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6月6日 後編

 …地雷どころでは無い。

 扱い方を誤れば町が一つ吹っ飛びかねない。

 彼女を例えるならば、そんな字句が合っている。


 近づくべきでは無いという警報が時折頭の中に鳴り響く。

 だが想定を超える話の数々についつい身を乗り出し、気づけば警報が途切れている。

 作法について厳しく躾られた事は一目瞭然。見た目の雰囲気も相まって、外から見る分にはまさに完璧な貴族令嬢といった姿。

 彼女が今夜こうして口を開かなければ、絶対に近づく事はない種類の人間だった。


「…だからどうしてそこで馬を緑色に染めるという発想になるのだ」

「あら、だって実家の馬は軍馬ではございませんでしょう?特に母様の馬は愛玩用なのです。野原以外駆けませんもの」

 ちなみに今は、子どもの頃図鑑で見たシマウマの模様の効果を測るために、公爵夫人の可愛がっていた白馬で実験をしたという話をしている。

「…結果は?」

 そう尋ねると気まずげに目を逸らし、ポソリと呟く。

「……その…冬の中頃の事でして……草が…何というか…」

 ああ、まずい。本気でまずい。堪えても堪えても口端が歪む。

 枯れた草むらに緑色の変な馬……

「そ……そうか。フ…また今度実験した際には…ぜひ結果を……」

「まあ!それではこちらの馬を一頭……」

「それは断る」

「えっ!?」

「はは……」

 ハ…ハハ!?ハハハでは無い!何を和やかに会話しているのだ!

 違う、今日の本題はそうでは無いだろう!

 胃が痛くなる思いをして帰宅の知らせを出したのは、彼女と馴れ合うためでは決して無い!



 一通りの食事が終わり食後の茶が供される頃、私は拳を一つ握り、ようやく本題を切り出した。

「…君はなぜ自分がアクロイド伯爵家に嫁がされたのか理由を知っているのだろうか」

 大きな緑色の瞳がハッと私を見る。

「何度考えても理由が分からない。分からないというか……不自然だと思っている。君には申し訳ない話だが、婚約の話が持ち上がった時から何度も丁重に断りを入れさせて貰って来た」

 スッと伏せられる瞳。

 年端のいかない少女には、かなり残酷な話をしている自覚はある。

 …泣くだろうか。

 などと思ったのは全くの杞憂だった。


「本当ですわねぇ?確かに普通であれば不自然極まりない話ですわ。時々忘れてしまいますけれど、わたくしはこの国の筆頭公爵家の一人娘でございます」

 …そこ、忘れるところでは無いだろう。

「幼い時分から何処ぞの貴族家に嫁ぐ覚悟はしておりました。ですが確かに十以上も歳の離れた伯爵の元へというのは意外でしたわ」

 正直な物言い。だが不愉快では無い。むしろ話が早くていい。

「そうか。では君も納得している訳では無いのだな?」

「…納得……でございますか?」

「ああ。だってそうだろう?私が相手では、家格といい年齢といい、君の描いた結婚では無かったのだから」


 レジーナが小首を傾げる。

「…納得……わたくし、今初めての言葉に出会いましたわ」

「は…?」

 ここから彼女はおかしかった。

 おかしかったというより……少し不憫だった。

「親の決めた事に対して何かを考えるということを放棄しておりましたの。何を言っても何を願っても、わたくしの人生は自分では決められませんもの。だから与えられた環境の中で楽しむ事ばかりに気が向いて……」

 …楽しむ……。

 私が彼女にした仕打ちは楽しめるような代物では無いはずだが。


 音も立てずに茶を一口飲んだレジーナが、少しだけ纏う雰囲気を変える。

「……わたくしたち、政略結婚でしょう?」

「………ああ」

「それが全てですわ」

 全て……

「わたくし難しい事は右から左なのですけれど、政略的に意味が無い結婚など、母が絶対に許しません」

 今までになく強い口調だった。


「…公爵夫人」

「ええ。正直に申しまして、母は情という言葉の対極におります。貴族の中の貴族。その母が私をアクロイド伯爵家へ嫁がせた事には必ず理由があると思いますわ」

 理由…か。

「それは…王家と関わりがあるのだろうか」

 アーネスト・ウィンストンとの邂逅以来、何度も考えた。

 彼は明らかにレジーナを私の元に留めたがっている。

「王家…でございますか?ああ、社交界の噂話では何度かわたくしと王家に縁談があったようですね。でも噂止まりですわ。ご存知の通り、殿下方はお二人ともお妃様を迎えられましたから」

 …そうなのだ。だから尚更分からない。

 そもそも王家からの防波堤としては伯爵家では弱すぎるのだ。


「…まぁ何にしろ、この結婚はウィンストン公爵家の我儘なのでしょう。ですから…しばらく…ええと…お時間を下さいませ」

「…時間を?しばらく?」

「ええ。必ずあなた様を解放すると約束しますわ。わたくしの事は何も気にせず、好きにお過ごしください」

 そう力強く語る彼女は、とても柔らかく、完璧に微笑んでいた。

 なのにその柔らかさに何故か無性に腹が立つ。

「それはどういう……」

「あなた様に非の無いように致しますわ。…わたくしが至らなかったのだと、そうきちんと社交界で広めます」

「そんな不名誉を被る必要がどこにある」

 アンディの言葉に従うなら、どんな方法を用いても烙印は消えないのだろう?


 思わず眉根を寄せながら彼女の瞳をジッと見れば、少し困ったように視線を逸らしながら彼女がこぼした。

「だって…旦那様にはイゴール夫人がいらっしゃるでしょう?愛人として迎えるにしろ、正妻として迎えるにしろ、ええと……その……あの…旦那様は……健康な…ええと…」

「………は?」


 口を開いたまま、しばし固まる。

 ……開けたままの口から魂が抜けそうな展開だ。

 そうか、私は彼女に何も説明していなかったのだ。これは仕方が無い。私が悪い。

 だが私とミランダが…何だと?

 ミランダこそが私が女性が苦手になった主因なのに?気位が高くて癇癪持ちで、都合が悪くなるとすぐに泣く…

「…悪いが、ミランダと私がどうのこうのという想像は金輪際やめてくれ。蕁麻疹が……」

「まあ!え、ええと……もしや…女性がダメ…ですの?」

 ああ…頭が痛い。違うと説明しようにも、どんな言葉が適切か分からない。

「……失礼しました。そうですわね、どちらがお好みでもわたくしが口を挟む事ではございませんわ」

 そこは…挟むべきだろう。仮にも嫁いで来たならば。

 というか…どちらとは何と何だ。


 大きく息を吐き、可能な限り冷静さを取り戻す。

「…ごく個人的な理由で結婚したくなかった。君とだからでは無い。誰とも結婚したくなかったのだ。…だがその理由の一つにミランダがいることは確かだ」

 灯された明かりが浮かび上がらせるレジーナは、精巧に作られた人形のような顔を見せる。

 さすが瑞々しい…などという気色悪い感想を頭に浮かべた瞬間、その顔がおかしなカラクリ人形に変わった。

「あら、でしたら尚更イゴール夫人を側に置かれるべきですわ!」

「……は?」

「だってアクロイド伯爵家には後継が必要でしょう?何処ぞから養子を貰われるぐらいなら、出自のはっきりした御子がよろしいですもの」

「……………。」

「イゴール夫人は女手一つで御子を育てられているということ。お任せ下さいな!完璧なプランを練りますわ!」

「………………断る」

「えっ!?」


 今夜ではっきりした。

 彼女は全てを悟っているようで、その実何も頭に伝わっていない。

 思考回路が独特で神経が図太い。

 母親を恐ろしげに語ってみせるが、おちょくって遊んで来た様子が見て取れる。

 …しばらくの時間で何を為そうというのか……。

 少し観察してみるか。

 そうだな、君の申し出通り私は私の好きにさせてもらう。





『6月6日 小雨

 今日の晩餐は明らかに失敗した香りがプンプンするわ。何がいけなかったのかしら。…喋りすぎた自覚はあるけれど。それにしても旦那様は難しい方だわ。結局イゴール夫人の為に結婚しなかったという話だったでしょう?…蕁麻疹は男女のアレやコレやに対して出るのかしら。病気が理由の場合も白い結婚は成立するのかしら。もし成立しないとしたら、どんな作戦を立てればお父様とお母様を説得できるのかしら…。そうそう、食事中ずっと旦那様を観察したのだけど、やっぱりキラキラがどこから来るのか分からなかったの。次にお会いする事があれば、髪の毛の中を見せて頂こうかしら。』

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