タイムカプセル
王家の谷で新たに発見された墓は、すでに盗掘され、王のミイラも失われていたにも関わらず、世界中の注目が集まっていた。
確かに、これまで墓は無いとされてきた場所で発見されたことは今後の重要な研究課題であるが、今回見つかった墓には、実に200体以上にのぼるミイラが見つかったのだ。
最初は王とともに殉死する奴隷かと思われたが、服装や持ち物から、それらはすべて墓に忍び込んだ盗掘者であることが判明した。
ミイラ取りがミイラになる、という諺がある。
ミイラに使われた特別な油を薬として売りさばくため、墓に侵入したものの、出口が分からなくなったり、何らかの理由で外に出られなくなった者自身がミイラになってしまうことを揶揄した言葉だ。
驚くべきことに、これらのミイラは墓が造られたであろう紀元前1400年前から中世にいたるまで様々な時代の者であり、その時代ごとの盗掘に使われた道具などが、完全な形で残されていたのである。
これらのミイラを調べることで、当時の文化や風習など詳しいことが明らかになっていくことに注目が集まったのだ。
なぜこれほどの数の人間が入り込み、出られなかったのかは謎であったが、墓のない場所での発見が功名心や、まだ見つかっていない財宝への期待をかき立てられたためではないかと推測された。
墓は、本来の研究とは違った形ではあるが、考古学にとって貴重な、まさにタイムカプセルであった。
やがて研究は一段落し、それ以上、研究価値の低い墓は封鎖された。
しばらくして、墓の研究をしていた学者の一人が行方不明になったことが地方新聞の片隅に載った。
仲間たちは王の墓の呪いだと囁いたが、彼以外に行方不明や原因不明の死を遂げた者はおらず、ただの行方不明として警察の手にゆだねられた。
数年後、僻地での発掘研究中だった人物が行方不明となったが、墓との関連を考える者はいない。
その後、何年かに一人の割合で研究者が行方不明になる事件は続いたが、誰にも気にされることなく歳月は過ぎていく。
タイムカプセルの中身がいっぱいになり、貴重な研究材料として注目を集めるまでには、まだまだ長い年月が必要であった。




