今の時間を
今の記憶を持ったまま子どもの頃に戻れたら。そんなことを一度は夢みた人は多いのではないだろうか。
私がそれを経験してからずいぶんと過ぎた。
今さら思い出したくもないが、当時の私はいつもこうなることを夢見ていたんだ。
パッとしない大学に進み、パッとしない会社にギリギリで滑り込めたものの営業成績は上がらず、後輩にもどんどん追い抜かれ、まっ先にリストラ。
この歳と不況の中では就職先も見つからず、結局、年老いた両親と同居して、人数が足りない時だけ呼ばれる夜間警備員のアルバイトをしながら日々過ごす毎日。
子どもの頃は良かった。なんの心配もせずに明るい将来を夢みているだけで、ただ生きるだけのことがこんなにも大変だとは考えもしなかった。
ああ、あの頃に戻りたい……と。
ある朝、目が覚めると部屋の様子が違っていた。古くてうす汚れた家ではなく、ずいぶん新しく見える。それに、昔、夢中だったヒーローものの怪獣のオモチャが並べてある。
そうか、ここはまだ夢の中なんだ。子どもに戻りたいという強い思いが懐かしい夢を見させてくれているのだろう。しかし、夢だと気づいたということは本当に目が覚める直前だ。これが終われば、また現実の世界に戻らなければならない。
「なにグズグズしてるの? 起きたのなら早く学校に行く準備をしなさい」ドアを開けた若い時の母が、私に催促する。
なんともリアルな夢だ。懐かしい。あの頃は毎朝叱られながら準備していたな。
「何度言ったら分かるの! 早くしなさい!」
ふとんをはぎ取られベッドから転がり落ちた私は、ようやくこれが夢でないことに気づいた。
当時の細部までは覚えていなかったため、最初こそ戸惑った私だったが、小学生の勉強くらい楽にこなせた。
頭がいいとクラスの者たちから見直され、将来好きになるあの子とも仲良くなった。前の時間では口をきくことすらできなかったのに比べると雲泥の差だ。
それで私はこれを金儲けに使えないか考えた。記憶が残っているということは、これから起きる出来事をあらかじめ分かっているということだ。だったら何がいいだろう?
例えば予言者。未来に起きることを予知して宗教集団を作り信者から金を貪る?
いやいや、いくらなんでもそれはできない。できるとすれば、将来そんなことをする集団に入らないよう呼びかけるくらいだ。そもそも、大きな出来事が何年の何月何日だったかうろ覚えなので、予言そのものが成り立たない。
将来大流行するものを先に作って売り出す?
何がいつ流行っていたっけ? それに流行ると分かっていても、それを作る資金も技術も私にはない。
中学、高校へと進んだ私は、すでに天才でもなんでもない普通の生徒になっていた。変わったと言えば、以前の時間を繰り返さないよう、努力するようになったところだ。おかげで前より高いレベルの大学へ進学を希望できるようになった。
やがて大学を卒業した私は、一流とまではいかないまでも、そこそこの企業に入社して、それなりの成績を残せるようになった。
パッとしなかったとはいえ、前の時間でも自分なりのやり方と成績の良かった者たちのやり方を見てきた。ただ、あの時はつまらないプライドが邪魔をして素直に真似できなかったんだ。
そして独り身だった以前と違い、結婚。相手は小学生の時のあの子で、先月長男が生まれたばかりで、私によく似ている。
そんなおり、私は特許申請という方法を思いついた。これから流行るものだけは分かっているんだ。自分で作れないなら、先に特許を取ってしまっておけばいい。
あとから“それ”が完成して、いざ作ろう、名前を使おうという段になって、すでに権利は私のもの。あの時間に戻ってくる歳まで、まだ20年以上ある。覚えているだけでもやっておこう。
特許事務所を通すと料金がかかるため、仕事の合間に申請方法を調べ、自分で有名だった商品の名前や動作方法を次々登録していった。
これで大金が手に入る。妻や息子にもお金で苦労かけずにすむし、あの時、苦労をかけた両親へも恩返しができると期待しながら。
ところが私の期待とは裏腹に“それ”が販売されてしまうと違う名前だったり、動作方法が違ったりと、私へ支払われるべき料金はまったく入ってこなかった。
意地になってさらに登録しても、また同じことが繰り返される。登録料もバカにならず、とうとう私は特許料金という方法をあきらめ、今の自分の仕事を精一杯がんばることにした。
ある日のこと、次の営業先に伺うまでの時間つぶしに喫茶店でコーヒーを飲んでいると、あとからやってきた男性に声をかけられた。
「おや、あなたは以前よく特許申請に来られた方ではありませんか」
「そうですけど、あなたは?」
「これは失礼、こんな場所なのでお気づきにならないと思いますが、特許庁の職員で、よくあなたの申請書を受け取っておりました」
「そうでしたか。それはお世話になりました」
「最近はお見えになりませんが、どうかされましたか」
「いえ、もう特許では儲からないなと思いまして」
「そうですか、それは残念。
ところで、おかしな質問ですけれど、時間超越という言葉に心当たりはありませんか?」
いきなりの言葉に、思わずコーヒーを吹き出してしまい、男性を凝視してしまった。
私の反応を見た男性は、ニッコリ笑って大きくうなずく。
「次の日曜日にあなたと同じ経験をされた方々の集まりがあります。
もし興味がおありでしたら参加してください」
男性は地図の描かれたメモを置き、丁寧に頭を下げて店を出て行く。
もちろん私は参加するつもりだ。
日曜日。
貸し切りの店には12、3人が集まっていた。男性も女性もいたが、若者の姿をしている者は私を含めて3人。そこへあの男性がマイクを持ち、私をみんなに紹介し、拍手で迎えられた。
同じ経験をした者どうし、最初から親近感を持って話せ、これから起きるだろうことを『昔話』として語り合えたのだから。
「どうして私が未来から来たと分かったのですか?」会合が終り、私は男性に話しかける。
「未来から来られた方は、同じことを考えられ、申請に来られるのです。
私も職員として長いですからね。どんな発明を持ち込まれる人が未来から来られたか、だいたい分かります」
「ひょっとして、私の申請がどれも採用されなかったのは……」
「私ではありません。時間軸というものは、どうやらある程度の柔軟性を持っているようなのです。
こうなるべきだったものが、先に起こされて少し変化したとしても、大きな流れが変わることはない。
あなた自身に関わる物事が多少変わったとしても、世の中の出来事すべてが変化したわけではないでしょう」
確かに男性の言うとおりだ。
「それで、あなた自身は以前の時間にいた時よりも良くなりましたか? それとも……」
「今のほうが幸せです。以前の私はなんの努力もせずに、ただ甘えてばかりでした」
本当はこの男性が神様で、私の時間を戻してくれた本人かもしれない。
「でしたらこれからも、今この時間を大切にしてください」
ニッコリ笑った男性は、深々とおじぎをして立ち去っていった。




