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たぬき

 仕事の帰りにまた電車が遅れていた。

 もうカンベンしてほしいよ。

 今日は娘の誕生日で早く帰るって言ってあるのに。

 スマホで家に状況を伝えると、妻は、仕方ないなあとあきれ声。娘に替わると「早く帰ってきてね」と言われた。

 ほんと、もう、飛んで帰りたい。


 駅の放送も正確な情報が届いていないらしく、行き先のホームが何度も入れ替わり、ぶち切れた中年男性の怒声が響く……そんな怒鳴ったところでどうしようもないって言うのに。

 とにかく少しでも情報が知りたくて改札に向かうと、同じことを考えている人たちの黒山ができていた。

 そしてここでも別の男性が駅員さんを怒鳴り散らし、その怒気にあてられた人たちが殺気立っている。


 その時、運良く途中まで行く電車が来るとの放送が入り、怒鳴っていた男性は捨ぜりふを残してホームへと走り、他の乗客もホームへと急いだ。だけど、帰りたいのは逆方向だ。少しまばらになった改札に近づいて他の乗客とのやりとりを聞いていると、遅れの原因は信号機の故障で、修理は終わっているため順次運行を再開するらしい。

 仕方ない。スマホゲームで時間でもつぶそうかと思っていると、乗客の中の1人が駅員さんにすっと近寄って尋ねた。

「では、しばらく時間をつぶそうかと思いますので、この近くに美味しいコーヒーの店でもありますか?」

 駅員さんは一瞬あっけにとられたけど、気を取り直し、「正面ゲートから4番の出口を出て左へ15m行くといい雰囲気のおいしい店があります」と告げる。

「どうもありがとう」

 乗客……いや、紳士はニッコリ笑って改札を出て行く。

 見ると、何人かの乗客は紳士と同じ方角へ歩いていこうとしているけど、なんだかその表情はさっきまでの殺気立ったものじゃなく、大人の余裕が感じられる。

 約束の時間には40分も遅れてしまったけれど、待っていてくれた娘が9本のうち1本だけ残ったロウソクの火を消そうと必死になって息を吹きかける顔と、受け取ったプレゼントの包みを開けて喜んでくれた笑顔、そして妻と一緒になって笑いあって、電車が遅れたことなんてもう頭のすみのカケラにさえ残っていなかった。


 数日して、今度は線路内に人が立ち入ったとかでまた電車が遅れていた。

 ふと思い出して、あの喫茶店に行って見ようと思った。

 正面ゲートから4番出口を左に15m。

 ごく普通に見える喫茶店の入り口を入ると、芳しいコーヒー香りが漂って来る。

「いらっしゃいませ」

 カウンターの向こうからマスターが迎えてくれた。


「……そう、だったんですか。まんまと一杯食わされました」


 そう言うとマスターは、「ん?」と言って、すぐ「ああ!」と笑う。

 間違いない。あの時の紳士じゃないか。

「あとを着いてきた人たちのあっけにとられる表情が好きでねえ。あんなに怒っていた人たちが、私の正体を知って苦笑し、やがて笑い出すんです。しかも、その人たちには50円値引きするんですよ」

 笑いながら出してくれたコーヒーは、確かに美味しい。

「駅員さんとはグルですか?」

「常連さんです。こんな方法ですが乗客の方からの怒りをそらす一助になっているんですよ。

 それに、私は一杯食わすんじゃありませんよ。一杯飲ませるんです」


 涼しい顔のマスターの言葉に、店の名前の由来がよく分かった。

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