2月2日 後編
「父上……アルバート・ウィンストンの王位継承順位は知ってるかい?」
クリストファーが私に問う。
「…昨年知った。確か第三位だと聞いたと思う」
アンディがそう叫んで非常時即応体制を宣言したはずだ。
「大正解。リチャード殿下、イサーク殿下に継ぐ第三位だ。つまりね、父上は23年前にリチャード殿下が産まれるまでは、王位継承権第一位の国王候補だったわけさ。…そして私はその後継。超絶美少年の王子様」
クリストファーが肩をすくめて冗談めかすが、その瞳は全く笑っていない。
「…父上はね、生まれこそ王子なのだけど、王位継承争いに参加すら認められず、生後半年で臣籍降下させられたんだ。…一度だって王宮で暮らした事が無い、父王の顔さえ知らない、四人の兄と二人の姉がいる末っ子第五王子。物心ついた時には長兄の息子が立派に王太子になっていた」
クリストファーの話を相槌を打ちながら聞く。
「…そんな環境でまさか自分に王位が回って来るなんて思わないだろう?…運がいいのか悪いのか、父上以外の継承者たちは……皆死んだのさ」
お家騒動とはそれほどに過酷なものなのか。まぁ今回だって戦に誘拐にとやりたい放題ではあるが。
「幼い私の記憶に残っているのは、苦悩する父上の背中ばかりだよ。いくら厳しく育てられたと言っても、帝王学も何も修めていない父上には荷が重かったんだろうね」
「それは……」
察して余りある。
「まぁそんなこんなで落ち着かない後継問題に、ある日爆弾が落とされた。…リチャード殿下の誕生だ」
「…爆弾?喜ばしい知らせでは無いのか?」
クリストファーが皮肉げに笑う。
「…愛人との間に、じゃなければね」
「!!」
「勘違いしないで欲しいのは、何もその事で彼を蔑んでいる訳では無い。…出生に纏わる事情など、本人には何の咎も無いことだ」
「…………!」
血統以外にその身分を保証するものが無いであろう高位貴族の口から出るには、些か驚かされる発言だ。
「……王宮で起きているのは、正妻と愛人の息子同士の跡目争いということか?」
尋ねれば、クリストファーがグラスの中身を一口含む。
「……そう単純な話でも無い。正妻…つまり王妃殿下だね。陛下と妃殿下の間には、それこそ十年以上子が出来なかった。それがリチャード殿下が産まれてすぐの懐妊だろ?イサーク殿下の方にも疑いの目は注がれたのさ。…本当に陛下の子なのかと」
「ああ……」
これは相当に根が深い。
「君は覚えてるかな。あの頃この国は荒れに荒れてね、国内を二分しての大騒動。政治も経済も国防も、何一つうまくいかなかった。…それが何年続いたか……」
…本当に同じ歳か?そう疑いたくもなるような口振りの男の瞳に僅かに憂いが浮かぶ。
「…そんな折に産まれたのがレジーナだ。父上はね、より可能性の高い方にレジーナを差し出した。…王家の色を纏って産まれた方……つまりリチャード殿下の婚約者として」
「!!」
「…正統な血筋の後ろ盾を与える事で、リチャード殿下の足元を固めたんだ」
「…それが…生贄だと?」
クリストファーが頷く。
「…父上と私はレジーナによって煩わしい後継問題から解放された。そして割れた国内はとりあえず一つにまとまった。…生贄以外に表現があるかい?」
「………………。」
拳に力が入る。
…過去をどうこう言っても仕方ない。だが胸に渦巻く靄が心を黒く染めていく。
「…ここからはレジーナには決して聞かせないで欲しい」
クリストファーがじっと私を見つめる。
私はその強い眼差しに無言で頷き返す。
「…殿下の婚約者となった後、レジーナは何度も何度も暗殺されかけた」
「…は?」
「……ウィンストン公爵家はね、王家にとってだけではなくて、全ての貴族にとって目の上の瘤なのさ。レジーナはその分かりやすい象徴。だから刺客は何処にでも現れた。侍女に紛れ、料理人に紛れ……。おいそれと外に出す事も出来なくなり、あの子は領地と王都の邸に繋がれたような生活を送っていた。唯一の外出は、第二王子派牽制のための登城の時だけ」
「…レジーナが……」
……箱入り娘などと彼女を侮った過去の自分が情けなくなる。
「でもね、突然現れた英雄がそれを解放してくれた」
「…英雄?」
「そうさ。六年…いやもう七年前かな、当時十五年以上も奪われたままだった南部の土地を取り戻し、国境線を今の場所まで押し戻した……流星のような英雄がね」
「まさか……」
クリストファーがにこりと微笑む。
「英雄の登場に国中が高揚する中で、リチャード殿下は立太子した。そしてその後の南国との和平交渉の結果は君も知っての通り。…レジーナがようやく少しだけ自由になった瞬間だ」
今夜クリストファーが語った話を婚約の打診の時に聞いていたら、私は何を思っただろう。
レジーナの夫としてでは無く、庇護者としての自分に徹しただろうか。
いつか彼女が本当に自由になる時まで。
…………まぁ、多分無理だったな。
旦那様は聞こえていなかった、そうね、その一点に頂いた褒賞金を全額賭けるわ。
…そうじゃないと精神が耐えられないもの。
またの機会に再挑戦しましょう。ええそうしましょう。
寝室のドアノブがカチャッと鳴る。
私は慌てて日記をサイドテーブルの引き出しに隠す。
「レジーナ、まだ起きてたのか?」
「だ、旦那様!ほ…ほほほ。つ、月が綺麗でしたので、思わず見入っておりましたの」
「月……ああ、確かに今夜は満月だな。満月の夜は比較的安心して眠れるものだ。明るい夜には奇襲も少ない」
「さ、左様でございますの」
「…クリストファーの奇襲は防げなかったがな」
珍しく冗談を言いながら洗い髪を下ろして寝室に入って来られた旦那様をドギマギしながら迎え入れる。
領地から戻ってすぐに用意された二人の寝室。とは言え、私が起きている時間に旦那様が邸に帰る事はほとんど無い。
「だ、旦那様!髪を乾かすお手伝いをしますわ!」
「そうか?では頼む」
…いかに動揺していても、極上の髪の毛を思う存分堪能する機会を逃す訳にはいかない。
ベッドの端に腰掛けて私に背を向ける旦那様の髪に、細心の注意でもってタオルをあてる。
「旦那様、兄様は何の御用でしたの?」
しっとりした絹のような手触りに悶えつつ後ろ頭に話しかける。
「ああ…色々と大切な話を披露してもらったのだが…」
「だが…?」
「再現するのが難しい。多すぎる。語数が」
「………なるほど」
確かに兄様は頭も口もよく回る。外見は父様似なのに、中身は母様そっくりなのだ。
「それよりレジーナ、先ほどは何か大切な話があったのでは無いか?途中になってしまって……」
「!!」
こ、これは…賭け金全額回収ですわね。
「え、ええと……あ、そうでしたわね!わたくしとしたことが、実は旦那様のお誕生日のプレゼントを誤発注してしまいましたの。それを謝りたくて……」
苦しいかしら…。でも九割は本当のことだし。
「……誤発注」
「え、ええ!どうせならお好みの物を差し上げたいので何か希望があれば……」
旦那様の首がくるりとこちらを向く。
その瞬間見合った藍色の瞳にドキリとする。
「…何でもいいのか?」
「え、ええ。あ、王都中心部の不動産は無理ですわ」
メルに聞いたから間違いない。
「不動産……?ははは!相変わらず愉快な思考回路をしているな。そうか、そういうものもプレゼントになるのか」
…おかしな事を言ったかしら?
小首を傾げている間に再び旦那様が背を向ける。
「……実は前々から君に頼みたいことがあってだな…」
「何でございましょう?」
しばらくの間沈黙が流れる。
「…その、何だ、そろそろ…あー……名を…呼んで貰えないかと……」
名を……?
「いや、旦那様もそれはそれでいいのだが、まあ…そろそろ……」
目をパチクリしながら見てみれば、髪の間からのぞく旦那様の耳がほんのり赤くなっている。
まあ…!何て貴重なの……!!
タオルを放り投げ、たかたかとベッドを下りる。
そして旦那様の正面に屈み込む。
「な、何だ急に……」
「…赤いですわ」
「はっ?」
「可愛いですわっ!!我、新境地に至りですわ!!」
「は、はあっ!?」
いつも冷静沈着で、爆弾だって無表情で真っ二つにされる旦那様の薄らと染まった頬……。
「…エドガー様……?」
上目遣いで呼んでみる。
「……なんだ」
赤みが強くなりましたわ!
「…なんて可愛らしいのかしら……」
溜息混じりに呟けば、旦那様の肩がピクッと動く。
「…ほう。誰が何だって……?」
あ、あら?なぜお怒りに……?
すっかりいつもの無表情に戻った旦那様が、無言で私をひょいと抱え上げる。
「…私が命じた一日五食は守らなかったようだな」
「ええっ!?」
例え五食を完遂しても一日で20キロは無理ですわ…!
目線で必死に抗議をするも、真顔の旦那様にポフッとベッドの上に落とされる。
そして掴まれる両手首……
「…レジーナ、私は先手を取られるのが嫌いなのだ。そして負ける事も嫌い」
「は、はい!何となくそういう気がしておりますわ!」
旦那様の真顔がどんどん近づいて来る。
「……ああ。だから今日が終わる前に形成を逆転せねばならない」
「…え?」
左耳に吐息を感じる。
「…私の方が君を好きに決まっている」
「!!」
目を見開きバッと顔を左にむければ、笑いを噛み殺した旦那様。
「き…聞こえて……?」
「ふ…くく……ああ、言ってなかったか?私は耳がすごくいいのだ。…くくく……あははは!茹で蛸ではないか!」
「な、な、な……」
何という演技力ですの…!?
さすが数万人を動かす方ですわ…。
「…敵いませんわね……」
唇を少し尖らせながら呟けば、旦那様が手を解き、枕元に片肘をついて私を見下ろす。
「…どうかな。そろそろ鋼ぐらいじゃ負けそうだが」
「え?何がです?」
目だけチラッと旦那様を見れば、ふわっと額に唇が落ちてくる。
「……今夜はおでこだけですの?エドガー様……」
そう尋ねれば、旦那様の眉間に深い皺がよる。
「ーーそういうところだ!!」
旦那様はなぜか怒っていたけれど、今夜交わした口付けは、今までで一番深くて長く、とても……優しかった。




