3月15日 中編
「へぇ、王宮の備品って本当に現物見て選んでたんだね」
品評会の会場を眺めながらクリストファー兄様がポツリと言う。
「え?どういう意味ですの?」
右隣の兄様の横顔を仰ぎ見ながら聞いてみる。
「ああ…入札って言っても表向きだとばかり思ってたからね。事実こういった小さな物の納品業者は過去10年近く同じだから。公爵、やはり粗利の低さゆえに新規参入したがる商会が少ないのでしょうか」
「そうだな……。品質に差が出にくい物を競争させるとなると、後は価格差だけという話になるだろう?そうなれば……」
「結論、体力のある商会に集約されるわけですね」
「ああ。それを覆すとなると、余程の技術革新か、あとは……〝鶴の一声〟だけだ」
父様と兄様が真剣な瞳で目配せをし合っている。
話がすごく難しい上に、王宮勤めの兄様はまだしも、父様は今日どうしてこちらにいらっしゃるのかしら。
鶴って鳥よね?
……鳥が鳴いたら業者が決まるのかしら………。
各商会が広げる品物を眺めながら、コソコソと周囲を観察する。
兄様は役人と思われる方々に声をかけられて、ああだこうだと小難しげな話をしつつも私の肩をガッチリ掴んでいる。
父様は品物なんか全然見ていない。ホールを出入りする人物を素早く見ては、時折商会ブースのお義父様と目配せをしている。
……私ったら馬鹿ね。どうして父様がここにいらっしゃるの?では無かったわ。
これは警戒とかいうものよ。そう、危ないのよ。何が危ないって……
「と、父様!わたくしもしかしてアクロイド商会を危険な目に合わせておりますの!?」
思わず左隣に立つ父様の腕を掴んで言えば、父様の眉が困ったように下がる。
「…危険……は無いように万全の注意を払っているよ。いいかいレジーナ、お前がこの度の推薦状を貰って来た事をアクロイド夫妻はとても喜んでいる。代表直々に参じるぐらいだからね。けれど……」
父様の言葉を兄様が拾う。
「レジーナ、アクロイド夫妻が純粋に仕事に専念するためには、品質と価格以外の交換条件は不要なんだ。例えば……」
「……鳥の声、ですわね」
ポツリと呟けば、ポンポンと私の頭に父様の手の平が落ちてくる。
しばらくそうして沢山の人たちで賑わうホールを見回った頃だろうか。
父様がいつもより低い声で呟いた。
「…さて、鶴のご登場だ」
ハッとホール入り口に目をやる。
肩を抱く兄様の指先に僅かに力がこもる。
「王妃殿下のご来臨です!」
誰かが叫んだと同時に波のように広がる静寂と低くなる頭。
私も誰に倣うでもなくその場で腰を落とす。
……鶴。王妃様はただの鳥じゃなくて鶴よ。鶴が鳴いたら色々と決まるんだわ。
……鶴ってどういう風に鳴くのかしら。いえいえそうじゃないわ。鳴かせないようにするのが大事ということで…
「いくよ、レジーナ。父上が出る」
どこかに散らばりかけていた意識が、兄様の一言で戻ってくる。
「は、はい!」
「アルバート・ウィンストン、王妃殿下に御挨拶申し上げます」
ホール真ん中で父様が略式で王妃殿下にご挨拶なさるのを側で腰を落として聞く。
「…ウィンストン公爵……。顔を合わせるのは久しぶりですね。後ろの子息と令嬢も頭を上げなさい」
王妃殿下の声で、兄様と私も直立する。
「今日は揃ってどうしました」
正面で顔を合わせた王妃様の質問はごもっともである。
……そう言えばわたくしたち揃って何を………
「私は議会で使用する備品の下見に」
お父様がサラっとそれっぽい事を言う。
「私は財務省の役人として不正取引の監視に」
兄様もシレっとそれっぽい事を言う。
王妃様の細い眉がツツっと上がり、私をジーッと見る。
「わ、わたくしは……」
ええと…スパイ……ではなくて、ええと……
「……レジーナ、ここは普通でいいよ」
兄様がニコニコ顔を貼り付けたままヒソヒソと呟かれる。
普通……
「わたくし!本日は新しい羽根ペンと女官向けの制服を売り込みに来ましたわ!」
声量を誤ったのか、王妃様が二、三度目をパチパチされたあと、口端を上げて仰った。
「…なるほど。ではレジーナ・アクロイド伯爵夫人、わたくしをその新しい制服の元へと案内なさい」
「ーー!!」
これは……まさかやってしまった感じなのかしら。いいえ、遅かれ早かれこうなっていたんだもの。
……やるわよ!
「……何で俺にお鉢が回って来るんだよ」
「こうして昼食を奢っているだろう。食堂などいつぶりだろうか」
「お前が勝手に俺の目の前に座ったんだろうが!!」
「細かい事は気にするな。私は中央に来て一つ賢くなったのだ。……立っている者は他人の部下でも使え」
「はあっ?」
「…煩い男の手も借りたい、犬の手も煩い男の手に変えたい……という訳で手を貸せ」
「だから何でだよ!!」
御前試合の準備で騒がしいこの季節。
当然この男も王都に戻って来ている。
「はあ……。相変わらずお前は頭が働かないな。お前が!元帥の甥で!元帥が!お前以外の補佐を認めないからだ!!」
はぁスッキリした。
元帥と非常に無駄な神経戦と激論を交わした午前中、引き出せた譲歩は一つだけ。
『アンディを付ける!それでいいだろう!?』
…いいわけが無い。
いくら南部が落ち着いているからと言って、第一師団の仕事はそんなに暇では無い。南部は広いのだ。あと部下に手が掛かる。
…が、私はこのままアンディを貰う。デンバー師団長には悪いが、腹黒狸とやり合うにはこちらも性悪狐になるしか無い。
元帥、私は情実人事の使いどころをマスターするからな。
「はー………。んで?今度はどんな面倒ごと抱え込んだわけ?それか……どっか体の調子でも悪いのか?」
…なるほど、ここは情に訴える作戦が効果的か。
「………とにかく超絶忙しい。分かっているのだ。半分は自分のせいだという事ぐらい。仕事に取り掛かるたびに、こんな指示書では末端まで届かないのでは無いか、もっと詳細な報告書を書くべきでは無いのかが気になって止まらない。そしてそんな事に気を取られている内に次から次へと新しい仕事が降って来て……」
「なんだ、今まで通りか。元気そうで何より」
「…………………。」
積もる話も特に無く、今さらこれと言ってアンディに聞きたい話も無かったため、早々に食堂を後にして西の宮の廊下を歩く。
「ま、実際のところ俺は仕事内容は何でもいいわけ。伯父上のあと継ぐって決まった瞬間に士官学校行きも勝手に決まったし、辞める選択肢も無くてここにいるだけだしな」
……辞める選択肢か。私は逆に続ける選択肢を最近失いかけているのだが。いやいや、肩書は必要なのだった。
「でもなぁ、お前の無茶に付き合ってた8年はそれなりに楽しかったわけよ。場数踏まされてしんどかったけど」
「…そうか。今の師団長とは合わないのか?」
第一師団のトップ2人の不和について報告は上がって来ていないが。
「ぎゃーく!似てんだよ、俺とデンバー師団長。あの人ずっとゲイルさんの右腕だっただろ?物の見方が似てるというか、得意な分野が同じというか……」
「……まるで私と筋肉ダルマが同系統だと聞こえるのだが」
「あ、バレた?」
「………………。」
……何となくだが、アンディの言わんとする事は分かる。似た者同士では相乗効果が生まれないという話だろう。
「アンディ、冗談ではなく補佐を頼めないか。デンバー師団長とは話をつける。勿論正式に人事と幹部会に掛け合って相応しい人物を副長に付けるように頼む」
アンディの目が見開かれる。
「エドガー、お前…本当に何を抱え込んでる。お前が俺に頭下げるとか……」
いや、頭は下げていない。こうして目が合ってるだろうが。
「…まあ、そうだな。ここでは何とも口にしづらいのだが、それなりに高度な教育を受けて来て、貴族の作法に詳しく、何となく数か国語が話せて……字が綺麗な人材が必要なのだ。喫緊に」
「だから、何のために……」
読め!今こそ頭の中を読め!と思った時だった。
「アクロイド伯爵、緊急事態だ!!」
背後から緊急を知らせる声にバッと振り返る。そして目に入った姿に思わずアンディと声が揃う。
「「王太子殿下……?」」
そしてダダダと駆けて来るアーネスト率いる近衛隊。
「で、殿下!急に予定外の方向に走り出さないで下さい!」
「アーネスト、緊急なのだ!アクロイド伯爵、私に着いて来て欲しい!」
「…は?」
突然現れた王太子に戸惑っていると、また背後から声が聞こえる。
「アクロイド中将!こちらにいらっしゃったのですか!緊急事態なのです!私に着いて……兄上?兄上もお聞きになったのですか!?」
「イサーク、お前もか!行くぞ、何としても阻止だ!」
「ええ、勿論です!中将、私は結婚などするつもりはありませんから!誤解なきように言っておきます!」
「は…はあ!?」
頭に浮かんだ疑問符が取れないまま、背を向ける2人の王子を目で追う。
「なーるほど。今のってイサーク殿下だろ?お前……超面倒くさいもの抱え込んだなあ」
ニヤッと笑うアンディの顔を見る。
「前線に立つのはお前だからな。何と言っても未来の侯爵様だ。私などでは土台無理な高尚で優雅な対応を期待している」
肩をすくめてアンディに言い残し、2人を追いかけるために軽く駆け出す。
「………無茶言うな」
後ろから聞こえた台詞には、つい最近聞き覚えがあった。




