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5月13日

「まぁ、それではご両親同士が友人だったご縁で?」

「え、ええ…。何でもアクロイド前伯爵と父が寄宿学校時代に寮の同室だったと聞いておりますわ」


 …ああ……なぜこんな試練が降りかかるのかしら。


「それでウィンストン公爵家のお姫様が伯爵家に………」

「え、ええ……」


 嘘は吐いてないわ。一つも吐いてない。

 でもこれ以上旦那様(仮)との馴れ初めの情報は無いのよ!脳内旦那様との妄想では切り抜けられないわ…!



 初夏の心地良い風が通り抜ける王宮の中庭…のうちの一つ。花で飾られたテーブルが並ぶ女の園。

 今日私はここに召喚された。

 …いえ、正しくは御招待頂いた……やっぱり呼び出されたの方がしっくり来るわね。

 とりあえず、お茶会など無いだろうとたかを括っていた私に降って来た試練。

 …軍人のご夫人方には夫人会なるものがあるらしい。

 何でも家を空けて長期遠征に出る事もある夫の身を案じて、奥様同士が情報交換をしたり慰め合ったり、あとは何だったかしら…陳情を出したりするそうな。


 召喚状を受け取ったのは御前試合の翌日のこと。

 アクロイド伯爵邸作戦総本部、本部長わたくし、が緊急会議を開いた結果、参謀長・執事ダンテの『参加以外に選択肢無し』の一言で全てが決まってしまった。

 …もう少し色々あってもいいと思わない?会議時間3分よ?仮病とか大怪我とかあるじゃない。



「…そんなこと言って、ウィンストン公爵に泣きついたのではなくて?」

 得意のニコニコ笑顔を貼り付けてこの場をやり過ごしていた私に、想定外の台詞が降って来る。

「…え?」

 声のする方へパッと顔を向ければ、テーブルを取り囲むご夫人方によって作られていた厚い壁がサッと割れる。

 

「だっておかしいじゃないの。エドガーとあなたでは身分も年齢も全然釣り合いが取れないし、いくら彼が未来を嘱望される身だとしても普通は結婚なんてありえないでしょう?」

 割れた壁の先から現れた女性に、その場にいた全員の視線が注がれる。

 

 まあ、どなたかしら。すごく的確な御意見を述べられるこの方は。

 ご挨拶をしなければ…と口を開こうとした時だった。


「ちょ、ちょっとイゴール夫人!!何てこと仰るの!?」

 私の右隣に座っているご夫人がガタッと立ち上がって叫んだ。

「あなた達だって本当はそう思ってるんでしょ?どうせ彼の見た目を気に入って、お人形を欲しがる子どもみたいに駄々をこねたに決まってるわ。お姫様の我儘に巻き込まれた彼が可哀想だと思わない?」

「あ、あなたね!いくら第一師団長の幼馴染だからって、言っていい事とそうじゃない事の区別ってものが……!」

 今度は左隣に座っていたご夫人が扇子をパチンッと鳴らしながら立ち上がった。


 まぁ何かしら、私そっちのけで始まった女同士の熱いバトル……!

 これが噂に聞く、神様以外から受ける〝洗礼〟というものかしら?新人には付き物だから覚悟しておくようにとメルが……。


「イゴール夫人!若くして未亡人になった貴女に皆遠慮していたけれど、今日こそは言わせて頂くわ!」

「あら遠慮なんてしてくれてたの?お優しいわねぇ」

 

 な、何ですって!?

 幼馴染で…未亡人……?

 これは確かフ…フラグよ、フラグ!まさしく『女の影』だわ!

 さすがアクロイド伯爵邸参謀長ダンテ……。こうなる事を見越して私をここに送り込んだのね……!

 安心して頂戴!わたくしきちんと事態を把握しましたわ……!

 

 天を仰いで邸の執事に最大の賛辞を送りながらハッと気づく。

 こうしてはいられない。私も参戦しなくては……!


「イ、イゴール夫人!」

 とりあえず豪華な巻き髪の夫人に呼びかけて見る。

「な…何かしら」

 そ、そうね、何を言おうかしら。

「ええと……お初にお目にかかりますわ。わたくし、レジーナと申します」

「…知ってるわ」

 そ、それもそうですわね。

「ええと…イゴール夫人は旦那様と幼馴染でいらっしゃるの?」

「だから何?そうよ、二十年来の付き合いになるわ」

 二十年……私の人生全部より長いですわ。

「だからお若いあなたに教えて差し上げる。エドガーに期待したって無駄よ。振り向かせようなんて思わないことね」

「え、あ、お待ちになって……」


 クルリと背を向け中その場を去られるイゴール夫人。

「ご、ごめんなさいね?少将夫人。気分を悪くされたかしら。あの方普段は明るく気丈に振る舞われているのだけど……その、ええと………」

 今日の夫人会の発起人である中将夫人が気まずげに私を見る。

 そして少将夫人は…私…の事よね?

「…いいえ、とても…とても実り多き会でしたわ!」

「え?」

「また御招待下さいませ!次はきちんと戦力を整えて来ますわ!」

「え、ええ……え?」

 ニコニコ笑顔を貼り付けたまま、最大限の早歩きで中庭を横切る。

 帰って復習しなきゃ!今日は脳味噌最大出力よ!






『北方の戦況が芳しく無い。部隊の追加投入もあり得る。各々持ち場での準備を進めてくれ』


 王宮内の軍本部での会議を終え、部下の待つ待機所へと足早に歩みを進める。

 だから言わん事ではない。

 呑気に祭りごとに興じている場合では無かっただろう。ついでに今年は総合評点三位だ。…剣舞が余計だった。

 それにしても追加派兵か。確かに北の隣国と第三師団の小競り合いは既に1年に及んでいる。南方を預かる第一、第五、第八師団には今回声は掛からないと思うが、東の第二…ゲイルの部隊から北は分からない。


 御前試合からこちら、何度かゲイルに会う機会があった。

 預かる部隊は違えど、王都にいる間の仕事はお互い似たようなものだ。

 いつもの事だが、ゲイルの口から出て来るのは糧食の不味さとトレーニングの話ばかりで、レジーナのレの字も出て来ない。

 あの日は動揺したが当たり前だ。

 伯爵家ですら公爵家との付き合いは神経を擦り減らして気が滅入るというのに、子爵家の三男であるゲイルにとっては近寄りたくもない相手だろう。

 つまり、意味不明。小娘、意味不明。

 

 一目散に出口を目指す私の目端に、回廊を向こうからやって来る集団が映る。

 目に入った瞬間『げっ』と頭が勝手に喋る。

 …王太子と近衛隊………。

 壁際に寄り、頭を下げて彼らが通り過ぎるのをひたすら待つ。

 早く歩け早く歩け早く歩け……

 呪詛のように脳内で繰り返しながら殿下の靴先を見つめていると、近衛との会話が漏れ聞こえて来た。


「…アーネスト、レジーナが来ているというのは本当か?」

 !!

「は、確か西の宮の中庭に」

 西の宮…中庭……

「会いに行きたいのだが」

 ………は?

「なりません。レジーナは軍属の夫人会の最中です」

「夫人会……そうか、結婚したのだったな。…ならばようやく手に入る……か。アーネスト、レジーナと繋ぎをつけて欲しい」

「……………は」

 

 …何だ、今の会話は……。

 王太子が…小娘を…手に入れる?

 何がどうなっている。

 ほんのふた月前までは一文字も耳に届かなかった名前が、どうしてこうも頻繁に聞こえて来るのだ。

 そして耳にするだけで精神を乱される名前など過去にあっただろうか。乱され方も半端ではない。戦場では確実に命取りになるような困惑と混乱。

 おかしい……。何かがおかしい……。

 

 絶対におかしい。そう確信したのは次の瞬間だった。

 頭の先を過ぎゆく靴の群れの最後尾、黒い革靴が私の前でピタリと止まった。

 思わず身構えて拳を握る私に、低く囁く声がする。

「…そこの義弟(おとうと)、今の話聞こえたな?…早く出世しろ。超速で出世しろ。分かったな」

 は?

 思わず目線を上げると、小娘によく似た顔の男が私を横目で見下ろしている。

 …アーネスト・ウィンストン……!

 ウィンストン公爵家の次男、小娘の次兄……。

「…それか、レジーナに惚れられろ。流星らしく」

「…は!?ーーッッッ…」

 思わず溢れそうになる声を慌てて飲み込む。

「またな」

 頭を下げたまま、アーネストが立ち去るのをひたすら耐える。…後から後から湧いて来る疑問と不快な靄を抑えこみながら。

 

 すっかり速度の落ちた足を無理矢理運びながら思う。

 最近こんな事ばかりだ。何かが起こっているのに、その尾さえ掴めない。

 不快……そう、不快だ。

 そして何が一番不快かって、お前だ!アーネスト・ウィンストン!!貴様は私より五つも年下だろうが!!

 誰が…誰が『おとうと』だ!生意気至極!

 ……これだから公爵家と関わるのは嫌なのだ。





『5月13日 晴れのち曇り

 今日は興奮冷めやらない一日だったわ。書く事が盛り沢山よ!さぁいくわよ。まず私の旦那様(仮)は国軍国境防衛第一師団長で少将だそうよ。師団長と少将の肩書の違いは分からないけれど、どちらかの役職の夫人と呼ばれたら返事をするわ。そして旦那様(仮)がどうして今まで結婚されなかったのか謎も解けたわね。あの方よ、豪華な巻き毛のイゴール夫人!二人はきっと想い合っていたんだわ…。でも貴族の結婚はままならないもの。イゴール夫人は別の方…普通に考えればイゴール氏に嫁いでしまった。ああ、何て悲恋なの。そうね、でも機会はやって来た。だって彼女は今や未亡人だもの!二人の仲は何処まで進んでいるのかしら?旦那様は帰って来られないからもしかして……だめ、これ以上は淑女の想像力を超えるわ!ええと、この場合私の立ち位置はどうなるのかしら?』

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