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3月15日 後編

「まぁ…この羽根ペン素敵だわ……。それになんというインクの種類かしら」

「ええ、本当に。これで招待状を書いたら社交界の話題沸騰ですわ」

「皆様本当にお目が高くていらっしゃるわぁ!そうなんですの。羽根ペンの軽量化は元より、注目頂きたいのは新色のインク!こちらラメの素と言って、こうして混ぜるとキラキラと輝く文字が書けますのよ!」

 …さすがキラキラ星人のお義母様ですわ。キラキラ星から仕入れた新商品は好評のようですわね。

 

 アクロイド商会のブースでは、全く物怖じする様子の無いお義母様が、王妃様の侍女を相手に新商品の売り込みをしている。

 …何となくだけど、旦那様のあの性格はお義母様譲りな気がする。

 父様と兄様は、お義父と一緒に何らかの書類を捲りながら小難しい顔をしていたはずが、結局新しい商売の話で盛り上がっている。

 …まあね、兄様は公爵家の後継ですものね。商会の出資者の地位も引き継いで……なるほど。だから旦那様と無理矢理親友になられたんだわ。

 どう考えても水と油ですもの。


 侍女がキャッキャと少女に戻る様子を王妃様はジッとご覧になりながら、ブースに設けられた椅子へと腰掛けられている。

 …王妃様…。

 記憶の中の王妃様は、いつだって厳しく隙のない姿をされていた。王太子妃殿下が仰ったように、王宮というのは生きていくだけでも大変なのだろう。

 弱みや隙が命取りになりかねない、そんな緊張感の中で暮らす……。

 今なら分かる。だから圧倒的な後ろ盾が必要なのだと。

 自分の弱さや隙を補って余りあるほどの後ろ盾が……。


「…妃殿下、妃殿下の侍女の皆様はお財布をお持ちでいらっしゃいますの?」

 失礼にあたるかしら…と思ったが、王妃様の左隣に立ち、そっと声を掛けてみる。

「……何ですって?」

 王妃様の顔が私の方を向く。

「ええと…わたくし、実は公爵令嬢だった時代にはお財布を持たせて貰えませんでしたの。あ、今はこうして小銭を…」

 ハンドバッグからメル手製の小さな巾着袋を取り出して、王妃様の視界に入れる。

「…財布………」

「ええ。わたくしお財布を持たせて頂いた時に、ようやくアクロイド伯爵家に本当の意味で仲間入りをしたのだと思いましたわ。…公爵令嬢時代には、許されない事が多かったですから」

 王妃様が巾着を見たあと、私の目を、そしておそらく金色の髪をジッと見た。


「……わたくしも財布を持っていたのは、16の頃までです。自由に買い物に出られた時代など、ほんの僅かな少女の時代だけ」

「まあ…では小さな時からお釣りの計算がお出来になったのですね。わたくし本当に出来が悪くて、両親からの言い付けも家庭教師の話もほとんど覚えておりませんの。令嬢時代に教わった事で、頭に残っているのは一つか二つかしら……」

「そう。よければ聞かせて頂戴。ウィンストン公爵家の教育方針には興味があるわ」

 王妃様の言葉に、ハッと父様と兄様がこちらを向いたのが分かった。


 父様と母様が、何度も何度も私に言い聞かせて来たこと。筆頭公爵家の令嬢だった私に、口を酸っぱくして言い聞かせて来たこと。

「……決して、自分の望みを口にしてはならない、と」

 目を見開く王妃様に、にっこりと微笑む。

「その代わりに静かに笑顔を見せるのがウィンストン公爵家なのですわ」

 わたくしの望みは、それがどんなに小さな事であろうとも、聞かされた人間にとっては絶対の命令になる。

 だから欲しがる気持ちには蓋をして、与えられたものをとりあえず笑顔で受け入れる。

 その笑顔を見た相手が、もっといいものを私に与えたくなるように……。


 今となっては両親の苦肉の策だったのだと思う。

 私が賢く頭の回る子どもだったなら、クリストファー兄様のように欲しい物を確実に手に入れるための知恵を授けられたのだと思うから。

 でも私にその能力は無い。

 ……だから両親は、最高の環境を与えてくれた。

 そう、旦那様という最高の相手を探し出して。

 


「ですが、わたくし今はアクロイドの人間です。……キラキラと目立つのが大事なのですわ!」

「…何を言って……」

 王妃様の瞳に困惑が浮かぶ。

「またと無い機会に実演販売させて頂きす!とくとご覧になって下さいまし!3か月前までボタン一つ自分で留められなかったわたくしでも……!」

 マネキンに着せていた紺色のエプロンドレスを剥ぎ取ると、それを頭から被る。今日はこの為のシンプルな装いだ。

 そして両手を腰に回してパチッと音をさせる。

「たったの5秒で……5秒で着替えが可能な優れもの!こちら新発売の磁石ボタン式女官服ですわ!!」

 


 王妃様の前でドーンと両手を広げ最高レベルの笑顔を見せれば、なぜかホール中から拍手と一緒に……クスクス笑いどころでは無い大笑いが響いてきた。






 ……笑い声?

 しかも王宮内とは思えないほどの音量の………。


 訳も分からず着いて来た王太子と第二王子の背中が、北の宮の中央ホール扉へと滑り込む。

 後方では両者の近衛がまごつきながら出遅れている。

 …なるほど、両者相対する事態は想定外か。ならば……

「アーネスト、各隊3人ずつ選別して着いて来い。残りは通常地点で待機、警戒」

「はい!」

 ……近衛の通常地点など知らんがな。

 だがアーネストも返事をしたことだし、何とかなるだろう。


 ホール内へと一歩踏み出せば、どよめく室内でポッカリと開けた空間が見える。

 そしてそこへ吸い込まれる二人の王子。

 吸い込まれた先には……

「は…?レジーナ………?」

 父上と母上と商会の商談に出かけたのではなかったか?なぜここに……。

 ああ、珍しく今日は一つ結びなのだな。よく似合って……などと言っている場合では無い!

 何をしているんだ!聴衆の真ん中で着……着替え……!?


 慌ててレジーナの元に駆け寄ろうとする私の右腕を、ぐいっと引っ張る者がいる。

「だ、誰だ!離……クリストファー?それにお義父上……」

 右方向にはヤレヤレと言った顔のウィンストン公爵家の面々……。

「中将、さすがだね。これでは王家は二度とレジーナに手を出せないよ」

 ……は?

 クリストファーが訳の分からない事を言う。

「その通りだな。レジーナは今日この場をもって自らがアクロイド家の人間だと証明してみせた。……ウィンストン公爵令嬢には決して許されな……まぁ何と言うか、はぁ………」

 ウィンストン公爵が手で額を抑える。

 そして呟いた。

「……アラベラが居なくて良かった」と。



 先ほどまでレジーナを囲んでいた人垣は、二人の王子の登場でその輪を広げていた。

 公爵家の二人と並んで、王子達が吸い込まれた先に目を凝らし、そして限界まで耳を澄ます。

「は、母上、私は…ヒソヒソ…レジーナの事はとうに諦めて…ヒソ…ます!ですが…ヒソ…イサークの後添えなど…ヒソ…!」

「そうです、王妃殿下!…コソ…ようやく見つコソ…後見に胴を真っ二つに…コソ…ます!」

 ヒソヒソコソコソと、片方からは腹わたが煮えくり返そうな台詞が、そしてもう片方からは背筋が冷たくなるような台詞が聞こえてくる。

 そして王妃の怒りの籠った声でヒソヒソは解けた。

「王太子、久しぶりに話したと思えば唐突ですね。そしてイサーク、あなたどこの家門の後見を得たと言うのです!わたくしに隠れて何を……!」

 

 なんだろう、すごく……すごく嫌な予感がする。

 クリストファー、なぜ私の隣を離れる。

 義父上もなぜ苦笑いを………


「王妃殿下、私はアクロイド中将閣下を人生の道導と仰ぐべく、彼の側に身を置く事を志願いたしました」

 …や……めんか、馬鹿王子……!!まだ機密だ!機密!!

「し……志願とは何なのです!イサーク、あなた、よもや軍に入ろうなどと……!」

「母上、イサークの子どもの頃からの夢なのです!こうして中将自らイサークを迎えに……!」

 は、はあっっ!?お前たち二人が着いて来いと…!


 二人の王子がバッと私の方を向く。

 その視線に合わせて割れる人垣。

 そして伸びる一本道は、真っ直ぐ王妃の元へと続く。


 ……こんなに単純な罠に掛かったのはいつぶりだろうか。

 ああ…最近は狸どもに辛酸を舐めさせられてばかりだったな。まあ、あの二人への仕返しは着々と進んでいるからいいとして……


 現実逃避しながら割れた人垣が作る一本道をコツ…コツ…と踵を鳴らしながら歩く。

 …ああ……何をどう言うべきか。

 こういう時は……

 ふと上げた視線の先にレジーナのきょとんとした顔が映る。

 ……そうだな、深く考えても無駄なのだった。


「……エドガー・アクロイド、王妃殿下に御挨拶申し上げます」

 片膝をつき、胸に手を当て頭を下げる。

「……アクロイド……伯爵、顔を上げなさい」

 王妃の声に立ち上がり、まずは彼女の顔をジッと見る。

 一瞬怯えたように僅かに視線を逸らす王妃を再び一瞥し、次に頭のいい問題児になりそうなイサーク殿下をジッと見る。

 そして最後に金色の髪と緑色の瞳を持つリチャード殿下を見る。

「……王妃殿下、イサーク第二王子殿下をお預かりします。彼は素晴らしい指揮官になる」

 …かどうかは分からないが。

「な、何を…何を言うのです!イサークは王位継承権を持つ、尊い……」

「…絶対に死なせません。彼には一生をかけて本懐を遂げてもらうつもりです。……兄君を支えるという本懐を」

「ーーー!!」


 驚愕に目を開く王妃から目線を両脇の王子に移し、眉に力を込めて『後は自分達でやれ』と合図を送る。

 そして同じく目線でレジーナを呼ぶ。

「…どうかなさいました?」

 紺色の服を着たまま、レジーナがソロソロと私の隣に立つ。

「レジーナ、殿下方に挨拶がいるだろう?」

 そう言うと、レジーナがハッとした顔をする。

「あら、うっかりしておりましたわ。ええと、王太子殿下、お変わりなくお過ごしです?妃殿下から観劇のお誘いを頂いておりますので、近々ご一緒させて頂きますわ」

「え、妃と?」

 にこにことマイペースな挨拶に空気感が一気にダレる。

「イサーク殿下も大変ご無沙汰しておりますわ!お話するのは10年ぶり…かしら。わたくしレジーナです。覚えていらっしゃいますか?」

「え、ええ。本当に久しぶりで……昨年お見かけしましたが」

 

 レジーナ最強説はあながち間違いでは無い。

 そう思ったのは、次の瞬間だった。

「そう言えばそうでございましたわね。あの時も思ったのですが、イサーク殿下はますます陛下に似てこられましたね。微笑んだ時に右側にだけ出来るえくぼも全く同じですわ!」

 この言葉にホールの中は静まり返り、王妃の肩が震え出した。

 そして肩の震えは小さな嗚咽となり……やがて頬を流れる雫となった。





『3月15日 そよ風

 今日はとんだ事になってしまったわ。旦那様は『さっさと皆が王妃に言ってやれば良かったのだ。イサークは陛下に瓜二つだと』と仰っていたけれど、ほら…私たち二人とも目があんまり良くないから。そう言えば王妃様にお会いして思い出したわ。小さな頃ね、私もリチャード様もそれぞれのお母様が怖かったのよ。だからどうしたら笑ってもらえるか一緒に作戦を立てたの。花冠を作って、綺麗な石を集めて手紙と一緒に贈ったわ。今となっては一段飛ばして〝ママへ〟って書いてみましょうって提案した事がすごく申し訳なかったわね。リチャード様、あの時王妃様に叱られてからも〝母上〟って呼ぶ努力をなさったのね。』

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