死神のパン
その死神は『窯』を持っていた。『鎌』ではなく『窯』だ。
パンが大好きなその死神は、専用の窯を造っていつもパンを焼いていた。
今日は死神としての仕事に行かなければならなかった。仕事とはもちろん人間の魂を連れてくることだが、パンの焼け具合が気になって仕方がない。そこで、少々時間には遅れるが、パンが出来てから仕事に出かけることにした。そのため普段より集中したのだろうか、パンはこれまでで最高の出来に仕上がった。
あまりの出来に、死神はパンを持ったまま人間界に出向いた。
「ワシにもとうとうお迎えが来たようだ、ほらそこに死神が来ているんだ」
田舎町に暮らしていた老人は、やって来た死神を見て己の死期を悟り、枕元にいる妻に言ったが、夫が指差す先に妻は何も見えない。
「何を言ってるの、わたしには何も見えませんよ」しかし妻にも、夫の死期が近いことは分かっている。
「この世に名残りは惜しいだろうが、こちらも仕事だ。あきらめてついて来てもらおうか」
死神が手を差し伸べ、老人もその手をつかもうとしたが、死神が小わきに抱えるパンが気になった。
「なぜ死神がパンを持っているんだ?」
「オレの楽しみだ。今日は最高のパンが焼けたのでな……ふむ、せっかくの出来だ、お前にも分けてやろう」
死神は鎌で切り分けたパンを老人に差し出す。
「神から与えられるべき最期のパンが、まさか死神から与えられるとは……」
老人は一切れ口へ運んだ。
「ふむ。確かに旨い……しかし、窯の中の温度調整に失敗しておる」
「何だと!?」
老人の言葉に、死神は怒りをあらわにする。
「パンを切った断面を見てみろ、中心から外側にかけて気泡にばらつきがある。これは焼き上げの時に温度にムラがあったからだ」
言われてみると確かに。
改めて食べてみると、歯触りが悪いことに気づいた。
「惜しいのう、ワシはパン職人一筋で生きてきたが、誰もワシのように焼ける者はいなかったが、まさか死神が焼いたパンが一番近かったとはな……」
「お前はこれ以上のパンが焼けると言うのだな?」
「ああ……だがワシの体ではもうムリだ。パン造りにはとても体力がいる」
「オレにお前の焼きかたを教えてくれ。だが、そのために寿命を伸ばすというのはムリだ。お前の命は神が決めることでオレじゃない。
ただ、オレの力でお前に2つの選択肢を与えることができる。
1つは死神の世界に連れて行き、お前が死神になることでずっとパンを焼き続けられる。もう1つは、1度だけここでパンを焼くことができる体力と時間をやれる」
「それならもう1度、妻のためにパンを焼いてやりたい」
たった今まで死の淵にいた夫が急に立ち上がり、パン造りの用意を始めたことに妻はあっけにとられ、しばらく声をかけることができなかった。さらに、夫がこれまで生涯をかけて打ち込んできたパン造りの姿を再び目にし、もう何もかける言葉が見つからなかった。
「出来たよ。ワシの最高傑作だ」
当たり前のように差し出されたパンは、こんがりパリッと……そしてふんわりと、これまで食べてきたパンの中で、最高の味わいだった。
「おいしい、あなた……本当においしい……」
「それじゃあ……だが、ワシはもう行かなきゃならん」
「あなた……ええ」
「おまえがいてくれて、ワシは本当に幸せだった」
「わたしも、あなたと一緒にいられて幸せだったわ」
老人はベッドに入り、そのまま眠るようこの世を去った。
天国で暮らす老人の元に、今日も死神がやって来た。
「ふむ、だいぶ上手くなった。この分だともうすぐワシと同じほどのパン職人になれるぞ」
「今度のはどこが悪かったんだ?」
「二次発酵の時間が少し長かったろう?」
「うむ、神から呼び出しがあって、少し出かけていたんだ」
「イーストは生き物だ。生き物はほんのちょっとしたことですぐに機嫌を損ねるから、大切に扱ってやらんといかん」
「死神のオレに、生き物について説教したのはお前が初めてだ」
天国のうららかな陽射しの中で、楽しげに笑う老人とパン好きの奇妙な死神は、もう一切れ嬉しそうにパンをほおばった。




