エムヌ君、準備万端
スーパーヒーローに憧れるエムヌ君は、ある晩、恐ろしい夢を見た。怖くて夜中に目が覚め、ブルブル震える。真っ暗な廊下が怖すぎて、トイレに行きたいのに行けなかった。そのせいで、お漏らしをしてしまったのである。
翌朝、お姉ちゃんに笑われた。エムヌ君は怖い夢のせいでトイレに行けなかったと話した。
「おしっこを漏らしちゃわないように、準備しときなさいよ」
お姉ちゃんはそう言った。「準備って何? どういう意味?」とエムヌ君は尋ねた。
「怖い夢を見ても大丈夫なように、味方になる玩具とかぬいぐるみを枕元に置いておきなさい」
なるほど! とエムヌ君は思った。お姉ちゃんにお礼を言って、夜に怖い夢を見た場合に備える。
そして、夜が来た。恐ろしい夢を見るかもしれないから寝るのは怖い! しかし眠くなる。寝る前にトイレへ行って、寝床に入る。エムヌ君は覚悟を決め、目を瞑った。肩で大きく息をする。
「おやすみなさい」が冒険の合図だ。
枕元に置いたお友達の皆がいるせいか、安心してすぐに眠ることができた。それでも自分が夢の中にいることに気付くと不安になった。<怖い夢の入り口>と書かれた看板があり、その脇に入り口があった。入り口の横に受付がある。受付の中は見えないが、誰かがいるのは分かった。受付の中の人は言った。
「中に入りますか? 今なら無料だよ……でも、中は怖いよ? さあ、どうする? 戻ってもいいんだよ」
回れ右をして帰れると知り、エムヌ君は拍子抜けした。てっきり、絶対に夢を見ないといけないものだとばかり思い込んでいたのだ。
「中に入って、もしも怖かったら逃げられるの?」とエムヌ君は聞いた。
「途中でも逃げられますよ。でも……それで、いいのですか?」
受付の中の人は低い声で続けた。
「逃げ出したら、記念品のお土産が貰えませんよ?」
「記念品のお土産?」
「素敵なプレゼントがあるんです」
「何が貰えるの?」
「素敵なプレゼントです」
素敵なプレゼントと聞いて逃げるわけにはいかない。エムヌ君は怖い夢の中へ入ることに決めた。
そのとき空に白い雲が湧き、そこに角が頭に生えた人形の姿が映った。エムヌ君所有の玩具チームのリーダー、お爺ちゃんの宝物だったマグマ大使の人形だった。ボタンを押すと声が出るのだが、それとそっくりな声が聞こえた。
「お爺ちゃんがマグマ大使の姿を借りて助けに来たぞ」
エムヌ君は首を傾げた。
「あれ、お爺ちゃん、死んじゃったんじゃないっけ?」
「特別に蘇ったんだよ。まあ、ちょっと話を聞きなさい」
エムヌ君のお爺ちゃんを自称するマグマ大使の人形は話を続けた。
「夢のなかで特別なきっぷをもらって、その入り口を通り抜けたら、怖い夢の始まりだ。もしもピンチになったら、すぐに私たちを呼ぶんだぞ」
「へ……?」とエムヌ君は聞いた。
「私たちが救援に向かうから、安心するんだ」
そう言われると気が大きくなるから不思議である。受付の前を勢いよく通り抜け、怖い夢の世界へ駈け込む。いきなり闇が広がった。真っ暗で何も見えないところに「ガオー!」「ぎゃあああ」「ぐあああ!」と獣の咆哮や人の悲鳴が聞こえてきたので、超絶ビビったエムヌ君は早速、玩具たちに救援を要請した。
「助けて~!」
お爺ちゃんの形見のマグマ大使人形の声が聞こえた。
「助けを呼ぶのが早すぎないか?」
エムヌ君は反論した。
「早くない! だって怖いもの!」
マグマ大使人形は溜息を吐いた。
「お前はスーパーヒーローだ。特別サービスで、衣装を用意してあげたよ」
エムヌ君は気が付いたら憧れの姿になっていた!?
こうなると勇気百倍だ。変な大声を出して闇の中へ突っ込む。奇声を発しつつ両手を振り回していたら、闇がフッと消えた。
「何だ、なんてことないじゃないか!」
エムヌ君は気が大きくなってガッツポーズした。すると空の向こうに黒雲が湧き、次第に大きくなって近づいてきた。雷がゴロゴロ鳴る。ピカッと稲妻が光る。雨が降り始める。
雷が怖いエムヌ君は、またも助けを呼んだ。
「雷様だ! おへそがとられちゃう!」
マグマ大使人形の声が聞こえた。
「いや、それはもしかして、トイレに行きたいんじゃないかな?」
エムヌ君は危機を感じた。猛烈にヤバい感じがする!
「うわあ、どうしよう!」
「早く起きろ! 急げ!」
マグマ大使人形に言われ、エムヌ君は目覚めた。トイレに直行する。間に合った。ホッとして寝床へ戻る。床に紙片が落ちていた。
「何だろ?」
紙片を拾い上げ、電気スタンドの明かりで見てみる。こう書いてある。
<こわいゆめへのきっぷ(入る前にトイレへ行ってね)>
エムヌ君は本当に怖い夢の中へ行って戻ってきたのだ。
君も怖い夢の中へ行くかもしれないから、寝る前にはトイレを済ませておこうね。