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「引き払ったって……なんでよ!? 意味わかんないんだけど!?」
驚きのあまり、箸を置いて美夢さんに詰め寄る私。それほどの反応は想定していなかったのか、美夢さんは目をぱちくりさせて当惑している。
「いやぁ~……それは何と言いますか、背水の陣? 的なこと? 少林寺で拳法を修め、香織さんを守れるようになるまでは絶対に帰らないと……そう、己の退路を断ったんですよ。ええ」
「なんでちょっと歯切れ悪いの……」
信じられない。どうしてそう思い切りがいいのか。向こう見ずを通り越していっそ破滅的ですらあるよ。不退転の決意はまあわかるとしても、帰る場所ぐらい残しておくものだろうに。ってか、今こうして私の部屋に居候できてるからいいものを、もしそれがなかったらどうやって雨露しのぐつもりだったのか。その辺の道端でキャンプできるほど日本という国はおおらかではないんだけど?
「呆れた。美夢さんって考え無しなんだね」
「えへへ……面目ないです」
照れるんじゃない。今の言葉にそういう含みはないから。全く、これじゃもし用が済んでも追い出すに追い出せないじゃないか。まあそんなことを悩める段階ではないんだけどさ。
「しょうがない、殺し屋が来なくなって平和になるまではここに置いてあげる。私が癇癪を起さないように精々尽くすこと。いい?」
「はい! 一緒に住んで良かったと思って貰えるよう頑張りますね! 私はそのぉ……たまに香織さんの体で労っていただければ、それで充分ですので!」
「そういうとこだよ」
「へぶっ!?」
隙あらば下世話なことを言い出す美夢さんに、私は手元のクッションを投げつけた。美夢さんは顔に当たってずり落ちて来たそれを手でキャッチし、そのまま胸に抱いてちゃぶ台の向かいに座って来た。
「楽しいです。わたし」
「くっ!」
目を細めて微笑む美夢さん。うっすら儚げなその表情に、私は一瞬クラッと来てしまった。こいつ無敵か。
「アーミートーフォ(阿弥陀仏)……わたしもいだだきますね!」
一方の美夢さんは、私がそうやって動揺してるのなんてほっといて鶏大根をがっついている。女の子と本気でどうこうなりたいなら、今みたいな機微を捉えて攻めなきゃいけないと思うんだけど……それをしないあたり恋愛経験値ってものがこの人には全くないんだろう。私もメメちゃんから借りた小説を読んで想像してるだけだし、どうこうされるつもりもないんだけどさ。
「くぅ~~~、煮詰まったおつゆ! これはもうごはんしかありませんね!」
当の美夢さんは食の喜びに浸っている。目の前の欲望が最優先のようだ。
(確かに、お米と合う味だ。どうしようおかわり貰おうかな……)
なんて私が食いしん坊を発揮しようとしていた時、ベッドに放り上げていたスマホが着信音を鳴らした。見ると、メメちゃんからLINEが届いている。
――明日休みだしカラオケ行っとかん? 推しの新曲入ってんだよね〜
通知画面に表示されたメッセージからはメメちゃんの喜々とした様子が伝わって来る。これは開店から日が暮れるまで歌いまくるつもりだろう。
(カラオケかぁ、いいかもしれない。こんな状況だから私もリフレッシュしたいし。でも……こんな状況だからこそなんだよなぁ〜〜〜〜〜〜!!)
今日あったことを思いながら、私は逡巡する。昼日中だろうが公共の場だろうが、殺し屋は隙さえあれば襲って来るとわかってしまった。私が誰かと遊んでいる時だってわかったものじゃない。
《つづく》




