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シーン3:嵐が吹き荒れる



 -§-



 今から三十八年前。かつてシュタルク共和国南部に存在した小都市、ブリュッケ市にてランベルト・エルスターはこの世界に生を受けた。

 石工を家業として営む家庭に育ち、十分な愛情と友誼とを平穏な日々の中で享受しながら十八歳の成人を迎えた彼は、健康なシュタルク男児が果たすべき義務を遂行するという、ごく自然な動機をもって共和国中央軍に志願した。


 その一年後、忌むべき〈災厄の禍年(カラミティ)〉が発生する。


 すでに正規軍に編入されていたランベルトは当然ながら前線に送られた。

 彼は故郷へ押し寄せる〈骸機獣(メトゥス)〉の大群から家族と友人を守るため、兵士一人分として持ち得る力の総てを振り絞って戦った。

 塹壕の中で疲労と飢えと腐臭に堪え。瘴気によって荒れ果てた戦場で我武者羅に銃を撃ち、剣を振るい、同僚の亡骸を幾度も幾度も踏み越えた。

 いつの間にか階級が上がっていた。先任者が戦死したために繰り上げられたのだ。与えられた部下たちは、櫛の歯が欠けるように減っていった。

 死に物狂いの日々。恐怖と混乱に精神を削り取られる毎日。

 それでもランベルトは必死の思いで戦い続け、しかし些細な不注意と致命的な不運のため、右足を大腿部から失うという大怪我を負う。


 一週間もの意識不明。生死の境を彷徨いながらも彼は生還した。首都の軍病院で目覚めた彼は、そこでブリュッケ市が陥落したという事実を知らされる。

 国内最大の激戦区となった南部一帯。たった一年の間に幾つもの村が、町が、都市が。その風景と名前を喪失した。そこに住む人々ごと、喪われたのだ。


 そして〈災厄の禍年(カラミティ)〉が多くの犠牲の末に終結した後。

 ブリュッケ市の生存者名簿の中に、ランベルトの家族の名前は載っていなかった。彼が意識を失っている間に、彼の戦うべき理由は奪われていた。


 ランベルトは戦後の五年間を脱け殻のように過ごした。やがて軍から供給された見舞金が底を突き、彼は生きる糧を得るために働かざるを得なくなる。

 飲食店から清掃員までを転々とした。そのどれにも馴染めず、身が入らなかった。何のために働くのだろうと常々疑問に思っていた。守るものも、愛するものも、生きる意味として挙げるべきものは、当時の彼に残っていなかった。

 それでも十年は堪えた。地獄を生き残った数少ない知り合いと連絡を取り合いながら、惰性のように日々を過ごして、擦り減らして、そして。


 ある時。不意に、彼をまっとうな世界に繋ぎ止めていた糸が、ぷつりと切れた。ランベルト・エルスターは人知れず野盗に堕ちた。


 盗み、強請り、奪い取り。悪事を重ねる彼の元には何時しか行く当てのない者が集まっていた。戦災孤児が。実家を勘当された者が。社会に馴染めなかった者が。いまだ多くの傷跡を残す世界の、狭い日向から、弾き出された者たちが。


 つまるところ、彼の身に降りかかった惨酷とは、そういうことだった。



 -§-



 十八年。人生を諦めるには十分な期間だった。

 ランベルトは己が半生を振り返りながらそう思う。


 堕ちるところまで堕ちると決めて以来、様々な悪事を働いた。

 隊商を襲って食料や金銭を奪い。農家から家畜を盗んで売り飛ばし。

 金を溜め込んでいそうな家に押し入り、いかにも裕福そうな格好をした男の喉元にナイフを突きつけ、金目のものを根こそぎ供出させもした。


 罪悪感はなかった。生きるためだと言い訳は立ったし、心の何処かが麻痺したようになっていた。いつの間にか増えた手下を養わねばならないという義務感も後押ししていた。なにより暴力は憂さ晴らしにこれ以上ないほど適していた。


 それでも、殺人だけは、踏み止まっていた。


 良心からではない。その一線を越えれば、間違いなく〈巡回騎士隊〉から本格的に目を付けられるという計算、いわばリスク回避を意識していたからだ。

 だから手下にも厳に禁じた。どのような場合でも獲物の命だけは見逃した。

 ましてや子供に銃を突きつけるなど、今までは考えもしなかった。


 それでも、今この瞬間に至って、自分は「殺せる」のだと。

 引き金を弾くその間際、ランベルト・エルスターは確信した。


 眼前にはこちらを睨み付ける灰白色髪(ホワイトアッシュ)の少女。怒りか、不甲斐なさか。そのあどけない頬は紅潮し、瑠璃色の瞳はわずかに潤んで見える。

 相手は子供だ。しかも丸腰だ。戦う術と抗う言葉を奪われた無力なガキだ。

 それらの要素は何一つとして、容赦してやる理由にはならない。

 

 なるほど、彼女が掲げたお題目は立派であろう。

 正義と善意を信じる姿勢は微笑ましくもある。

 そして彼女はそんな夢想のために死ぬのだ。


 何故なら踏み越えたからだ。

 彼女は超えてはならない一線を。

 絶対に口にしてはならない戯言を。

 その一言がどれだけこちらの心を抉るのか。

 知りもせず。想像もせず。身勝手に。傲慢にも。

 その「正しさ」を無邪気に信じてのうのうと垂れ流したからだ。


 地獄も知らない、能天気に生きてきたガキが!!

 さも偉そうに、上から目線で、見下しやがって!!


 現実を知らず。悪意を跳ね除ける力を持たず。甘ったるい理想を妄信して、銃口を前に奇麗事を並び立てて、その結果として襤褸切れの如き死に様を晒す。

 なんとも気の毒な話だ。ランベルトは素直にそう思った。

 だからこそ笑えた。現実はまさに性質の悪い冗談(ブラックジョーク)めいている。

 勝つのは正義ではない。力だ。純粋な暴力だ。正しさは救ってくれない。誇りは護ってくれない。泥塗れ、血塗れ、戦場の倣いとは常にそういうものだ。


 いつもそうだった。今回もそうなる。ただそれだけのことだと、ランベルトは汚泥を塗りたくられた記憶を噛み締めながら、手下共に射撃命令を下す。

 躊躇いはない。情けは無用だ。良心など疾うに捨てた。

 だから撃てる。撃ち殺せる。この程度の残虐など大したことではない。


 撃て、殺せ。その至極単純な意志が、発火炎(マズルフラッシュ)に変じて瞬き――


「……は?」


 ――血飛沫は、上がらなかった。鉛の弾雨は虚空を貫いただけだった。


 ランベルトは目の当たりにする。灰白色髪(ホワイトアッシュ)の少女、レーゲン・アーヴェントの姿が、射線上から忽然と消失するという信じがたい現実を。



 -§-



 そして疾風が駆け抜ける。目にも止まらぬ速度で。



 -§-



 状況が動くほんの一瞬。レーゲンの鋭敏な五感はすべてを捉えていた。

 敵の微妙な目線の動きを。彼らが射撃体勢に移るわずかな身動ぎを。

 鋭い号令が響き渡る。殺意が膨れ上がる。引き金にかかった指が絞られる。数秒足らずの内に発生した事象のすべてが、スローモーションのように感じられた。


 本当に撃ってくる。その確信が全身を貫き、しかしレーゲンは竦まない。

 刹那、幾多にも重なる銃声が爆発音に等しい大音響を奏でた。その響きが大気を揺らすより早く、レーゲンは身を投げ出すようにして地面に伏せた。

 咄嗟の判断。直後、鉛の弾雨が唸りを上げて、頭上を薙ぎ払っていく。


(――躱したッ!!)


 痛みはない。無傷だ。すぐにレーゲンは回避の成功を悟った。

 そして自分の予想が的中したことに安堵を得る。実際に発射されたのはスラッグ弾、つまり一発の大きな弾丸だけが発射される代物だった。


(連中も同士討ちはしたくないはずだから……)


 もし装填されていたのが散弾であったなら、這い蹲った程度では放射状に撒き散らされる弾丸の全てを躱せず、少なくない傷を負っていただろう。

 同時に包囲陣形でそんなものを使うはずがないという、言ってみれば相手側の理性を信用するという分の悪い賭けに、しかしレーゲンは勝利した。

 もちろん根拠はあった。連中の包囲陣形は互いに射線と被らないよう、絶妙に間隔を開けたものだった。ほぼ間違いなく親玉であるランベルトの指示だろう。


(実戦経験のある指揮官がいるなら、リスクはちゃんと避けるはずだし)


 そこまでは読み切った。無論、だからといって気は抜けない。

 

(……二射目が来る前に、こっちから仕掛ける!!)


 憤怒と後悔に占められた胸中、それと切り離されたようにレーゲンの思考は冷たく、そして滑らかに回転する。恐怖はない。自動的に身体が動いた。


 正面、呆けたように立ち尽くす荒くれ者たちの姿がある。

 人間の視界はその構造上、上下方向の素早い物体移動を見落としがちだ。おそらく彼らの目から自分は、一瞬にして姿を消したように見えているだろう。

 もちろん誤魔化せるのはわずかな時間。

 しかしそのわずかな隙が決定的な好機となる。

 レーゲンは即座に身を起こすと、ほとんどうつ伏せに近い姿勢のまま地を蹴り、正面の敵目掛けて突っ込んでいく。壁に見立てた地面を駆け上がるように。


「うぉっ!? い、いつの間に……っ!?」


 至近距離まで接近されてようやく、標的はこちらの存在に気付いたらしい。

 彼は二発目を撃つか、腰の山刀(マチェット)を構えるかを悩み、そのわずかな逡巡がレーゲンに利した。レーゲンは一気に懐へ潜り込み、股間を思い切り蹴り上げる。


「はぅっ!?」


 短い悲鳴。白目を剥いて荒くれ者が頽れる。その身体からレーゲンは素早く目的のものを掠め取る。さきほど奪われた装備。剣と銃、ポーチを。


「――纏めといてありがと。分散させとくべきだったね」

「て、テメェ!? このクソガキがぁッ!!」


 ランベルトの驚愕する声を尻目に、レーゲンはそのまま真っ直ぐ水車小屋の方へ駆けて行く。身体を前方に飛ばすように大きく、一歩、二歩、三歩。

 そこでガチャガチャと金属同士が擦れる音が耳朶を打つ。

 猟銃の装填音だ。しかしその響きにはまったく統一感がない。明らかに慌てている。装弾に失敗したのか二度、三度と動作を繰り返している者もいるようだ。

 レーゲンはその隙にさらに距離を開ける。走り去ろうとする獲物の姿に敵はなおさら焦りを募らせるだろう。ならば自然と照準も大雑把となり、


(弾種を切り替える暇もなかったはず。だったら大丈夫、当たらない……!)


 レーゲンが横っ飛びに身を躱すのと、二射目が虚空を穿つのはほぼ同時だった。

 回避成功。あらぬ方向へ飛び去った銃声の多重奏を聞き流しつつ、レーゲンは前転の勢いそのまま立ち上がり、再び疾走を開始。背後でランベルトの怒号が響く。


(さて。このまま水車小屋に入るか、どうか……)


 入り口は目の前。扉は無防備に開け放たれている。

 思考から決断までは瞬時。レーゲンは侵入を選択。袋小路に追い詰められる危険より、まずは一時的にでも身を隠せる利を得るためだ。

 方針が決まれば迷わない。レーゲンは水車小屋に飛び込んだ。

 ほぼ同時、背後から飛来した弾丸が逸れ、水車小屋の壁に着弾する。

 砕音。細かな木屑が撒き散らされるのを、レーゲンは視界の端に捉え、


「……あっ!?」

「うぉっ!?」


 そして、鉢合わせる。水車小屋の中にたむろしていた数人の荒くれ者たちと。後詰めに待機していたのだろう、彼らは一様に驚愕に目を見開いた。


「テメェ、どうやって」

「えっと、ごめんっ!!」


 レーゲンは取り返したばかりの拳銃をさっそく使うことになった。

 薄汚れたベッドの上に一人、酒瓶と保存食で埋め尽くされたテーブルの脇に二人、裏口の付近に一人。近い順に照準を合わせ、撃ち抜いていく。

 発射されたのは空砲だ。エーテルの力によって物理的な打撃力を得た風の弾丸が、荒くれ者たちに迎撃の体勢も取らせぬまま、ことごとくを昏倒せしめた。


「おい、なにがあった!? ……って、敵襲!?」


 物音に気付いた新手が武器を手に、二階から次々に降りてくる。

 レーゲンは容赦なく発砲。急所を撃ち抜かれ、階段を転げ落ちる荒くれ者たちの悲鳴を聞きながら、冷静に引き金を弾いた回数をカウントしていく。

 五発、六発、七発。そこで弾切れ。ホールドオープン。


「調子に乗るなよ、このクソガキがぁ!!」


 倒しきれなかった荒くれ者は幸運にも一人だけ。

 こちらの弾切れを悟ったのだろう、凶暴な喜悦に目を血走らせて迫る敵に対し、レーゲンは拳銃を素早くホルスターに収めると、愛用する剣を構える。

 荒くれ者の顔に余裕と侮りが滲んだ。曲がりなりにもレーゲンは子供だ。頭一つ分は小さい相手を力尽くで組み伏せるのは容易いと踏んだのだろう。


「銃が使えなきゃ、テメェなんぞ……」

「簡単に殺せるって? 油断し過ぎじゃない?」


 レーゲンの発した涼しげな声を、荒くれ者の意識が聞くことはなかった。そのとき彼はすでに昏倒していたからだ。剣の腹で強かにこめかみを殴られて。


「……よし。これでひとまず、危機は脱したかな」


 死屍累々。気絶した荒くれ者たちの身体で埋め尽くされた水車小屋の中、レーゲンは額の汗を拭いながら、まるで他人事のように呟いた。


 そう。レーゲンはけっして無力な子供ではない。冒険を志して世界へ挑んだ彼女は、降りかかる危険を跳ね除けるだけの力をすでに身に着けていた。

 勝つのは正義ではなく力、純粋な暴力である。

 ランベルトが嘯いた論理は、図らずもここに証明される。

 皮肉なことに当人の思惑とはまったく正反対の結果を示して。


「殴り飛ばして解決って、……やっぱり気分良くないな」


 大立ち回りをやってのけた若き旅行士(トラベラー)の表情は、しかし苦いものだった。



 -§-



「――クソがッ!! なんて奴だ、あのガキッ!!」


 ランベルトは戦慄する。あの灰白色髪(ホワイトアッシュ)の子供が動き出した途端、瞬く間に状況が変わってしまった。わけがわからない。悪い夢を見ているようだった。


 そう、一瞬。ほんの一瞬で奴は絶体絶命の状況を打開してしまった。


 姿を見失ったのがケチの付き始めだ。戸惑っている間に手下の一人が情けない悲鳴を上げ、慌ててそちらを振り向けば、すでに奴が装備を取り戻しており。

 逃げ去ろうとするその背を目掛けて放った第二射は、まるで背中に目が付いているかのような動きで回避され、そのまま奴は悠々と水車小屋に逃げ込んだ。


 まさに電光石火の早業である。ランベルトは成す術もなかった。


「お、お頭ぁ!? なんなんですか、あいつ!?」

「俺に聞くんじゃねぇ!! 知るもんかよ、クソッタレ!!」


 完全に勝敗は決したと思っていた。人数でも、武装でも、精神面でも。

 そう。奴はもう泣き出す寸前だったはずだ。心は折れていたはずだ。

 そうして未熟で甘ったるい志を打ち砕かれた子供は、もはや何の手立てもなく抵抗する術もなく、無残な屍を晒すものだと確信していた。だというのに。


「畜生が!! ふざけんなはこっちの台詞だ……!!」


 暴力を生業とする自分たちが、暴力の気配など微塵も持たなかった子供相手に、まったく歯が立たずに翻弄される。信じがたい。ふざけている。


 そこでランベルトは思い出す。そもそもここに乗り込んでくる直前、酒場で狼藉を働いたこちらの手勢を、あの子供は瞬く間に打ち倒したのだという。

 報告を聞いた当初は馬鹿々々しくも油断した手下たちが不意を打たれ、その不始末の言い訳として実際よりも状況を誇張しているのだと思ったものだが。


「ああ、クソ。勘が鈍ったか、俺も……!!」


 装備、特に銃を奪えば何もできないと高を括っていた。

 その結果がこれだ。完全に相手の力量を読み違えていた。

 食うや食わずの生活を続ける中で、物事を正しく判断する力が摩耗したのか。あるいは弱者から毟り取る日々を繰り返したせいで、戦闘勘を失ったのか。

 両方だろう、とランベルトは歯軋りする。

 軍人としての肩書きにいまさら執着はない。誇りも使命もとっくに捨て去った。ただ相手の戦力値を侮ってヘマをした事実が堪え難いほど悔しかった。


 認めざるを得ない。自分はいま、死んでいてもおかしくなかったのだ。そして頭領が感じた不安や焦燥は、間を置かずして部下たちにも伝播するもので。


「お、お頭、どうしましょう? 水車小屋の連中、やられちまったんじゃ?」

「あんなに素早いなんて思わなかった……!! どうすりゃいいんだよ!?」

「銃があっても当てられないんじゃ意味がねぇ。このままじゃ、俺たち……」


 ランベルトは久々に懐かしい雰囲気を味わっていた。

 それは地獄めいた前線で何度も経験した、部隊の士気が瓦解する瞬間の空気だ。足元がぐらりと揺れて、底なし沼に沈み込むような絶望感。

 何度も、何度も。骨の髄にまで染み込んだ、あの嫌な感覚を思い出し、


「――狼狽えんじゃねぇッ!!」


 だからこそ、知っているからこそ。彼は絶望を振り払うことができる。


 大気を揺らした鋭い一喝に、荒くれ者たちが動揺から立ち直る。

 自ら発した声を契機にランベルト自身も意気を取り戻していた。悪徳と無法に擦り汚れたその表情が熱を帯び、濁り切っていたはずの瞳の奥に光が宿る。

 皮肉なことにこの期に及んで、彼は戦闘者としての自分を再認識した。 


「全員、傾注。……あのガキを、仕留めるぞ」

「「「――了解、頭領(リーダー)!!」」」


 応答が唱和する。荒くれ者の群れが統率を取り戻していた。

 ランベルトは腐ってもシュタルク共和国軍の元軍曹だ。戦闘教義もまた骨の髄まで叩き込まれている。動揺に部下を育て、導き、動かす術を知っている。

 どのように獲物を追い詰め、狩ればいいのかを、知っている。


「よし。これから水車小屋を包囲する。アルバンとベンノ、カスパルとデニスは裏口に回れ。残りの連中は俺と一緒に正面を固める。今度は油断すんな」


 指令を受けた荒くれ者たちは忠実な駒と化した。一糸乱れぬと評するには幾分か粗雑だが、それでも陣形と呼べる程度のものを彼らは組み上げる。


(感謝するぜ、クソガキがよ。おかげで目が覚めた気分だ)


 ランベルトの頬に笑みが浮かぶ。苦く、凶暴な笑みが。


(もうテメェを侮りはしねぇ。その心臓を意地でもブチ抜いてやるさ)


 研ぎ澄まされた殺意が、じりじりと水車小屋を包囲していく。


 ランベルトにはひとつの勝算があった。それはここまでの攻防を通して得た情報。レーゲンがどうやら殺人を極力避けているという事実である。

 理由は分からない。信条か計算か。土壇場で方針が変わる可能性もあった。

 しかしその制約は付け入る隙になる。奴自身の行動を縛る鎖となり得る。


「悪いが、こっちはなんでもアリだぜ……!!」


 無法者(アウトロー)がその本性を剥き出しにする。



 -§-



「……本気になっちゃったかな、向こう」


 水車小屋の中。積み上げられた木箱の脇に身を潜めながらレーゲンは呟く。自分に向けられる殺気の種類が明らかに変わったことを彼女は正確に把握していた。


 こうなってほしくはなかった。レーゲンは思わず嘆息。


「このままだと、本当に殺し合いになっちゃう」


 理不尽な暴力には釣り合うだけの暴力で抗う。

 その論理自体をレーゲンは否定しない。現実に人の命を容赦なく奪う悪党は存在するのだし、そんな連中に良いようにされるほどレーゲンは暢気でもない。

 けれど、やりすぎたくはない。それは遵法精神というよりは、


「……身の程知らずだって、わかってはいるんだけどさ」


 もしも殺人という一線を軽々しい認識で踏み越えれば、二度とあの憧れた背中には追い付けないだろうという確信があった。憧れた師の背中には。

 故に結局のところは個人的なこだわりでしかないのだ。

 けれど、そのためならば命を賭けても構わないと、レーゲンはとっくの昔に肚を決めていた。例え馬鹿々々しいと詰られようが、現実を知らぬ夢想家の戯言だと嘲笑われようが、レーゲンにとってそれは絶対に譲れない信念だった。


「なんとかしないと、ね」


 だからレーゲンは考える。この状況から誰も殺さず、荒くれ者たちを無力化する手立てを。もちろん連中がそんな都合に忖度してくれるはずもないのだが。


 兎にも角にも時間は限られていた。ランベルトとその手下たちは、じりじりと水車小屋に接近しつつある。あと数分もしないうちに踏み込んでくるだろう。

 レーゲンは素早く視線を巡らせる。使えそうなものはないか。


 丸太を組んで作られた水車小屋の壁は見るからに分厚い。

 連中の銃では撃ち抜けないだろうから、少なくとも外から掃射を喰らってお陀仏という危険はない。それだけでも幾分か冷静に構えられた。

 床に伸びている荒くれ者たち。彼らはいわゆる人質になるだろう。

 例えば手榴弾を投げ込まれたり、火を付けられるような危険はないはずだ。盾にするのは気が引けるが、ある程度の抑止力としては期待できる。

 次いで部屋の隅に積まれた小麦粉の袋が目に入る。

 粉塵爆発という単語が脳裏を過り、レーゲンは頭を振った。さすがにリスクの方が大きすぎるし、死人が出かねない方法は本末転倒だ。

 水車用の機械油を階段に撒けば、滑って足止めにはなるだろうか。

 少し考えて却下する。銃を持った相手に逃げ場を失うのは愚の骨頂だ。


 他にも色々と検討してみるも、いい考えは浮かばない。


「もう少し時間があれば、即席罠(ブービートラップ)くらいは作れるんだけど……」


 いくらなんでも今からでは間に合わないだろう。

 そもそも籠城という選択肢は端から考慮外だった。出口が二ヵ所あるという前提条件がまずよくないし、気絶した荒くれ者たちが復活する可能性も無視できない。

 やはりどこかのタイミングで打って出る必要がある。そうして、機動力を生かしたヒット&アウェイで、地道に一人ずつ倒していくしかない……。


「……いや、待てよ」


 そこでレーゲンはふと思い付く。()()()()()()()()()()()()()()()()、と。


「上手く行くかな。いや、でも。……試して、みるか」


 独り言ちるとレーゲンはポーチの中身を探り始める。



 -§-



 最初に異変に気付いたのは、先行していた部下であった。


「お頭、水車小屋から煙が……?」


 ランベルトもその光景を見る。水車小屋の扉から漏れ出した白い煙は、徐々にその密度と量を増していき、やがて建物全体を覆うまでに膨れ上がった。

 ランベルトは舌打ちし、流れてくる煙の臭いを嗅ぐ。木材が焦げる臭いはない。ならば水車小屋に火を放ったというわけではなさそうだった。


「だとすると、煙玉か発煙筒でも持ってやがったのか?」


 用意のいいことだとランベルトは二発目の舌打ち。こんなことをする目的は分かり切っている。煙幕を張って目隠しをするつもりなのだ。


「……お前ら、しっかり見張れよ。煙に紛れて飛び出してくるかもしれねぇ」


 部下たちに警戒するよう言い渡し、ランベルトは猟銃を構える。装填されているのは散弾。スラッグ弾ではレーゲンを捉えられないとの判断だ。


「いいか、奴が姿を見せたら一斉に撃て」


 視線を水車小屋の入り口に釘付けにしたままランベルトは言う。


「姿を見せないまま撃ってきたら、それでも怯まず全員で撃ち返せ。この際、こっち側に損失が出るのは覚悟しなきゃならねぇ。数人の犠牲で倒せたら御の字だ。そのくらいの気概でいけよ。あんなクソガキに舐められたまま終わって堪るか」


 静かな口調には確固たる意志が籠っている。荒くれ者たちは鉛のように重たい唾を呑み込み、そうして各々覚悟を決める。心はひとつだった。


 焦れるような時間が流れる。ランベルトたちは徐々に、徐々に、距離を詰めていく。レーゲンはまだ姿を現さない。静寂の中、緊張が高まっていく。皆の呼吸音が自然と荒くなり、首筋には冷たい汗が伝った。まだか。いまか。否、まだか――


「――撃てッ!!」


 瞬間。煙の中から飛び出してきた影を認めるや否や、ランベルトは号令を発した。荒くれ者たちは即応し、一斉に引き金を弾く。轟音が響いた。

 撃ち放たれた散弾は凄まじい密度を持つ面の攻撃力となり、水車小屋の入り口周辺諸共、飛び出してきた物体を襤褸切れのような有様に変えた。

 数百もの穴を穿たれたそれは、まるで血飛沫のように勢いよく中身をぶちまけ、


「……白い?」


 煙と同じ色をした、粉状のなにかが宙に舞う。小麦粉だ。困惑する荒くれ者たちの中で、ランベルトだけが強烈な危機感を得た。あからさまな(ブラフ)。その目的は、


「上かッ!?」

「当たりッ!!」


 ランベルトは咄嗟に銃口を跳ね上げ、しかし間に合わなかった。すぐ目の前には少女の笑み。してやったとばかりの表情、そして一気に迫りくる靴の裏。


(――二階の窓から、飛び降りて……!?)


 煙幕による目隠しと小麦粉袋の囮。こちらの注意を引き付けておいて、自身は別の場所から飛び出す。古典的かつ単純な手段だ。しかしだからこそ有効な戦術である。なにより、それをこの土壇場で実際に試し、成功させるとは……、


(なるほど。大したクソ度胸と決断力だ。……というか小麦粉袋を投げつけたうえ、数秒足らずで二階に駆け上がるとか、どんな馬鹿力と脚力だよ?)


 半ば感心混じりの思考は、直後に打ち切られる。


「――ぶがッ!?!!」


 激痛、衝撃。目の裏に火花が散った。

 顔面に強烈な跳び蹴りを喰らったランベルトはそのままぐらりとよろけて尻餅を衝く。部下たちが怒号を上げつつ銃口を向け、そこで身動きを止めた。

 何故なら、そうせざるを得なかったのだ。


「こいつの命が惜しかったら、お前ら全員手を上げろ!!」


 レーゲンの声が響き渡る。首に背後から腕を回され、こめかみに銃口を突き付けられ。あまりにも分かりやすい方法で、ランベルトは人質となっていた。



 -§-



 さて。思ったよりも上手く行ってしまった。


(――……それで、えっと。ここからどうしよう?)


 目算はある。確証はない。つまりは運否天賦。

 行き当たりばったり。勢い任せの出たところ勝負。

 レーゲン・アーヴェントの悪癖が、状況をますます掻き乱す。



 -§-



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