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雨の向こう

 一人旅の途中、列車が嵐で立ち往生してしまい、私と同じコンパートメントの向かいに腰掛ける初老の男性が、窓の外で激しさを増す雨を眺めながら話しかけたのは、本当に時間を持て余していたからだけなのだろうか。


「こんな嵐の中、お嬢ちゃん一人で旅行かね」

「あら、私はこう見えても一人前のレディよ。子ども扱いは遺憾だわ」

「これは失礼。ずいぶんとお若く見えたもので」

 男性は紳士的に微笑みながらボウシを少し持ち上げてみせた。


「いいわ。よく言われるもの。あなたこそ、この嵐でどこへ行くつもりなの」

「ワシは長年の友人たちと初めて会いに行く途中なんだ」

 そう答え、また視線を窓の外へと向ける。

「長年の友だちなのに、初めて会うなんておかしいわ」

 私が言うと、男性は目を細めながらこちらを向く。

「お嬢さんはパソコンという物をご存じですかな」

「知っているわ。昔の通信手段で、いちいち回線をつながなきゃいけないなんて面倒なものね」

「ええ。今から思えばずいぶんと面倒なシロモノだが、ワシらにはそれが最先端の時代だった。

 顔も本当の名前も分からない相手と、趣味の話で盛り上がったり、意気投合したり。

 そうそう、時にはののしり合って、管理人から出入り禁止の制限を食らったこともあったかなあ」

 懐かしそうに語る目に、活き活きした光が蘇っている。


「しかし……」

 つぶやいて椅子に深く腰かけた男性は、ふうっと息を吐いて目線を天井に投げた。

「どれほど分かりあったつもりでも、しょせんはこちらの箱とあちらの箱を結ぶ細い回線が頼り。

 どちらか一方の気まぐれで、それは二度とつながることのない危険性を常に持っていた」


 そのとき、嵐はだんだん治まってきているので、線路状況が確認されしだい運行が再開されると情報が入ってきた。

「それならもうすぐ出発できるのだね」

 伝えると、男性は私に穏やかな眼差しを向ける。

「ワシの昔話よりも、お嬢さんの話を聞かせてくれないか」

「私は特に変わったことなんてないわ」

「そうか。ワシには孫がいないので、お嬢さんの年頃の感覚にはなかなかついて行けなくてね。

 複合思考体というのはどんな感覚なのかね?」


 どんなと言われても、言葉では表しにくい。


 19年前、世界中のコンピュータが次々と原因不明のシステムエラーを起こし、すべてが使用不能となった。

 当然、世界経済はガタガタとなり、連鎖倒産が起こり、連日、十数人単位の行方不明者が相次ぐ史上最悪の事態が引き起こされた。


 その数年後、事態が落ち着きを取り戻しかけた頃から生まれ始めたのが、私のように複合思考体と呼ばれる子どもたち。

 思考を自分だけの中にとどめないで、他人の持つ考えや記憶を共有することのできる能力を、生まれながらに持つ人間だった。


 最初のうちはテレパシーと混同されていたけれど、中身はまったく違う。

 私たちは同じ複合思考体どうしとしか意識を共有できない。


 昔のコンピュータネットワークに例えるなら、同じOS、同じブラウザでなければ伝わらないし、伝えられる内容だって個人の恥ずかしい情報のすべてじゃない。

 誰かに見せてもいいと思えるくらいの情報しか共有できず、これを昔のホームページに例える人がいるけれど、ちょうどそんな感じ。

 それに無理やり誰かの秘密を探ろうとしても、相手が誰なのか筒抜けになるばかりか、思考体どうしでそんなことをする人だとバレると、誰からも相手にされなくなる。

 便利なように見えて案外シビアな能力なのに、いまだ大人たちの中には誤解して、人の考えを盗み読んだり、のぞき見に使っているなんて失礼な表現をされることもある。


 だけどそれも、私たちが大人になる頃には無くなっているだろう。

 生まれてくる子ども全員が複合思考体になったら、それが『普通の人間』なんだから。


 私の話を聞き終えた男性は、大きくうなずいて悲しそうな表情を浮かべた。


「あの混乱はひどかった。

 普段の生活での友人が行方不明となり、ネット上で知り合った多くの友人と連絡が途絶えてしまった。

 ずいぶん心配したが、ワシは最悪のことを知るのが恐ろしくて、あえて探すのは止め相手が連絡をくれるのを待ったまま、いまだに連絡を待ち続けている友人もいる。

 忘れずに待っている人間がいる間は、彼らは決して死ぬことはないとワシは信じている。

 しかしお嬢さんたちは、たがいに伝え合える能力があるため大切な友人が亡くなってしまったら、ごまかしようもなくそれを知らなければならないのだね」

「そうね。だってそれが普通なんだもの。

 私たちは毎日必ず誰かが死ぬのを共有しているわ」

「毎日必ず、か……お嬢さんは、いや、君たちはワシらより進んだ人間だと思っていたが、その分ワシらより大きなものを背負わなければならないのだな」

 男性は複雑な表情で私を見る。

「勝手に決めないでほしいわ。さっきも言ったけど、私にはこれが普通なの。

 あなたたち大人がどう考えようと、これからの私たちはこれを当たり前のものとして生きていくんだから」

「そうか、そうだな。すまなかった」



 次の駅に到着し、この駅で降りる男性が私にメモを差し出した。

「なによこれ?」

「これがワシの初めて会う予定の友人たちのリストだ。

 もしかするとお嬢さんにも心当たりがあるかと思ってな」


 意味が分からなかったけど、せっかくだから受け取ったメモを開くと、リストに私の名前があった。


「あの時、コンピュータは本当に使用不能になったのか。行方不明者がどこへ消えてしまったのか。

 それは誰にも分からないし、これからも分かるはずがない。

 ただワシだけは決して彼らのことを忘れないつもりだよ」


 男性が去ったあと、もう一度手渡されたメモに目をやると、私だけでなく、私の友人たちの名前もいくつか記してある。


 男性が何者だったのか、彼はどうしたかったのか……。


 まだ降り止まない雨を窓の外に見ながら、私はメモをギュッと握りしめた。

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