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月下の星使い(4)撤収

「ここまでくれば――大丈夫だろ」

 侵入時に傾きかけていた上弦の月は、まもなく沈もうとしていた。

 最後の魔術士を仕留め、急ぎ撤収した二人は、山裾に口をあけた洞の中にいた。

「星天第三式、灯火」

 星霊力で小さな光霊を作り、その場に浮かべる。二人の影が洞窟の中に映った。

 落ち着いて石に腰を下ろすと、すぐにルーナが口をとがらせた。

「もう、上手くいくって嘘ばっかり」

 そう言われれば全くその通りなので笑ってごまかすしかない。

 フェルナンドも洞の中にどっかり腰を下ろした。

「悪かったって、ルーナ。帰ったらうまい飯作ってやるから」

「じゃあトマトとチーズのリゾット。チーズはトロトロで」

「子供舌のくせにまた贅沢な要求を……」

「フェルナンドが作ったのなら絶対美味しいもん」

「お褒めに預かり恐悦至極。――ほれ、星天術書よこせ」

「ん」

 手を差し伸べると、ルーナは素直にフェルナンドに星天術書を手渡した。

 預かっていた革袋から新しい物を取り出し、交換してやる。

 使い捨ての術書とはいえ、棄てずに済むならその方が安くつく。残数には余裕があるから、このまま逃げ切れるならば残りは廃棄せずに済むだろう。

「ほれ、予備」

「ありがと」

 受け取ると、ルーナは手早く表紙に手を触れ術書を起動。 

「ことばよ、星を得てかたちとなれ」と一言。

 第四式の探知術が周辺に広がったのが解った。

 フェルナンドも、自分の術書の記述補充に移る。腰の後ろに固定していた本を取り外して手元に置いた。

 星図を模した革地の表紙、そこに埋め込まれた宝石は七色からくすんだ灰色に変わっていた。自前で仕込んだバネ仕掛けでそれらの宝石をまとめて取り外すと、革袋へ放り込む。

 それから本を開けば、前半の三分の一ほどは白紙。やはり無詠唱や短縮詠唱を使う機会が多いと汎用記述の減りが早い。

 まだ余裕はあるだろうが、汎用記述はあるに越したことはない。空白になった一ページ目から、フェルナンドは羽ペンで新たに術式を殴り書いていく。

 同じ構文を何度も何度も殴り書いていくと、やはり集中力が減退してくる。自然と字は汚くなるが、それでも術が動くことは動くので星月の精霊だかなんだかはよほど寛大なのだろう。全知全能だかと(うそぶ)くどなた様かと違って。

 あちら様の理屈では、フェルナンドは星月の“悪魔”に惑わされ教えを棄てた、ということになっている。だからきっと死後は地獄だかに落ちることだろう。そうはならないだろうとぼんやりと考えてもいるが。

 仮に地獄に落ちたとしても、フェルナンドはこうも思う。星と月の精霊を悪魔だという連中が語る地獄であるならば、きっとあながち悪いところでは――


「フェルナンドは、死ぬのは怖くない?」


 突然の呼びかけに、少しだけ胸が跳ねた。見透かされたような、それでいてただ話す種がなかっただけのような、ルーナの言葉。

「なんだ、いきなり」

 声だけで答える。羽ペンは動かし続ける。ちょうどいい退屈しのぎだ。

「こんな仕事して、死にそうな目にあって、追っかけられて、怖くない?」

 それはそのままフェルナンドがルーナに返したいような問いだった。

 死にそうな目に遭って、追いかけられるような仕事に、何を好き好んでついてきたがるのか、と。

「さんざん駄々こねてついてきたお前が言うことかよ」

「わたしは怖いよ。すごく怖い。フェルナンドがいなかったらこんなことしないもん」

「だからやめとけって、あれだけ言ったんだ」

「でも。フェルナンドがここにいるから」

「…………」

 このバカは、たまにろくでもないことを言い出すから、困る。

 二束三文の自由人に、どれほどの価値があるのか。フェルナンド自身では解らない。

 ただ少しだけ、依頼の成功率が高いだけの汚れ仕事の魔術士に。

「……俺もこの仕事は怖いさ。けど慣れちまったんだ。他にできることもないしな」

 できることなどない。開祖に星天術を叩き込まれた時点で、フェルナンドの未来はすっかり閉じてしまった。

 脳天気に主だかに祈ること。汗を流して真面目に働くこと。星天術を、世界の真理に迫るかもしれない道具を見なかったことにして生きる――そんな可能性はすべてなくなった。自分自身でそうしたのだ。

 あったかもしれない幸せな未来は、もう選ぶことなどできない。

 そんな自分のロクでもなさに、改めてため息が出る。

「こんな仕事にお前も巻き込んで悪いとは思ってる。本音を言えば連れて来たくはなかった」

 こいつは、そうならないようにしよう、と思ったこともあった。

 だから、やっとこ心を開いた五歳だか六歳だかの子供にろくな説明もせず星天原論を渡した。きっと難解さに飽きて放り出すだろうという確信とともに。

 だが、文字も読めなかったはずの彼女は、厄介なことに――本当に厄介なことに、星天術を習得してしまった。

 いくつかの図版が描かれたページの儀式を手順通りにできるよう手伝ってやり、言語理解の術を教えてやったのが最後だった。

 あとは真綿が水を吸うように、階段を駆け上がるように彼女はついてきた。

『少しでも才能がなけりゃ置いていく』と、ことあるごとに言うが、そんな物はもうとっくにただの負け惜しみだ。

 自分はもう、この可能性に嫉妬と希望を抱き、あまつさえ頼りにし始めているのだから。

「ぜんぜん。悪くないよ。家にひとり置いてかれるほうが、ずっといや」

「だがなぁルーナ。……術は上手くてもお前、夜更かし苦手だろ」

「もう平気だよ。……ぁふ。大人、だから……」

 冗談みたいなタイミングでのルーナのあくび。フェルナンドは思わず吹き出しそうになった。

 赤くなったルーナが悔しそうな、恨めしそうな目でフェルナンドをにらむ。

「動くときには術式で目ぇ覚ましとけよ?」

「だっ、だから、大丈夫だって――」

 わたわたと言い訳を始めたルーナが、何かに気づいたように突然静かになる。

 どこか虚空を見ているようにも見えるが、フェルナンドは状況を察した。

「っ! ……来た! 敵、五人。北北西から。ゆっくりこっちに向いてる。見込みあと十分」

 探知術を展開していたルーナの顔が、言葉とともに切り替わる。

「ち――流石にしつこい。ここで仕留めて先へ行くぞ」

 魔術士はすべて潰したはずだったが、あの金持ちの事だ。追跡用の魔導具でも手下に渡していたのかもしれない。皆殺しを避けたのが逆に仇になったらしい。

 フェルナンドは羽ペンの手を止め、すぐに本を閉じる。それから革袋から予備の宝石を取り出すと、手早く本の表紙へはめていく。

 かちり、かちり。留め具が音を立てて、やがて表紙に色とりどりの星図が完成する。「星よ、応えよ」フェルナンドの一言に光を得て本が力を取り戻す。ベルトで本を縛ると、腰裏に固定した。

「今書き足した分が五ページちょいか――小さい方の予備は残り二冊。恐らくこれで帰るまでもつはずだが……」

「信じていい?」

「当てにしない程度にな」

「かみさま、わたしはもうダメみたいです。背教者は永遠の業火に落ちますのでどうぞさがさないでください……」

「おいおいこらこら」

 ルーナの困らせたがりな冗談に、フェルナンドは思わず頭をかく。

 フェルナンドの無意識の言動が移ったのか、最近はルーナもすっかり背教者が板についてきてしまった。似なくてもいいところまで似てくるのだから、子どもという生き物はまったく厄介だ。

「ふふふ」

 けれど、ルーナの機嫌よさげな笑みで、すぐにどうでもよくなってしまう。

「ったく。いい顔しやがって」

「大丈夫。絶対二人で帰れるって、信じてるから」

 すぐにこんなことを言うのだから、全くたまらない。

 だから、

「それだけわかってりゃ上等だ」

 互いに笑みを向け合うと、頷き合う。

「灯火――式閉鎖」

 フェルナンドが明かりにしていた光霊を消し、二人の準備はできた。

「先手を打つぞ。カウント、五――」

「ん」

 もう言葉は要らなかった。フェルナンドは懐の銀の短剣を抜く。

「四、三――」

 ルーナの呼吸を感じながら、合わせるように静かに数字を数えていき、

「二、一――」

 そして、

「ゼロ」

 瞬間。星が疾走(はし)った。

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