2月2日 中編
メインダイニングの扉前で待ち伏せている給仕係が、テーブルで待機する私に目配せをする。
それを合図に動き出す邸中の使用人たち。
行くわよ行くわよ!さあ幕が上がるわよ!
ガチャッと扉が開いた瞬間……
「「旦那様!お誕生日おめでとうございます!!」」
邸中の使用人が全員で声を揃える。
そして手に握った紙吹雪をこれでもかと舞い上げる。
「……は?」
舞い散る紙吹雪に全く引けを取らない大量のキラキラを振り撒きながら、旦那様がポカンとしている。
「ささ、奥様がお待ちです。どうぞこちらへ」
「あ、ああ…」
ダンテに先導される旦那様の点になった瞳がおかしくて、思わずクスリと笑ってしまう。
「旦那様、30歳のお誕生日まことにおめでとうございます。邸の皆でお祝いをしたくて、今日は無理を言ってしまいました」
上座に着席した旦那様にそう述べると、旦那様がようやく何かが頭に届いたような顔をする。
「…誕生日……?そうか、今日はそういう日だったか」
そういう日……?
「ええと…まさかご自分の誕生日をご存知ない……?」
「そうではないが、改まって祝われたのは成人の時ぐらいだ。ほとんどは駐屯地でいつの間にか過ぎて……」
言いながら旦那様が部屋を見回す。
「飾り付けも皆が…?」
いつもより沢山灯した燭台や、メルが頑張った花々、そしてメイドや使用人総出で壁に這わせた飾り。
「ええ。…あ、わたくしは……邪魔にならないように静かにしておりました……」
小さな声で言えば、旦那様がふと目尻を落とす。
「……嬉しい。すごく嬉しい。ありがとう、レジーナ」
「!!」
まぁぁ!何て美しい微笑みなの……!!尊い…尊いわ!!
「皆の心遣いに感謝する。ダンテ、使用人棟にも料理を運ばせろ。酒も振る舞うがいい」
旦那様の言葉にワッと歓声が上がる。
……喜んで頂けたようで良かったわ。
いつもより柔らかい旦那様のお顔を見ていると、なぜか胸がいっぱいになって、なかなか食事が進まない。
「…レジーナ、どうかしたのか?」
旦那様が心配そうに私を見つめる。
「あ、いいえ、何でもありませんの。ただ…初めてお食事をご一緒した時の事を思い出しておりました」
あの時は……いつかレジーナ・ウィンストンに戻る気持ちが強かった。
まさか自分の気持ちが真反対になるなど夢にも思っていなかった。
旦那様が飲みかけていたワイングラスをそっとテーブルに戻す。
「……レジーナ、その事についてずっと謝らなければならないと思っていた」
静かに紡がれる旦那様の謝罪の言葉。
「…謝る……ですか?」
「…結婚式の夜、君を邸に置き去りにし、何も告げず、帰りもしなかった。君を…傷つけた。ずっと後悔していた。あの夜を…いや、君との婚約が成った時から、ちゃんと向き合うべきだったと、何度も何度も……」
彫刻のように整った旦那様の顔が苦しそうに歪む。
「謝って済むような話では無いのは理解している。……最低な男だった」
テーブルの上で固く握られた旦那様の拳にそっと触れる。
「……わたくしも同じですわ。家の都合で嫁ぐのだからと、あなたがどんな人でも構わないと、何も調べずにここに来たのです。何をしている方なのか、どんな暮らしをされているのか、お顔すら存じ上げず……」
触れた拳が少し緩む。
「…思えばあの日………」
今度は私が手に力を入れる番だった。
そう、あの日が私の初恋の始まり……。
もう分かっている。旦那様を纏うキラキラから目が離せなくなったあの日、私はきっと一目惚れをしたのだと。
だからこれも分かっている。
……きっと妻という立場が無ければ、旦那様が私を見つめる事など無かったということも。
「…レジーナ……?」
旦那様の顔が心配そうなものになる。
……今言わなければ。メルから教わったでしょう?旦那様に伝えたい気持ちがあるのなら、品物を選ぶより先にすべき事があると……。
「…旦那様、わたくし……旦那様のことが……」
触れた指先にクッと力が入る。
「好……きで………」
頑張ったわ!勇気を振り絞ったわ!
そう思った瞬間だった。
「いい夜だね、親友よ!」
ガチャッと開いた扉を二人でバッと凝視する。
そこには空気を全く読まないニコニコ顔……。
「クリストファー……?」
旦那様が呟く。
「あれー?何かお邪魔だったかな?ごめんね、何かいい雰囲気の時に。さ、続けて続けて!」
兄様の言葉に全身に羞恥心が走る。
「だ、旦那様、わ…わたくし、先に部屋に下がりますわ」
ああもう兄様の馬鹿!!
顔を覆いながら部屋を出る瞬間に、とりあえず目一杯の恨みを込めて、公爵家一の怪しい人物を睨んでおいた。
「あはは!そんなに睨まないでくれる?悪かったって」
…正直言って追い返したいのだが、そんな事をできる相手では無いことは重々承知している。
だからとりあえず応接間で振る舞いたくも無い酒を振る舞い、ソファで向き合っている。
…クリストファー・ウィンストンと。
「…で?何の用だ」
そう言えばクリストファーが嬉しそうな顔をする。
「いいねいいね!ようやく親友らしくなって来た」
……敬語を止めるまで毎日呼び出すという脅迫紛いの事をされれば、嫌でもこうなる。
「いやね、親友として君の昇進祝いに一番に駆けつけようと思ってね」
「!」
…今日の今日でなぜそれを……
「あ、びっくりした?まぁ情報こそが私たちの命綱だから。まさか誕生日の祝いもできるとは二重に目出度い」
そう言って私に怪しげな箱を突き付けてくる。
「……とりあえず受け取っておく」
「そうしてよ。きっと役に立つから」
にこにこと腹の底の読めない笑顔に警戒心は最大だ。
「……クリストファー、わざわざ祝いの品を届けに来た訳では無いだろう?回りくどいのは好きでは無い。何をしに来た」
にこにこ顔は崩れないが、雰囲気が僅かに変わる。
「そういうはっきりした所嫌いじゃないよ。…そうだね、親友相手に隠し事をしても仕方ない。今日は政治の話をしに来た。君が前線に立つ事になった今日この日に」
「前線……?」
「ああ。…政争という名の戦の前線だよ」
政争…つまり政治における争い事。言葉の意味は分かるが……。
「軍での肩書など政治の世界では役に立たないだろう?例え元帥であっても王家の意向に逆らえないでは無いか」
そう言えばクリストファーが首を横に振る。
「それは違う。前にも言ったけど、王家が恣意的に動かす事が出来ない唯一の存在はやはり君たちだ。我が国の軍は他国とは違い、『国王軍』では無い。王のために存在するのでは無く、民のために存在する『王国軍』だ」
…国軍設立の理念……か。
「…ケイヒル元帥はよくやっている。王家、議会、軍の均衡をギリギリのところで保っている。国軍トップとしての彼には何の欠点も無い。だけどね、彼にはもう一つの顔があるだろう?」
「……侯爵か」
クリストファーが頷く。
「彼はどうしても侯爵として為さねばならない事があった。…養子縁組だ」
「アンディの?」
「そう。侯爵家以上の高位貴族は、王家の許可無しに簡単に後継指名が出来ない。…一つの家に勢力が偏る事を防ぐ牽制の意味がある」
…なるほど。完全無欠の元帥の唯一の弱点が……おい、分かってるのか阿保男。ヘラヘラヘラヘラしてる場合では無いぞ。
「……ウィンストン公爵家がレジーナの相手を軍人に求めた理由は…分かった?」
伯爵家ではあまりに力が弱いと思っていたが、その実、貴族としての高い身分は弱点にもなり得たのだ。
「…昇進は……無駄では無いのだな」
「当然だ。君は今度中将になる。それでなくても少将以上は〝閣下〟なんだよ?どれだけの力があると思ってるの。軍人としての君に命令出来るのは残り何人だろうね。確かに爵位を持つ以上、王家が君を従わせようとする事は出来る。だけどね、貴族としての君の事はウィンストン公爵家が守ってやれる」
…クリストファーの言い分はよく分かる。
だがなぜそこまでして、という疑念は晴れない。
「クリストファー、私の正直な思いを述べる」
「…どうぞ」
明るい金髪に緑色の瞳。
…そう、紛れもなく王家の色。
「レジーナと巡り合わせてくれた事には感謝している。…今さらどんな事実を聞かされたところで手放す選択肢など無い」
クリストファーが柔らかく頷く。
「だが、感情を挟まない事象だけを捉えれば、なぜそこまでしなければならないのかについては理解が及ばない。…これを知らずして前線に立つなど無策もいいところだ」
クリストファーのにこにこ顔が僅かに崩れ、瞳がどこか遠くを見る。
「…贖罪だよ。ウィンストン公爵…父上と私が、レジーナを生贄にした事に対する贖罪だ」
クリストファーから紡がれる言葉は、血生臭い人生を送って来た私にとっても、少しばかり衝撃を覚えるものだった。
『2月2日 満月
逃げて来てしまったわ…。だってあのタイミングで兄様の登場は反則だと思わない?自称だとしても友人同士の男性は突然お互いを訪問したりするのかしら。そう言えば母様も似たような事をなさったわね。ウィンストン家って凄く自己中心的…?まあそれは後回しよ。問題は旦那様に聞こえたのかどうかよ。もう恥ずかしすぎて顔を合わせられないわ!』




