2月12日 後編
お母様がサラサラと紙に招待状を下さった家名を書き並べていく。
「レジーナ、国の隅々にまで網の目を張り巡らす事など通常は不可能です」
「ええ…それは当然の事ですわ」
お母様が頷く。
「…ですが、ウィンストン公爵家が他の貴族を押し退けてその情報網を確立できたのは、アクロイド前伯爵の力がとても大きいのです」
「えっ!?」
お母様の言葉に思わず大きな声が出る。
「………貴女はお父様の話をちゃんと聞いていましたか?」
ええ…?アクロイド伯爵家とは古い付き合いだとしか…
「……はぁ」
お母様が頭に手を当てる。
「アクロイド伯爵家は、その領地の特性を活かした海外貿易の窓口として流通業を営んでいます。…要は、国内全土で商会を経営しているのです」
…え?商会?物を運ぶ仕事では無くて?
「言ったでしょう?暮らし向きの心配は一切不要だと。アクロイド伯爵家は国でも有数の資産家です」
し……知らなかったわ。旦那様大丈夫なのかしら。三足目の草鞋が出て来てしまったのだけど……。
「学友として長い付き合いのあったお父様は、あるきっかけで商会の街道整備事業に投資なさいました。我が公爵家の財政基盤と情報網を確固たる物にした、街道利用権を生み出す、一世一代の投資です」
「は、はい」
そろそろ当初の目的を忘れそうだわ。ええと…お茶会お茶会……
「さて、お父様が投資に至った〝あるきっかけ〟とは何だったのでしょう」
「………はい?」
「およそ30年前……正確には32年と8か月前、社交界の話題をさらった出来事です」
社交界……さんじゅう………
「えっ、まさか……お義父様とお義母様の……ご結婚…とか?」
お母様が口角を上げる。
「その通りです。当時社交界の華として絶大な影響力のあったレディ・シエラを迎えたアクロイド伯爵家の商会経営は、今後さらに勢いを増すというお父様のご判断でした」
「まあ……!」
お母様が手元の紙に〝商会〟と書き込む。
「レジーナ、そのレディ・シエラに心当たりの無い家とは、どんな家だと思いますか?」
「どんな…」
「前伯爵夫妻とは縁の無かった家々とも言えるでしょう」
…つまり、顔の広いお二人でも接点が無かった……
「あ、もしかして軍関係の家……とか?」
お母様が片眉を上げて成る程という顔をしたあと、今度は紙に〝軍閥〟と書き込んだ。
「良い着眼点です。他に何か考えられますか?」
他に……ええと……
「ヒントは先ほどあげましたよ。アクロイド伯爵家は、国内全土に、商会支社を持つ、のです。その網から漏れるのは……」
国内全土……つまりどこかの貴族の領地という事よね?そこから漏れる……
「わ、分かりました!お母様、わたくし分かりましたわ!」
お母様が薄く微笑み、ペン先を紙に付ける。
「宮廷貴族ですわ!領地を持たない貴族!」
思わず立ち上がった私を一瞥したあと、お母様が大きく頷き〝宮廷貴族〟と書き込んだ。
「レジーナ、こうして見知らぬ招待状の裏にいるフィクサーと、その目的を探っていくのです。貴女は……なんです、その、〝探偵団〟でしたか?ああいった遊びが得意だったでしょう。わたくしも今日は付き合います。……町の食堂の女将の役は遠慮しますが」
「……お母様!!」
子どもの頃に叶わなかったお母様とのごっこ遊び。
難しい話は夜にしっかりと復習することを胸に誓い、私は生まれて初めてのお母様との二人きりの探偵団を日が暮れるまで楽しんだ。
「アクロイド中将、現在国軍は海上防衛についてどのように考えているのでしょう」
「…海上防衛?」
無機質な会議室の適当な席で、机を挟んで向き合ったイサーク殿下からの第一声は意外なものだった。
「ええ、海上防衛です。中将もご存知でしょうが、昨今は造船技術の大幅な向上により、世界の強国はこぞって他の大陸へ進出していると聞きます。兄上の話では、エーベ湖にも珍しい外国船が停留していたと……」
ええと外国船……それは私が領地で最も気にしている事で……いや待て待て、今兄上と言わなかったか?
「……殿下、失礼するが、殿下は…王太子殿下と交流が……?」
そう口にすると、イサーク殿下が少し目を見開いて、困ったように微笑んだ。
「……世間では仲の悪い兄弟だと思われているのでしょうね。確かに、表立って兄上の隣に立つことはなかなか叶いません。ですが、私は物心ついた時から兄上を支える臣下になるのだという気持ちを違えた事はありません」
「!!」
この聡明そうな王子は……後継争いを望んでいない…?
「……ですが、私を取り巻く環境がそれを簡単に許さない事も理解しております」
「……………。」
イサーク殿下がふうっと息を吐く。
「正直に申し上げます。……今日この場に参じたのは、海上防衛に関する疑問もありましたが、御進講係に着任されたのがアクロイド中将だという話を聞きつけたからです。…貴方には…いつか直接謝らなければならないと……思っておりました」
軽く拳を握りながらも、決して目を逸らさない姿に彼の覚悟のようなものが見て取れる。
「…謝罪……それは昨年レジーナに起きた一件に関する事だとお見受けする。王太子殿下にもお伝えしたが、それは彼女に直接……」
「そうではありません。姫の…夫人の身を危険に晒した事は当然王家の…私の罪です。ですが、仮に中将が妻君として迎えられたのが彼女ではなかったとしても、いずれ似たような事が起きていたのだと思います」
「………は?」
レジーナの誘拐は……私が原因?
私の顔色を読み取ったのか、イサーク殿下が慌てて被りを振る。
「言葉が足りませんでした。……中将は東部の戦も先般の北国の件も、根本が同じである事はご理解されていると思います。……私と兄上を巡る後継争いについて」
「………………。」
「…当事者として何を傍観しているのだとご不快に思われるでしょうが、大切なのは王妃殿下が、どのようにして東国と北国を動かしたのか、です」
……それだ。どれだけ東国の捕虜を尋問しても、出て来たのは『第二王子の立太子によってもたらされる利権の確保』という結論ばかり。歌劇団においては拷問にも口を割らなかったと聞く。
利権云々は間違い無いだろう。だが具体的に何なのか、何を欲して東と北が仕掛けて来たのか、それだけは証言が得られていないのだ。
「……ですから、最初の海上防衛の話に戻るのです」
イサーク殿下が静かにこぼす。
「海上……まさか、北国と東国の目的は……エーベ湖?」
「その通りです。内陸国である北国と東国が喉から手が出るほど欲しいのは、外洋進出の足掛かりとなる港湾なのです。中将、世界の趨勢は我々が考えているよりも遥かに海に重きを置いています」
「………!!」
「私は……全ての元凶である第二王子として、アクロイド伯爵領の領主である貴方に謝罪をしなければならないのです。伯爵領を、領主の断りなく戦利品のように扱った事を」
「………………。」
彼はそう言ったが、貴族の領地など元を辿れば王家から貸し与えられているものだという事は歴然とした事実だ。
「殿下、私の腹の内など探らずとも結構。何も入っていないし、これからも何かが入る事は無い。…貴方にとって良い事も、悪い事も」
そう言えば、イサーク殿下が目を見開いてフッと笑った。
「……兄上の言った通りです」
「………は?」
薄緑色の瞳が柔らかく弧を描く。
「中将、私はこの世には二種類の人間がいると思うのです」
「……はあ」
…まずい、おそらくここからは苦手な分野の話が始まる。
「生まれながらに〝与えられる〟運命を持つ者と、そうでは無い者」
「……ええ」
…やっぱり始まった。
「兄上は前者で、私は後者です」
「!」
「本人が望もうが望むまいが、与えられる者には宿命のように全ての事が降りかかる。…ふふ、兄上が幼い頃坊主頭で過ごしていたのをご存知ですか?」
「は……?ぼうず…?」
「ええ、侍従や小姓の目を盗んで、頭を丸刈りに。ご自分の数奇な運命は、金色の髪がもたらしたと考えられたのでしょう。それだけではなく、事あるごとにご自分の持ち物を私に譲ろうとなさった。…教師、近衛、贈り物、果ては陛下との一対一での面会時間までも……。まあ私は、何て無駄な努力をなさるのだと冷めた目で見ておりましたが」
「…ふむ」
……王太子も…変わり者だということだな。
「ですが、私に何でも譲ろうとされた兄上が唯一手放そうとされなかったのが……」
イサーク殿下がチラッと私を見る。
ここまで来れば私にだってわかる。
「……レジーナ」
「…ふふ、その通りです。中将には面白く無い話でしょうが、兄上の夫人への想いは偽りなく本物だったのです。お二人の婚約が解消された際には、泣いて泣いて手がつけられず……」
「………………。」
「……泣いて諦めたはずなのに、結局兄上は後継争い決着の切札を夫人に求められました。兄上だけでは無く、義姉上も」
あね……王太子妃……?
「兄夫婦が口を揃えて言うのです。『アクロイド伯爵には勝てる気がしない。彼の前では無力感を覚える』と。…全てを与えられる運命を持つ彼らが……」
…誓って言う。私は彼らに何もしていない。
イサーク殿下が大きく息を吐く。
「……中将、私は妃との離縁が決まりました」
「…は!?」
「当然の事です。身の内に今や敵国の姫である彼女を置いておくわけにはいかない。今後の国の防衛の妨げにもなります。それは別にいいのです。……彼女とは契約で結ばれた白い結婚でしたから」
…白い結婚………。
「……ですが北国の件、私はどう落とし前を付けるべきでしょう。軍として何かご意見があれば……」
…何だろうな、彼は賢く冷静で理性的なのだろうが……。
「…殿下は若くていらっしゃる」
「若い……ですか?」
「ええ、若くてとても…正直者だ。だがそれでは兄君の支えとしては不十分」
「え……」
馬鹿正直で考え足らずなのは王太子だけで十分。…彼は望まずとも、彼の為に知恵を出す者を〝あたわる〟人間なのだから。
私はサラサラと紙面に文字を起こす。
「殿下、狡猾さと生き汚さを身につけられよ。その訓練にうってつけの場所がある。……そしてそこは偶然にも未曾有の人手不足」
そう言いながらツツツ…と紙を指先で殿下の方へ滑らせる。
「海上防衛の件、しかと検討させて頂く。…ので、なるべく早くお越し頂きたい」
そう述べると立ち上がり、目を丸くして紙面を凝視する殿下に黙礼して部屋を出た。
賢く聡いあの王子。だが疲れ果てた世捨て人のような瞳は頂けない。捨てるには惜しい。使い所は無限にある。
……と、ここまで考えて溜息をつく。
はぁ……。
私もいつの間にか狸の仲間入りをしていたのだな……。
『2月12日 夕焼け
お母様って、ただ口煩いのでは無くて完璧主義だったの。私のミスター・レジオの設定が杜撰だと28カ所も指摘が入ったわ。探偵業だけでどうやって食べているのかとか、口髭を蓄えても許される身分なのかとか、ごっこ遊びに求めるものを間違ってらっしゃるのよね。…楽しかったけれど。この上なく、とても。』




