小さな山に
ふと気がつくと、わたしは足もとが湿ってて、うっかりすると沈みそうになる土がむき出しの道を歩いてた。
ここはどこだろう?
まわりは赤黒い地面が地平線まで続き、空を見上げると今にも雨が降り出しそうな重い雲がたちこめ、カミナリが光り、低いゴロゴロという音だけがずっと響いている。
わたし、どうしてこんなところにいるんだろう?
思い出そうとするとお腹がキリキリ痛んで思い出せない。ただ、この道をまっすぐ歩いて行かなくちゃいけない気がして、わたしは歩くしかなかった。
どれだけ歩いたんだろう?
天気も景色も変わらず、どれだけの距離どれだけの時間歩いたのかもわからない。それでも進んでいるうちに、山のようなものが見えてきた。
やっと何かある。
とにかく目標ができたことにホッとながら近づいて行くと、それはただの山じゃなかった。
動物の……死体?
近寄りたくはないけど、歩けば嫌でも近づいてくる。
そこには、たくさんの稲や麦、野菜や果物が実り、木々に囲まれて、牛や豚、鶏や魚が何頭も何羽も何匹も折り重なり、うずたかく積み上げられた死骸の山があった。
なんなんだろう、これ?
一つだけじゃない。その先にも数え切れないほどの同じ山と豊かなすそ野がずっと先まで続いてる。
「これは人間さ」
いきなり声が聞こえた。
人間?
「そうさ。生きもんは他の生きもんの命、身(実)を食べなきゃ生きていけねえ。てめぇで食べたものが体を作るってことさ。
この山は一人の人間が生涯を通じて口にした生きもんの集まり。つまり人間ってわけだ」
だけど、山を作ってるのは牛や豚ばかりでお米や野菜は……。
「米や野菜は、地面に触れると芽ぇ出すから山にゃならねぇ。すそ野に広がってるのがそれだ。
だが動物は腐って分解されなきゃ地面に還れねぇんだ。
ここじゃ地面に触れなきゃ腐らねぇから山積みになって、てめぇの番が回ってくるのをじっと待ってるってわけだな」
動物や植物が山積みになってるだけで、どうしてこれが人間なの?
「おめぇの目はフシアナかよ!?」
どなられて、やっと声のヌシがいるところ……足もとに目を向けると……え!? か、カワイイ!!
「なぬ? カワイイっておいらのことか? な、なに言ってやがる!
おいらは誇り高きシン30だ。カワイイなんて言うんじゃねぇ」
だって、わたしミーアキャット好きなんだもん。
それも小鳥の羽がついてるなんて、すっごくカワイイ!!
「だっこすんじゃねえ! 頬ずりもやめろ!! だいたい、てめえだってデカイ山背負ってるじゃねぇか!!」
わたしにも? 振り返ると、背中にはたくさんの牛や豚、鶏や魚、米や野菜、果物が山のようにのしかかってる!!
「っつつ!! 耳もとでデカイ悲鳴あげやがって。
分かったか? あの山の下には、てめぇで食ってきたもんの重さに耐えきれねぇで押し潰されてる人間が沈んでやがんだ。上のもんが土に還るまでな」
こんな大きな山が土に還るなんて、いったいどれくらいかかるの?
「さあな。おいらの知ったこっちゃねぇが、50年や100年じゃ還らねぇだろうな」
そんな……。
「それに最近じゃ、土に還る時間がますます伸びてるようだしな」
どうして?
「おいらが知るかよ。前にきたヤツは酸化防止剤とか保存料だとか言ってやがったが、おめぇ何のことだか知ってっか?」
詳しくは知らないけど、食べ物の味を変えなかったり、腐らせなかったりする添加物だったと思う。
「あぁん、それでか。なるほどな」
だけど、そんなの今じゃ当たり前の話じゃない!
「おいらに言うな。何を使ってどんだけ腐らねぇ時間が伸びようと知ったこっちゃねぇんだ。
てめぇがてめぇで苦しむ時間が長くなるだけのこった」
苦しむ……? そうだ! ここってどこなの? どうしてわたしここにいるの?
「あん? 知らねぇか、無理もねぇな。ちょっとこの道の先、見てみな」
道の先? ずっと遠くまで続いているけど……。
「もっと先さ、おめぇの目で見える限りのいちばん遠い場所見てみろ」
……なんだろう? 虹色に光る場所があるような……?
「あれがあの世の入り口さ。ここはあの世へたどり着くまでの通り道ってわけだ」
あ、あの世!!!!
どうして、わたしが? あの世? そんな、わたし、死んじゃったの?
「そう驚くこともねぇだろ。世界中で毎日何人死んでると思ってんだ?
おめぇ一人だけ死なねぇ道理はねぇぞ?」
そんなこと言ってるんじゃない! どうしてわたしが? 死ぬつもりもなかったし、病気でもなかった……そうか……事故。
わたしは事故に巻き込まれて死んだ。そうなんでしょ!
「だからおいらに言うなって。おめぇがここに来た理由なんて知るかよ。ただ……」
ただ?
「おめぇは、この道を引き返すことができんだ。でなきゃ、おいらはきやしねぇ」
引き返せる? それって、生き返れるってこと?
「さあな。引き返したヤツがどうなるかなんて知らねぇよ。ま、いちど引き返してから戻ってきたヤツはいねぇけどな」
だったら、わたし引き返す! こんな何も分からないまま死ぬなんて嫌だもん!
「好きにしな。ただし、戻ったところでどうなっても、おいらは知ったこっちゃねぇからな」
分かってるよ。あんたは何にも知らないもんね。
「バカにするな! おいらは誇り高きシン30だぞ。
だったら一つだけ教えといてやるよ。
おめぇがここから引き返したらタイ29になるんだからな」
何よそれ、それこそ言ってること分からない。だけど……。
「なんだ?」
出てきてくれてありがとう。わたし、一人で心細かったんだ。
「何をいまさら。おめぇはずっとおいらを拠り所にしてたじゃねぇか」
どういうこと?
「おめぇが分からねぇことが、おいらに分かるかよ。ほら、さっさと行きな」
あなたも一緒にこない?
「行けるわけねぇだろ。こっから先は、おめぇ一人で戻るか進んであの世行きかの二つに一つだ」
分かった。わたし、戻る。
「そうしな。もう二度とおいらに会いにくるんじゃねぇぞ」
シン30に送られて、わたしは元きた道を進んでいった。
どれほど歩いたんだろう。
きた時よりもずっとずっと長い道のりを歩いている気がするけど、だんだん空が晴れてきて、雷のゴロゴロ鳴る音も聞こえなくなってきた。
さらに進むうち、だんだんわたしは気が遠くなり……。
「目を覚ましたぞ!」
「救護班を早く呼んで!」
なんだろう? まわりがずいぶん騒がしい。
わたしは担架に乗せられ救急車で病院へと運ばれる。
胃の洗浄と点滴を受けて、どうやらわたしは一命を取り留めたらしい。
関係者の人が心配そうにやってきて頭を下げる。
関係者?
ようやく何が起きたのか思い出した。
わたしは大食いの全国大会の決勝まで登り詰めた、ちょっとは名の知れたフードファイターだった。
今年も決勝まで進み、最後の難関。
毎年、決勝の課題は250gステーキを何皿食べることができるかを競う。
現在の最高記録は29皿の7250g。7.25kgだ。
2年前に打ち立てられた大記録で、以来、誰がチャレンジしても超えることができなかった。
わたしはこの29皿の壁、30皿7.5kg完食を目標に胃袋を鍛えてきたんだ。
そしてこの新記録の樹立を最後にフードファイトから引退することを決めていた。
だから、限界を超えているのが分かってても無理に詰め込んで、そして……。
気を失い、生死の境をさまよいながら長い道のりを歩いていたのは、5分にも満たない間の出来事だったそうだ。
シン30?
そうか!
なんてことはない。シン30は『30皿新記録』のこと。
そしてタイ29は『29皿対記録』のことなんだ。
もしあの時に意味が分かったとしたら、素直に引き返せただろうか?
わたしは参加前に「死んでも記録更新します!」と豪語したんだ。
戻れると教えてもらったとしても、名誉と意地を選んであのまま歩き続け、山の一つになっていただろう。
シン30
あなたはわたしのプライド……拠り所そのもの。
あなたが別れてくれなければ、わたしは引き返すことなんてできなかった。
だから、もうあなたに会うことは二度とないよ。
これまでの食べ方は、今日から改めるから。
いずれまたあの道を歩くとき、わたしが背負ってる山は、少しは小さくなってるかな?




