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3つの願い

 真っ黒なカーテンで閉ざされた部屋で黒いローブをかぶり、金文字で印刷された古い本を片手にあやしげな呪文をつぶやいているのは、この部屋の主人だった。

 何年も前から計画を立て、あらゆる手段を尽くしてこの本を手に入れてから、儀式に最適なこの部屋を手に入れて会社の重役たちからもようやく逃げ出すことができた。

 悪魔と契約を交わせば魂と引き換えに3つの願いを叶えてくれる……今どき誰も本気にはしないが、男は大真面目だ。

 呪文を唱えると床に描かれた魔法陣から煙が立ち昇り、ねじれた角の生えた悪魔が現れる。


「古臭い呪文で俺様を呼び出したのは貴様か?」

「そうだ、ぜひ叶えてもらいたいことがあるんだ」

「俺様を呼び出し、願いを叶える以上、貴様の魂は俺様の物になることを承知の上でか?」

「もちろん承知している。私の命を捧げても叶えてもらいたい願いがあるのだ」

 悪魔は心の中で嘲り笑う……人間の浅はかな考えなど知り尽くしている。手のひらの上で踊らせて絶望に陥れ、魂まで奴隷にできるチャンスだ。


「ただしルールがある。必ずこの場で望みを3つ言うこと。そして叶えられない望みがある。望みは3つ以上増やせない。魂を奪わないという望みはだめだ。不死や天国に行けるというのもダメだ。それ以外ならどんな願いでも叶えてやろう」

「本当にそれ以外なら構わないんだな?」

「貴様の思いどおりになると約束しよう」

 念を押す男に、悪魔は自信たっぷりに答える。

 これまで数え切れないほど同じ契約をしてきたのだ。


「ならば1つ目に、私の会社が倒産しかかっている。そうなれば多くの社員が路頭に迷う。経営状態を回復してくれ」

「いいだろう」

 悪魔は指をパチンと鳴らした。

「これで倒産はまぬがれた」

「どうやってそれが分かる?」

「ケータイを持っているだろう? 連絡してみろ」

 男があわてて常務に電話すると……。

「社長! 今どちらですか? 大変です! いえ、良いほうです! 絶望的だった例の国家開発事業が我が社に落札されました。これで我が社は安泰です! 早く戻って陣頭指揮をお願いします!」

 男は胸をなで下ろす……たくさんの社員やお得意様に迷惑をかけなくてすむ。

 男の安堵する表情を見ながら悪魔も笑う……そもそも悪魔に頼ろうとするのは、神頼みさえあきらめた時だ。

 そんな絶望の淵から生還を果たし、生きる希望を取り戻したまさにその時に魂を奪う……最高の絶望へと突き落とす瞬間だ。

 悪魔は舌舐めずりしながらその時を待つ。


「次の願いを言うがいい」

「最近、娘に言い寄ってくる良からぬ男が増えている。あいつはちゃんとした家に嫁がせたい。それまでは妙なやからが寄りつかないようにして欲しい」

 願いを聞いた悪魔は即座に指を鳴らす。

「これで大丈夫だ。安心しろ」

 こればかりは確認することはできないが、1つめの願いのこともあり、男は悪魔の言葉を信じる。

 悪魔はまたしてもほくそ笑む……良からぬ男と思っているのは父親しかいない。親の欲目で思い違いをしているだけで、今時のガキはけっこうしたたかだ。

 裏を返せば我が子すら信用していないだけだろう。こんな願いを叶えさせられた娘はハタ迷惑もいいところだ。


「さあ、最後の願いを言え」

 悪魔に促され、男は、そこで大きく深呼吸する。

「……私は昭和の初めに生まれ、幼い時に戦争が始まった。それから終戦までに家は焼かれ父親は戦死し、母親と姉と幼い弟は空襲で死に、一〇歳だった私はたった1人で必死になって生きてきた。

 死ぬような思いで生き抜き、働いたおかげで事業も大きくなり、今日また安泰になると分かった……これで充分だ。

 すでに私は医師からは余命幾ばくもないと宣言されている。何も望むことはない。

 ただ一つ、私がこの世から去るにあたって、どうしても叶えたい望みがある」


 言葉を止めた男は、悪魔に優しい視線を送る。

 悪魔であっても、男にとってはまぎれもなく願いを叶えてくれる相手だ。憎いはずがない。

 そんな視線を向けられたことのない、これまで人間から『悪魔』と罵られてきた悪魔は少し動揺したが、男に早く願いを言えと促す。

「世界中から戦争をなくしてほしい。もう誰もあんな思いをしなくてもいいように。今日は母と姉弟を失った空襲の日なんだ。

 この願いが叶うなら……こんな人類にとって大きな望みがかなえられて死ぬのなら思い残すことはない。私は満足だ」

「そ、それは、ちょっと待て」

 悪魔は口ごもる。

 戦争など、最も都合よく効率的に魂を集められるものだ。

 多くの悪魔が戦場を縄張りにしているし、いくつもの派閥もある。戦争をなくすなど悪魔界の魂問題に大きな波紋を起こすことになりかねない。

「さあ早く叶えてくれ。ルールは外れていないし、叶えられない望みにもなかった」

 男の表情は覚悟しているため凛として涼しげだった……確かにルールにはないし、叶えられない望みにも入れていない。しかし、この望みを叶えるわけにはいかない。


「ほ、ほかの望みはどうだ? 世界一の大富豪にしてやろう。プール付きの豪邸で、世界中から最高の酒と料理を集め、毎晩各国の有名人を招き、週末は豪華な客船で船上パーティーと洒落こもうじゃないか」

 悪魔の提案に男は静かに首を振る。

「私にはもう必要ないものだ。それに社交界のパーティーなどもう飽き飽きだ」

「ならば絶世の美女はどうだ? お前の望むだけ何人でも連れてきてやろう。これから毎晩お前の好き放題にさせてやる」

「私には長年連れ添った愛する女房がいてくれる。それで充分だ」

「名誉をやろう! 国中の勲章を与え、世界からあらゆる賞を与え、お前は世界一名誉ある人間として永遠に讃えられるのだ」

「私は自分の誇りを信じて生きてきた。他人から与えられる名誉はそのあとからついてくるもの……意味はない」

 人間にとって4大欲ともいえるの金銭欲・食欲・性欲・名声欲を断られ、悪魔はうろたえる。

「ならば金と名誉に加え、自由と健康な肉体と長寿を与えてやろう。つまり、今ここで願いを叶えても魂を奪うのはお前が天寿をまっとうしてからだ。それまでは自由にしていい」

 かつてこれほど譲歩したことはなかったが、悪魔界全体に波及する問題だ。

 叶えてやって悪魔界に戻れば糾弾されて裏切り者にされ、叶えずに戻れば契約不履行と糾問されて腰抜け呼ばわりされる。

 悪魔関係は人間関係以上に複雑でデリケートなんだ。

「戦争をなくす以外の願いならなんでも叶えてやる。どうかほかの願いにしてくれ」

「それは出来ない。私の魂がかかっているんだ、ほかの願いが叶ってもなんの意味もない」

 ガンとして言い張る男に、ついに悪魔はあきらめる。

「だったら、この契約は最初からなかったものとして破棄だ! こちらから一方的に破るのだから、先の2つは特別にそのままにしておいてやる」

「ま、待ってくれ……!」

 呼び止めたが、悪魔は煙となって魔法陣の中へと消えた。

 こうなったら逃げるが勝ちだ。最初から何もなかったのならば問題ない。

 仲間には「また人間を1人絶望させてやった」と言っておけばメンツは保たれる。


「……どうして、叶えてくれないんだ!」

 男はしばらくうなだれていたが、気を取り直して黒いローブをかぶり、本を片手に再び呪文を唱え始める。

 負けるものか、私はあきらめない! 願いを叶えてくれるまで、私は絶対にあきらめないぞ!


 ……しかし、そろそろ願いも尽きてきたな……。


 最初の2つの願いを何にするか悩みながら、男は13人目の悪魔を呼び出し始める。

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