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1月20日 後編

「…アクロイド伯爵夫人、まずはあなたに心からの御礼を申し上げます」


 冬の花が咲き誇る王宮内の温室。

 王太子妃殿下の言葉はこの一言から始まった。


「御礼だなんて……。あの時私にできた事なんて、本当に何もなかったのですわ。…結果、誰も怪我一つ無く済んだというだけのこと」

 何かをしてくれたのは、やはり兄様たち近衛の皆様と、旦那様を始めとする軍の方々。

 …私はお喋りを我慢しただけに過ぎない。

「いいえ、普通の貴族女性ならば狼狽えて泣き叫び、相手を逆上させていたと思います。…私もしかり。ですからこの度の褒賞なのです」

 静かだがはっきりとした口調の妃殿下は、きっと頭のいい女性なのだと思う。

「……恐悦至極にございますわ」

 私の返事に一つ頷くと、妃殿下が手を振り人払いをする。

 …ここからがきっと今日の本番なのだわ。


「…夫人、王家の褒賞とは別に私はあなたに本当に感謝しているのです。…ごくごく、個人的な理由で」

「個人的…でございますか?」

 妃殿下が頷く。

「あなたもご存知でしょう?…私が南国の王家の出だということは」

 それは…もちろん知っている。どういう経緯でリチャード殿下のお相手に選ばれたのかは分からない。それは政治の世界の話だから。

「王家の出とは言え、私は側妃腹の第三王女でした。つまり……何の力もない、ただの人質です」

「え……?」

 妃殿下の口から出て来た言葉に驚く。

「この国と南国の戦の結果、和平の条件として嫁してきたのです。南国の王家にとって、失ったところで痛くも痒くもない王女として」

「ええと……」

 ここはどうすべきなのかしら。肯定…それとも否定……

「ふふ、気兼ねはけっこうよ。全て事実ですから。要は、私には帰る国も無ければ、この国に何かを与えられるような力も無い。…生きていくためのよすがは、王太子殿下以外に存在しないのです。ですから個人的な礼を申しました」


 優雅にお茶を飲む姿からは、それでもやはり厳しい教育を受けて来られたのだという事が分かる。

「妃殿下のお気持ち、しかと承りましたわ。アーネスト兄様には殿下をしっかり御守りするよう、会うたびに申し付けますわ!」

 明るく振る舞って見せれば、妃殿下の眉が下がる。

「…ふふ、ありがとう」

 


 しばらく静かな時間が流れただろうか。

 目に鮮やかな花々を映しながらも、頭の中では別の事が浮かんでは消えていく。

「…夫人………」

「…何でございましょう?」

 妃殿下の視線がカップの一点で止まる。

「…殿下の宮へは来て頂けないの?」

「…………はい?」

 思わぬ台詞に間の抜けた声が出る。

「申した通り、私には殿下以外にこの王宮で生きていくための後ろ盾がありません。ですが…その殿下もまた、王宮で生きていくための後ろ盾が足りないのです。私たちは…夫婦共にあなたを必要としています」

 

 衝撃的だった。まさか妃殿下の口からあからさまに宮入りの要請を受けるとは思いもしなかった。

「ひ、妃殿下、何をおっしゃっいますか。普通はお嫌でしょう?夫の側に他の女性が侍るなど……」

 私の言葉に妃殿下は強く首を振る。

「いいえ、この国はまだ優しい方です。南国には側妃制度があります。公妾とは違い、正式に妃の位を持つ女性と過酷な継承争いを繰り広げるのです。…ですから、生きていく為には手段を選んでなどいられない」

 そう述べる妃殿下の眼差しはとても強いものだった。


「わた…わたくしは……」

 公爵家に生まれた身。道具となる覚悟は嫌というほどしてきた。でもそれは去年までのこと。

 今は……今は……

「聞かせてちょうだい。可能な限りあなたの意向は……」

「わたくしっ、初めては旦那様とがいいのです!まだ叶って……いない事が……その…」

 思わず大きな声を出してしまった事を瞬時に後悔する。

 私ったら何てことを……。

「…はじめて?」

 妃殿下が目を見開いている。

 こくりと頷きながら両手で顔を覆う。

「…ええと……夫人はまだ……しょ…コホン、御令嬢…なのかしら?」

 妃殿下の仰りたい事は、お母様がスパッと言い放った台詞だろう。

「え…ええと………婚姻は…しております……」

 きっと私の顔は真っ赤だと思う。


 妃殿下が大きな溜息を吐く。

「なんとまあ固い守りなのでしょう。さすがは南の英雄だわ」

 南の英雄……?

「……はぁ。私の小賢しい作戦など彼の手の平の上でしたのね。……ああ、きっと時間が足りないわ。さぁどうするべきかしら。アレをこうしてああして……」

 妃殿下の言葉は途中から聞き取れなかったけれど、どうやら英雄が何かをしてくれていたらしい。

「…アクロイド伯爵夫人、またお茶に付き合ってちょうだい。今日はありがとう」

 

 

 何とか乗り切った妃殿下とのひと時。

 今度こそ王宮警備隊に囲まれながら、控室のメルの元へ向かう。

 外廊下を歩いていると、ふと目に入る西の宮。そしてゆっくりと足が止まる。

 ……なぜかすごく、旦那様に会いたかった。

 





 居残りを命じられた私は、なぜか会議室の隣の小部屋で元帥と参謀総長の正面に座らされていた。

 居残りと言えば大量の課題…。士官学校時代を思い出し身震いする。


「ワハハ!いやしかし少将がちゃんと事態を正しく認識していたとはなぁ!総長、良かったでは無いか。これで何の憂いもなく次に進めるな!」

「まさに。やはり我らが考案した適性試験は馬鹿になりませんな!」

 …何を言っているのだ、この狸親父どもは。

 今日の私は機嫌が悪いのだ。心の中では悪態三昧なのだからな。

「いやぁ、アンディからは、『エドガーは優秀だけど、とてつもなく天然ボケ』で『興味無い事に対する知識は10歳児』だと聞いていたからな。どうなる事かと気を揉んでおったわ」

 …ほう。

 話の流れは全く分からないが、アンディが私に喧嘩を売っているという事だけは確かだな。


「…少将、君も気づいただろうが、国軍は未曾有の人手不足だ」

 元帥が葉巻に火をつけながら言う。

「人手不足…ですか?」

 だから会議にも出られないほど多忙な人間が多いと?

「君が歌劇団の件をポロッとそこの総長に話した後、我々は内偵に入った。かなり時間を要したが……残念な事に今日顔が見えなかった者達は、監督不行き届きによる情報漏洩の咎により免官となった」

「!!」

 …今日はいくつ席が空いていた?一つや二つでは無いぞ。あれだけの将官クラスがクビ…?


 総長が腕を組んで溜息を吐く。

「いずれ少将の耳にも届くだろうが、先に伝えておく。東国の捕虜と歌劇団への尋問から、東と北が結託して戦を起こした理由は明らかになった。…王太子殿下の廃位、それから第二王子殿下の立太子だ」

「………………。」

 それは察していた。

 ゲイルに聞いた時は、王家のお家騒動など興味の欠片も無かったが、アンディとアーネストの含みのある会話を自分なりに咀嚼したのだ。

「東国は戦を有利に進め、停戦の条件としてそれを提示するつもりだった。だが目論見は失敗。…焦った北国が直接的な手段に出た」


 今度は元帥が煙を吐きながら言う。

「……歌劇団の狙いはやはり当初は王太子殿下で間違い無かったのだ。…奴等は我が国の力関係をよく調べている。少将、君の言う通りだ。仮に今回王太子殿下が北国に囚われたとして、国軍は手も足も出せなかった。…違うな、出す必要すら無かった」

 総長が続ける。

「…不敬を承知で言わせてもらえば、王家…第二王子派としては、王太子殿下の生死はどちらでも良い。どちらであっても結果は同じ」

 生きて人質となり、解放の条件として廃太子となるか、死して弟に位を譲るか……。


「だが、君の奥方が囚われたとなると話は変わる」

「!」

 元帥の声にハッとする。

「第二王子派からすれば、王太子殿下の身柄と引き換えに手に入るのは王太子位のみ。だがな、レジーナ姫の場合そうでは無い。…少将、君は自分の妻が置かれている立場を正しく理解できているか?」

「正しく……」

 彼女はウィンストン公爵家の令嬢で、貴族にとって価値が高く……

「少将、彼女の後ろにいるのはウィンストン公爵家だけでは無い。それだけでも絶大な権威を持つが、子どもは片親だけからは生まれないだろう?…ウィンストン公爵夫人…アラベラ・ウィンストンの生家は、マクラーレン公爵家。…宰相を出す家だ」

「マクラーレン…」

「そうだ。我が国の二大公爵家…そう言えば分かりやすいか?」


 元帥の話の情報量が多すぎて、正直脳内で咄嗟に処理しきれない。

「ええと…つまりレジーナは王族に連なる公爵家と、政治力のある公爵家に繋がる血筋という事ですね。ですが王太子と比較すべきものでしょうか。レジーナを人質としたところで、王太子位が手に入るわけがない」

 普通に考えれば…そうだろう?

「あー……実はな…私はリチャード殿下の剣術師範を勤めていたのだが……」

 総長が口をまごまごさせながら話し出す。 

「…なんです」

「………殿下とレジーナ姫は………アレだ。その…」

 アレ…?アレとは一体………

「まぁ、いわゆる元許嫁だな」

「……は?いいな…?」

「うむ。殿下の初恋の相手でもある」

 はつこ……

「あー……初恋は……終わっておらん。…昨年の舞踏会の様子だと」

「!?」

 レジーナと王太子が許嫁……つまり結婚の約束を……?

「……ワッハッハッハッ!!総長、見てみろ!少将の間抜けな顔!!色男が台無し!!プププ!」

「まことに。口も目もぽかーん!流星派のうちの嫁にこの顔を見せてやりたいわ」

「ワハハ!うちも母娘で流星派だ!」

 ……アンディの血筋、間違いない。

 そして嫌な響きの派閥だ。


「まあ冗談はさておき、要は君が果たした動きは非常に大きかったわけだ。レジーナ姫が北国に連れ去られていた場合、恐らく戦になった。貴族の頂点と、政治の頂点、それから王太子が動く。……そして我々は負けただろう」

「元帥の言う通り。現時点における情報量、兵站、地の利…どれをとっても不利すぎる」

 ……負けた………か。

 二人がそう言うならそうなのだろう。

「総長、つまり言い換えれば、アクロイド少将はたかだか50人にも満たない小隊だけで負け戦を未然に防いだとも言えるな?我が国の権力者の首を根こそぎ刈り取られる、絶望的な負け戦を」

「その通り。敵の後ろに控える万の軍勢に怯む事なくその身を挺し……」

「…ただ妻を取り戻しに行っただけですが」

 気持ち悪い小芝居をする二人に、再び嫌な予感がする。

 

 正面の二人がにっこり微笑んで声を揃えた。

「「おめでとう、アクロイド少将。昇進だ」」

「なるほど。……謹んでお断りします。では失礼」

「「は?」」

 これ以上面倒な肩書は不要。

 元許嫁の存在が明るみに出た以上、私は正式にレジーナの夫になる事こそが最重要必達目標。

「「…え、断られた?」」


 ボソボソ煩い狸親父どもを無視して部屋を出る。そして小走りで中央宮を目指す。

 ……レジーナを一人で謁見させるなど何て愚かだったのだ。これはクリストファーに今後数年精神的攻撃を受けても仕方がない。

 

 詰め込まれた情報で忙しい頭の中は、レジーナの顔を見るまで整理出来そうに無かった。

 




『1月20日 晴れ

 会いたいなと思った瞬間に会いたい人に会えるって凄いことだと思うわ!中央宮の廊下を駆けて来た旦那様を見た時とても嬉しくて、思わず走ってしまったの。旦那様も警備隊の皆さまも目を丸くしてたのだけどお構いなし!二人で手を繋いでメルを迎えに行ったら、「そういう事は邸の中だけにして下さい!」って叱られちゃった。だから邸の中では手を繋いでいいのだと思ったのに、旦那様は使用人の前では駄目の一点張り。……邸内に使用人がいない場所なんて無いじゃない。』

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