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3月28日

「まあ…王領でのご静養ですか」

「そうみたい。王妃殿下もご一緒されるらしいわよ」


 お茶の時間、情報通のお義母様から届けられた知らせは、まだ新聞にも載っていない王家の内部事情だった。

「王太子殿下は国王代理として本格的に公務と政務にあたられるみたいね。今年の御前試合も殿下が観覧されるって」

「それはリチャード様もお忙しくなられますわね。でも御前試合を楽しみにしてらっしゃる方は多いから、皆様きっとお喜びですわ」

 

 あの日王妃殿下が流された涙のわけは、きっと私には到底思いも至らない御苦労の末だったのだろう。

 あれから私にも旦那様にも何のお咎めも無かったから。


「…私ね、妃殿下に一つだけ言って差し上げられる事があるとしたら、『女の人生は茨の道ですね』って事だわ」

 中庭に用意されたお茶を飲みながら、シエラお義母様がポツリとこぼされる。

「茨の道……」

「そう。あの頃……王妃殿下がまだ王太子妃だった頃ね、社交界では妃殿下のすげ替えが堂々と話題に上ったものなのよ。子を為せない妃に価値は無いって、そりゃもう堂々と」

「え……」

 お義母様が溜息を吐かれる。

「陛下は妃殿下の心痛を側で見てらっしゃったんでしょうね。……諍いの種になってしまったけれど、リチャード殿下の存在は間違いなく妃殿下の王妃という立場を確固たるものにしたの。私は事情を何も知らなかったから、国民として純粋に国王御一家の慶事をお祝いしたのよ?」

「………………。」


 お義母様にも、きっと何かしらの茨の道があったのだろう。いつも明るいキラキラした笑顔が時々曇る時がある。

「…レジーナちゃん、私ね、あなたに一つだけ、これだけはちゃんと伝えておくわ」

 お義母様の真剣な瞳に、私は頷きをもって返す。

「あなたにこの先何があったとしても、私はあなた以外の娘はいらない。あなたの周りで不愉快な雑音が鳴り響いたとしても、私の娘はあなただけ。…だから……」

 ……貴族女性の仕事のお話だわ。

 そうね、望まずとも与えられるものもあれば、望んでも手に入らないものもある。

 できればキラキラ星人の血を引くキラキラベビーをこの手に抱きたいのだけど……


「だから、楽しんでちょうだい!」

「……え?」

「いいこと?アレは神聖な儀式でも何でもないの。夫婦のコミュニケーションよ!技術的な事うんぬんはさておき……」

「え…ぎじゅつ…?」

 お義母様がテーブルの下からヒラヒラとした何かを取り出す。

「ジャーン!!これこれ!外国で流行ってるナイトウェア!私があと20歳若かったら試してみるんだけど、ちょっと見苦しいでしょ?レジーナちゃん、試着してみて!ぜーーーったい着こなせるわ!」

「………………。」

 なんとも紐ですわね、紐。

 あ、視界の端でメルが泡吹いて倒れましたわ。


「…なんて、冗談よ、冗談!」

 お義母様、テヘッみたいな顔をされてますけど、けっこう本気だったでしょう…?

 いえね、わたくしも色々と思うところはありますの。分かっておりますわ。わたくし色気が足りないって。ただでさえ年の差がある上に、旦那様はきっと女性には相当おモテになったと……。

 兄様たちを見ていたから知っておりますのよ?女っ気が無いのと縁が無いのは別のこと……

「………でしょう?レジーナちゃんには商会の経営に携わって欲しいと思ってるの」

 …はい?

 申し訳ありませんわ、何か大切なところを聞き逃したみたいで……。

「娘としても大事だけど、ビジネスパートナーになって貰えないかしら。目利きも相当仕込まれたのでしょう?こういった珍しいものを発掘してね、国中に流行らせるの!きっとレジーナちゃんにピッタリの仕事だわ!」


 ビジネス…パートナー……

「お、お義母様、わたくしにお仕事を下さいますの!?本当に!?わたくしに……」

 お義母様がキラキラと微笑まれる。

「もちろんよ。エドガーの草鞋を貰ってやってちょうだい」

「お義母様………!!」

 思わずお義母様の両手をガッと掴む。

「あ、出発は今日ね!」

「……はい?」

「目利きの初仕事!頑張って!」


 グッと握り返された手を、何となく離してしまいたかったのは秘密である。






「だあーーっ!!聞いてない!聞いてないったら聞いてない!!」

 ……煩い。

「何でこんなに業務範囲が広いんだよ!作戦の立案が片手間とかありえんだろ!?ついでに副師団長の仕事の引き継ぎが3日ってどういう事だよ!!俺の……俺の華々しい日々がたったの3日……」


 引き抜いたはいいが、南部での引継ぎを終え参謀本部にやって来たアンディは相変わらず煩かった。

 迎えるまでは懐かしさが湧くかと思いもしたが、そんな感情は一切出て来なかった。


「安心しろ。3日でよかったと思える時が1分後に来る。……お前の分だ」

 アンディに用意した執務机に、ドサッと短剣並の高さの書類を載せる。

「……何これ」

「会議資料」

「……いつの分?」

「午前9時開始を皮切りに、間に小休止を挟んで17時開始の計5回分だ」

 アンディが口を開けたまま固まる。

「会議の合間に通常業務、業後は次回の会議までの資料作成……」

「ま…待て!待て待て待て待て!」

「待たない。この生活の最大の敵は運動不足だ。太りたくなければ隙間時間に練武場に足を運んで鍛錬しろ」

「隙間時間……?」

「ああ。しまった、訂正する。この生活の最大の敵は……腹黒狸だ。目を合わすな。見かけたら逃げろ。足音を聞き分けるんだ」


 よし、これで一通りの業務の流れは説明し終わったな。

「……エドガーくん?」

「………気持ち悪いな、なんだ」

 顔色を失ったアンディをチラッと見る。

「君ねぇ、異動初日の僕を置いて出張するって本当?」

 ……君…僕。なるほど。殿下を迎えるための日常訓練か。

「いや、昼まではいる。お前のおかげで早く出発できて助かる」

 しかしあと3時間……。可能な限り終わらせるしかない。しかし何だ?この新しいペンは。軽すぎて力加減が……

「西国…行ったこと…ま、あるか。お前の領地から見えてるもんな」

 走り始めたペン先がピタッと止まる。

「何だ、耳が早いな」

「ん、今資料読んでる」

 ……秀才か?


「これってアレだろ?殿下の留学先。やっぱそうなるよな。経歴に箔つけるには海外留学が一番。俺もなー、できれば留学とかして官僚に……ってまさかおい、こんな形で夢が叶うとは……!」

 ……アンディの中で何かが色々と起きたようだが、自己完結したようで何よりだ。

「今回は警備体制の確認に行く。次の海軍兵学校の下見はお前行くか?……正直講義など聞きたくない」

「え、マジで?行っていいの?…何それ……最高じゃねえか!」

 ……その時間を捻出するために地獄を味わうのだが、それは黙っておこう。



 あくまでも機密で進めるはずだったイサーク殿下の受け入れ体制の構築は、あの場で公になった事で選択肢が増えた。

 彼には隣国で海上防衛について学んでもらい、帰国後新組織で幹部職に迎えるという筋書きだ。

 本人は末端からで良いなどと惚けた事を言っているが、王太子夫妻に後継が出来るまでは、やはり彼は第二位の王位継承者で、簡単に臣籍降下を許すほど周囲の貴族も甘くはない。


 …後継……か。

「あ、そういや嫁さんそろそろ誕生日じゃなかったか?」

「!!」

 アンディの台詞に心臓が大きく脈打つ。

「祝ってやれなくて災難だな。まあ戦場に立ってるよりはマシだろうけど」

 誕生日……。

 なぜアンディがレジーナの誕生日を把握しているのかはこの際置いておく。そうなのだ。明後日は彼女の18歳の誕生日……。

 めでたい以外に言葉は無い。

 社交界デビューのようなみなし成人ではなく、公的にも成人となる。酒も飲めるようになるし、賭博……は彼女には関係ないとして………。


「………今度は向こうから離縁を切り出されたりして」

「!!」

 アンディがニヤッと底意地の悪い顔をする。

「知ってるだろ?……白い結婚」

 白い……

「……知っている…が、私とレジーナには関係な…」

「マジで?努力で何とかなるもんか?」

「…努力……?」

 尋ね返せば、アンディが行儀悪く頬杖をついて溜息を吐く。

「だって俺あの子の事赤ん坊の頃から知ってるだろ?どれだけ成長しようが、そういう対象に見れないというか……」

 あの子とは、おそらく元帥の娘で婚約者だな。

「そういう対象に見ないように深層意識に刷り込んでいるというか……要するに、欲情しない」

「………………そうか」

 まあ…それはそれで人として正しいと思うが、お前にそんな節操があるとは思えない。

 しかしこの男はよく喋る………

「いざって時は薬がいると覚悟してたんだがな。あ………もしや、いる?」

「ーーいらんっ!!このアホが!!口じゃなくて手を動かせ!!」

「はー?悩んでんじゃねえの?」


 あ……阿保かコイツは!

 レジーナは…レジーナは……すでに破壊力が凄まじいのだぞ?

 もはや私の鋼の精神力は紙一枚の薄さで何とか持ち堪えている状態で、完全な寝不足だ。

 アンディ、お前には分からないだろうが逆なのだ。一線を越えれば私は二度と自制が効かない屑男に成り下がるのが目に見えている。

 あのキラキラした瞳が侮蔑に歪むなど……耐えられん!

 要は、怖い。嫌われるのが。

 

 その意味で出張は助かる。最重要必達目標の先送りだ。

 贈り物は誕生日当日に邸に届くよう手配済みだし、祝ってやれないフォローは母上に頼んだ。

 後は昼に邸に帰ってレジーナに一言詫びて……うむ、我ながら情けない。


 などという私のつまらぬ逃亡策を嘲笑うかのように、邸では旅装に身を包んだレジーナが待っていた。





『3月28日 やや強風

 驚く事に、今領地に向かう途中の宿場なの!一人旅よ!…というのは嘘で、なぜか旦那様と旦那様の職場の方々と一緒なの。訳が分からないわ。とにかく一番の問題はメルがいないって事よ!実はお風呂の入り方が分からないの。どうしてもお湯を触る事を許してもらえなくて……。ああどうしましょう。ここは恥を忍んで旦那様に教えて頂くしかないわね……。』

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