも言ってくださいね。わたし、いつでも添い寝しますから……なんて、えへへ……」
ぞわっ。思わず悪寒が走る私。
「寝言を言うな寝言を! もう……いつかみたいに爆睡してたら承知しないからね」
美夢さんはかっこつけてるつもりかもしれないけど、もじもじしながら言うからキモいんだよ。
「そ、その節は本当にすみませんでした……でも、わたし頑張りますから! 香織さんのぽかぽか体温やおひさまのような匂いに包まれて気を失わずに居るのはまさに至難の技ですが、気迫で耐えてみせます!」
「もういいから喋んないでっ!」
誰がおひさまの匂いだ。あんたが私の匂いを知ってて堪るかってのよ。全くこの人は、守ってくれたり気遣ってくれたり、やってること自体は恋愛小説の王子様みたいなのに……ここまで見事にツボを外して来るとむしろ逆王子様として満点だよ。
(……心細いから側に居てって、言えなくなっちゃったじゃん。この馬鹿)
〜〜〜
その後、兼道香織は早々に床に就き、数分のまどろみの後に意識を手放した。物語の視点は、彼女を見守る林美夢の視点へと一時移る。
「……む」
常夜灯の下で座禅を組み、30%ほどの覚醒状態を維持していた美夢だったが、窓の外から微かに物音がしたのを聴きつけて意識を急速に呼び戻した。
「香織さん……香織さん寝てますか?」
細い声で護衛対象の少女に呼びかけてみると、彼女からは寝息で返事が返って来るのみ。しっかり安眠できていると思しきその柔らかな息遣いに、美夢は胸を撫で下ろした。
「……良かった。どうか今は全部忘れて、楽しい夢を見ていてください。降りかかる火の粉は……わたしが払いますから」
生徒寮の個室は、禅の教唆で言うところの“ただ足るを知る”を体現したかのように狭い。限られたスペースを活かすため、ベッドは窓際にぴったり寄せられている。窓から外の様子を窺うには、ベッドで眠る香織を起こさぬよう注意しながらその上を跨ぐ必要がある。
「失礼します」
マットレスの端に爪先をかけ、美夢はベッドの上に登った。適切な体重移動と歩法により足の下にかかる圧力をコントロールし、マットレスを殆ど凹ませることなく窓際へ歩みを進めていく。
「……可愛らしい寝顔」
眼下の香織を愛でながらも、美夢は淀みなく進んでいく。少林寺で課される修行の一つに、蛇歩というものがある。砂利道の上に濡らした半紙を敷き詰め、それを破らぬよう上を歩くのだ。これを会得すれば蛇のように滑らかな歩みが可能になり、同時に培われた柔軟な体捌きは拳の技にも活かされる。無論、美夢はこの蛇歩を完璧にマスターしているため、愛しい人の寝姿を前にしても歩調が乱れることはない。
「風邪など引かないように……よいしょ」
臀部を突き上げてヘアピンのように深く前屈し、美夢は香織の掛け布団を喉元まで引き上げた。投げ出された手を中に仕舞い込み、肩口に布団を詰めてやれば、窓を開けても肌寒くはないだろう。
《つづく》




