子守唄
静かな、静かな歌声が、海底から響きわたる。
年老いたクジラの歌は、地球すべての海を数時間で駆け巡った。
どれほど長いあいだ歌い続けてきただろう。
寿命か、それとも別の原因なのか……それは分からない。
分かっているのは、これが最後の歌になるということ。
やがて仲間だけでなく、イルカやアザラシ、マグロやサケ、そしてイカやタコ、サンゴに至るまで、海に暮らす生き物たちが歌声にあわせハーモニーを奏で始める。
年老いたクジラの体からゆっくり力が抜け、深い深い海の底へと沈んでいく。
アフリカの乾いた大地に暮らすゾウは、足の裏に伝わる振動から人間の耳には聞こえない低周波によって、数十キロも離れた仲間と会話し、自らの体調や水のありか、集合場所の連絡を取り合っていた。
彼らはその熱い大地をものともしない、分厚く、しかし繊細な足の裏で、はるか遠い場所からの歌声を聞いた。
ゆったりと静かに……まるで地球そのものが歌っているいるかのようなリズムにあわせ、象たちは力強く足を踏みならし応える。
見渡せば、ライオンやリカオン、サイやシマウマ、フラミンゴたちもみんな歌っている。
頭上には、空の両端をまたぐ巨大な橋のように、長い尾を引く彗星が輝いていた。
新たに発見された巨大彗星が地球に直撃することが判明してから二年。
核ミサイルによる破壊は失敗し、人類の地球外脱出計画も各国の思惑が絡み合い、気がつけばタイムリミットを過ぎてしまった。
世界中でパニックが相次ぎ、わずか二年の間に人類は20分の1までその数を減らした。
天空に巨大な彗星の姿が覆っている現在、もはや騒ぎ立てる者は誰もいない。
生き残った人々は、彗星が頭上に落ちるその時まで心穏やかに生きようと願っていた。
衝突まで数時間。
世界が滅びるまであとわずかな時間しか残されていない地上では、地震や竜巻、豪雨、山崩れなどあらゆる天災に襲われている。
心穏やかになどいられるはずもなく、一人の母親は生まれたばかりの赤ん坊をギュッと抱きしめて震えていた。
その二人を力強く抱きしめる父親でさえ、ただそうするしかない。
まだ言葉さえ理解できない赤ん坊にも両親の怯えや恐怖が伝わり、ずっと泣いている。
……お願いだから、泣かないで……。
手に力がこもるほど、震えが伝わってしまうため、赤ん坊はいっそう激しく泣き続ける。
その時、頭の中に音楽が聞こえてきた。
「あなた、これ」
「ああ、聞こえる。これは……」
歌詞はなく、聞いたことがないはずなのに、どこか、懐かしい。
間もなく死ぬことが分かっているのに、心の奥から何かが突き上げられ、感動し、涙があふれてきた。
すべてが失われるこんな時に、両親は涙を流しながらその音楽にあわせて声を発した。
ただ、ただ、その音楽に心をあわせているだけで、穏やかな気持ちになれた。
いつの間にか、赤ん坊も心地良い寝息をたてて眠り始める。
この星と、この星の上で繰り広げられてきた何十億年もの歴史に幕を閉じ、最後を迎えるにふさわしいフィナーレ。
白く長い尾を引く星は、すべての命の源といえる星の大地の底に深く深く潜り込む。
地球に暮らしていたすべての生き物が奏でる歌声は、彗星が衝突した瞬間にかき消された。
どれほどの時間が過ぎただろうか。
それが数百億、数千億年であったとしても、広大な宇宙から見ればほんの一瞬のことなのかも知れない。
突然、赤道にそって地面が水平に陥没した。
半分に割れた地球は、さらに垂直に分割する。
地球であったものは次第に質量を増やし、目や手足の元となる部分が生まれ、成長していく。
ベビーベッドで寝むっていた生まれたばかりの赤ん坊は、怖い夢でも見たのだろうか、急に泣き出して目を覚ました。
「どうしたの、こわい夢でも見たの?」
母親が抱き上げて、背中を優しく叩きながら子守歌を歌うと、赤ん坊は満面の笑顔をうかべる。
まるで生まれる前から、その歌をよく知っているかのようだった。




