4月30日
「あ゛ーーーっっ!!」
髪を結い上げているメルから変な悲鳴が聞こえる。
「どうしたの?」
「…………今日は下ろし髪にしましょう。初夏ですが。太陽輝く初夏ですが!!」
……下ろし髪………あ。
「ほ、ほほほ!夫婦のコミュニケーションよ!お義母様もそれが何より大事だと……あ、メル!ペンダント外さないで!」
鏡の向こうで静かに青筋を立てるメルに叫ぶ。
「…レジーナ様、今日のお召し物には些か不似合いだと思いますが?」
「だめだめ!これは毎日身に着けるのよ。人が多い所に行くのだから、外すなんて以てのほか!」
メルの白けた目など気にもせず、ポワポワと何度目かのあの誕生日の夜を反芻する。
「わたくしね、ずっと旦那様の首にかかるこのメダルが気になって仕方なかったの。ようやく目の前に現れたでしょう?お名前が刻まれてるなんて素敵だわって話したら……」
「はいはいはいはい。執着の証に首にかけられたのでしたね」
メルが無表情に髪を解かしながら言う。
「ち、違うわよ!わたくしが迷子になっても必ず家に帰れるようにと……」
「『遺体になっても』でしょう。……戦死者の身元確認用の識別票だと何度言えば……」
「え?なあに?それでね、『私には顔入り金貨があるからどうとでもなる』ですって。顔型を取られたのかしら?」
「はい!完成でございます。主人の頭の中身など考えても無駄!大したものは入っておりません。私が準備したレジーナ様の完璧な観覧の装いを初手から崩したこの恨み……!!」
……メルは旦那様と本当に仲がいいわ。
「さあメル!一年ぶりの御前試合よ!楽しみだわ〜。リタとアナが先に席を取りに行ってくれてるし、今年は午後の部からでいいという話だものね」
「はい。レジーナ様は殿下の入場に間に合えば良いと……」
「わかったわ。ではナダメールに出発よ!」
そう、今日は一年ぶりの御前試合の日。
旦那様の顔も知らずに見に行った昨年とは全く違う。
今年は堂々と、そう堂々と、私はアクロイド中将夫人として御前試合に出席する。
…でも幹部の方にちょっとした心付けは必要でしょう?
ふふ、ナダメールよ、ナダメールのお菓子!口利きではなくってよ?
「レジーナ様、ナダメールの移転準備は順調ですか?」
護衛に囲まれた馬車の中で、メルがメモ帳を用意しながら尋ねてくる。
「移転……?ああ、そうだったわ!わたくし誕生日プレゼントに土地を頂いたのよ!旦那様って金銭感覚は大丈夫なのかしら……」
「…………………。」
西国から帰った私の部屋の机の上に置いてあったのは、誕生日プレゼント……にしては無機質な書類。
王都の中心部にほど近い土地と、工房付の建物の権利証。
「驚いたのよ?まさか初夜を迎えてすぐに別居のご提案なのかと………」
「ブッ!」「ゴフッ!」「グホッ!!」「ゲホゲホ」
私の言葉に馬車内の護衛たちが一気に咳き込む。
「あらあら。メル、お水を……」
「「お構いなく!!」」
「あらそう?」
私たちすっかり打ち解けたわね!
「旦那様のお話ですと、拡張したナダメールの工房で退役軍人の雇用を……という事でしたね」
メルがメモ帳を捲りながら言う。
「そうなの。バートもそうなのだけど、退役兵の再就職はとにかく大変なのですって。怪我が無くても心に傷が……」
そう口にすれば、馬車内の護衛たちが静かに目をつぶる。
「なるほど。ですから採算度外視のナダメールで……」
……採算度外視?え?どういうこと?
「………メル、ナダメールは黒字よね?」
「とある強力な貴族家が二つ……バックに付いておりますので」
「!!」
バートに頼んでおいた大量の焼き菓子とともに向かった王宮の演武場。
昨年の盛り上がり同様に、あちらこちらから黄色い悲鳴や興奮した叫び声が上がっている。
「レジーナ様!メル様!こちらでございます!!」
演武場へと姿を見せた私を素早く見つけ、アナが大きく手を振っている。
「まあ!メル、あの子たちったらあんなに上座を……」
「はい?レジーナ様は今日主賓ですよ?お席は王太子殿下の右後ろです。ちなみに元帥閣下がレジーナ様の補佐を……」
「…えぇっ!?」
「………という反応を予め考慮して、補佐にアンディ様が入られます」
…な…何が起こっているのかしら。
わたくし確かにこの一か月ひたすらぼんやりと……
「おお!これは姫……ゴホン、アクロイド中将夫人、お久しぶりですね。お変わり無いですか?」
「こちらこそお久しぶりでございます。ケイヒル閣下もお変わりございせんか?いつも夫が大変お世話になっております」
とても素敵なナイスミドルのケイヒル元帥と笑顔で挨拶を交わし、アナが譲ってくれた席へと腰掛ける。
「レジーナ様、日傘を差しますね。昨年は途中で気分が悪くなられたのでしょう?」
リタが私の世話を焼く。
「では私は例の冷たいお茶を……」
メルが張り合う。
「ア…アナは……扇で仰ぎます!」
クルクルと私の周りで動き回る3人に、閣下の口許に苦笑いが浮かぶ。
「ちょ、ちょっとみんな、わたくしの世話はけっこうです!こちらにいらっしゃる皆さまにお茶とお菓子を振る舞ってちょうだい!」
……恥ずかしいわ。
「あ!遅くなってごめんね、レジーナちゃん!迷わなかった!?」
居た堪れずに縮こまっていると、閣下と良く似た色味のアンディ様が息を切らしてやって来た。
「アンディ様!先日は夫が無理を申しましてご迷惑をお掛けしました。無事に書類は届きましたか?」
「あー大丈夫。あんなの無理のうちに入らないから。迷惑かけられるのなんて慣れっこ!」
パチリとウインクされるアンディ様に、閣下から叱責が飛ぶ。
「ア、アンディ!!夫人に対するこ、言葉遣い……!」
「何を仰います、伯父上。レジーナちゃんは同期の嫁さんですよ?同期の嫁なら俺も友達みたいなもんで……」
「ば、馬鹿者!彼女は今日夫人会の代表だ!!今期の活動が穏便に穏便に、とにかく穏便に進むように……」
夫人会の代表……そうでしたわ。わたくしなぜか今年はお茶会を主催しなければならないのでしたわ。
何でも人手不足過ぎて7年早く役が巡って来たと……。
はっ!主賓!!……謎は解けましたわね。
「王太子殿下のおなーりーー!!」
ファンファーレとともに、マントを翻しながらリチャード様が入場される。
腰と頭を下げながら、少しだけ自信の漲った歩き方へと変わられたその足音を聞く。
トスッという彼の着席音と同時に会場中が再びザワザワと賑わいを取り戻した。
閣下と何事かを話されるリチャード様の右横顔を見ながら、心の中で彼に『お疲れ様でございました』を唱え、『これからも応援いたします』を告げる。
…パッと一瞬だけ目が合った気がしたけれど、あえて私たちに言葉は必要なかった。
御前試合は午後の部こそがメインであるらしい。
団体戦、個人戦ともに午前中には予選が行われ、午後からは陛下…今年は王太子殿下を迎えての本戦となる。
実は私は昨年午前の部で熱気に当てられ体調不良を起こしてしまった。
今年こそは例の彼を見たい。そう例の……
「あの、アンディ様…?シップーノさんはお出になりませんの?出場者名簿にお名前が……」
私の右隣で試合内容を解説してくれているアンディ様にこっそり聞いてみる。
「シップーノ…?」
アンディ様の呟きにメルがカシャーンとティースプーンを取り落とす。
「レ……レジーナ様?まさか…まさか一年経ってまだそこに……?」
「え、昨年の優勝者でしょう?わたくし決勝戦を見逃してずっと後悔を……」
そう口にすると、アンディ様が茶色い瞳をこれほどかと言うほど見開いて………
「アッハッハッハッ!!シップーノ!!シップーノさん!!ひ〜!腸が……よじれる……!!」
「え?え?」
……わたくしの記憶違いだったかしら。
「大丈夫大丈夫!!シップーノは殿堂入りしてね、ククッ、特別試合だけ出るから!!アハハハハ!!」
「そ、そうですの。殿堂入り……。よかったわ、今年は旦那様もお出にならないでしょう?せめてシップーノさんだけでも……」
「アッハッハッハッハッハ!!」
アンディ様の堪えきれない忍び笑いを聞きながら観覧した御前試合最大のイベント、剣術の部個人戦。
優勝はそう、あの方。
…脳内旦那様として大変お世話になり、烈火派としてスパイ活動にもお名前を借りた、赤髪の、あの方。
「ゲイル様……素敵ですわ!!本当に素敵!!」
卒業した烈火派にもう一度入会しようかと思うほど鮮烈な試合を見せて下さったゲイル様に、立ち上がって最大限の拍手を送る。
各方面から飛ぶ黄色い声援と、野太い掛け声にゲイル様も手を振って応えている。
そして殿下の方を向いて膝をつき、昔の騎士の礼を取ったあと、スクッと立ち上がり再び演武場中央のサークルの中へ……。
「来るよ来るよー」
ニヤッとされるアンディ様の言葉とほぼ同時に静まり返る場内。
そしてゲイル様の対面に現れた姿に演武場が揺れる。
「ーーー!!」
高く一つにまとめた銀色の髪を靡かせ、銀色の防具に銀色の剣を携えた……
「エドガー様っっ!?」
あまりのキラキラッぷりに潰れそうになる目を見開いて、旦那様の登場を呆然と見つめる。
「違う違う、シップーノさん……プププ!」
「!!」
私は今日、降り注ぐ太陽の陽射しの中でも流星が煌めくことを知った。
瞼を閉じれば何度も何度も蘇る、星屑の軌跡。
…私の……旦那様……。
『4月30日 とても快晴 レジーナ
エドガー様、わたくし一瞬で恋に落ちましたわ。お相手はシップーノさんとおっしゃるの!ゲイル様と打ち合う美しい御姿を世界中の方にご覧になって頂きたいわ。明日は勝利の御祝いにシップーノさんがお休みを頂かれたのですって。実は…デートに誘って頂きましたの!少し遠出するという話ですから、失礼して先に休みますね。今日は遅くまでお疲れ様でした。』
『4月30日 大雨が降ればよかったのに エドガー
一言だけ伝えておく。事の次第はアンディから報告を受けているが、得体の知れない人物、得体の知れている人物、どちらとも恋仲になる事は今後も一切許さない。確かに今日はとても疲れた。試合後の二つの会議より打ち上げが地獄だった。とにかくこの一か月死ぬほど頑張ったから、絵姿集の販売差し止めをもう一度君からも母上に頼んで欲しい。』
お読みいただきありがとうございました。
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