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「美夢さん、昼に買い物行くって言ってたでしょ。あそこのスーパーはこれからセールの時間だから、ちょうど寮を抜け出して来る頃だと思ったの。かなりの賭けだったけどね」
そう解説を入れながら、私は屋上の方を指さした。釣られて見上げた美夢さんの視線の先には、驚愕の面持ちでこちらを見下ろす玉風の姿。マツエクで巨大化させた目をバッチバチに見開いているのが、この距離でもわかるようだ。
「……なるほど、次なる刺客ですね」
事態を把握し、美夢さんの目の色が変わる。
「人が多すぎますから、向こうもこの場での戦いは望まない筈。こちらが移動すれば追って来るでしょう。香織さん、走れますか?」
「あー……えっと、ごめん。腰が抜けて立てないかも」
折角美夢さんがやる気になってるのに、足を引っ張って本当に申し訳ない。でも頭が落ち着いた代わりに体の方が今頃怖がってるみたいで、実際動けないんだよね。これも契約のうちってことでどうかひとつ。……と、そんな言い訳を私がする前に、美夢さんはもうかがみ込んで私に背中を差し出していた。
「わかりました。しっかりおぶさっててくださいね。千尋の谷を素足で越えて会得した早駆け、存分に披露させて貰います!」
やたら過酷そうな修行の風景を思い浮かべながら、私はお言葉に甘えて美夢さんの背中に乗っかる。後ろから首に腕を回してしがみつくと、少し汗の匂いがした。私の叫び声を聞いて……いや、もしかしたら屋上で宙に浮いている私を見つけた瞬間から、本当に全速力で走って来たんだ。
「……来てくれてありがと」
湿った襟足に唇を寄せて、そう呟いてみる。美夢さんは「い゛っ」と声を漏らして一瞬体を強張らせたけど、すぐに立ち上がって地面を蹴立てる。今彼女がどんな顔をしているのかは、後ろからなので残念ながら伺い知れない。私なんかの囁き声で、一丁前に赤面してるのかな。ちょっとはご褒美になってるといいんだけど。
「いっ、行きますよぉーーーっ」
上ずった声と共に、美夢さんが走り出す。野生の鹿を思わせる強靭なスプリントで昼休みのグラウンドを突っ切り、ちょっとした軽車両に匹敵する加速を生み出す。猛スピードで敷地内を駆け抜ける部外者の姿を見て唖然とする男子たちの顔が一瞬見えて、私は風になりながら少し笑った。
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校門を出て寮へ向かう途中で脇道に逸れると、鬱蒼とした雑木林がある。美夢さんが向かった場所はそこだった。大小様々な木々の間を分け入って奥へ奥へと進み、やがて見渡せる範囲には通行人すら居なくなる。
「ねぇ美夢さん! あいつ、追って来てるの!?」
「わかりません。わたしたちと違って、ああいう人は気配を消して移動するでしょうから。でも、林に入って衆人環視が途切れた以上、いつ仕掛けて来ても……」
美夢さんがそう言いながら、ちらりと後ろを振り返る。視線がかち合いそうになって、私は反射的に顔を逸らす。逸らした視線の先で、一瞬、黒い影が木漏れ日を遮った。
「もう来てる!」
私が思わず声を発し、美夢さんがブレーキをかける。木々の間から玉風が躍り出て、刺股を大上段から振り下ろしたのはそれとほぼ同時のことだった。
ザン!
アーム部のエッジが、美夢さんの爪先から数センチ先の地面に叩きつけられる。砂利と共に土煙が舞い、それに紛れるように玉風の姿が再び消える。私が周囲に目を配ろうとしたその時、美夢さんがハッとして両足を投げ出し、ヒップドロップの要領で瞬発的に腰を落とした。コンマ数秒差で、横薙ぎの一撃が私たちの頭上を通過する。この僅かな隙に、玉風は美夢さんの後ろを取っていたのだ。
《つづく》




