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1月20日 前編

 今日の朝はいつもより早く起きて、仕事に行きたくないと言う旦那様を何とかなだめすかすところから始まった。

 新年さえ領地で迎えられないほど仕事人間の旦那様が駄々をこねるなんて、それだけでも邸中がひっくり返るほどの緊急事態だったのだが、それも仕方がないのかもしれない。

 …今日は私が登城する日だから。



「メル、あくまでも昼の正装よ?抑えめ、抑えめでお願い」

「分かっております。色は地味に、布地は多く、化粧は薄め…」

「そうそう、さすがメルだわ!」

 メルとリタとアナに手伝われながら、どんどん整っていく自分の姿を鏡に映す。

 …緊張するわ。私まだ三歩先どころか今どこにいるのかもよく分からないのだから。慎重に…慎重によ。

 鏡を見ながらグッと拳を握った私にメルが言う。

「大丈夫ですよ、レジーナ様。別部署とは言え、王宮には旦那様がいらっしゃいます。まさかの事態も、よもやの事態も、旦那様が決してお許しになりません」

 きっぱりと言い切るメルに意外さを感じる。

「まあ…。メルはいつの間に旦那様とそのような深い信頼関係を築いたの?」

 鏡越しにメルを見れば、少しバツの悪そうな顔をする。

「……あの方は優秀です。少し天然なきらいはございますが、数少ない情報から時勢を読み解き、正解へと導く能力は一流だと思います」

「正解……旦那様は算術がお得意なのかしら。確かに詩歌や文学は苦手そうだわ。…てんねんというのは何?確かアンディ様も以前似たようなことを……」

「…………………。」

 あら、そこは教えてくれないのね。もしかして悪い言葉なのかしら。


 

 とにかくウィンストン公爵令嬢の時のような、親戚の家に遊びに行く気持ちでは駄目だと気合を入れて登城した私であったが、いざ通された謁見の間では緊張など飛んで行くほどの光景が待っていた。


「…レジーナ……今は…アクロイド伯爵夫人か。先般…王太子の為にその身を呈した働き…誠に感謝の…念に耐えぬ……ゴホッ」


 腰を深く落とし頭を下げながら、振り絞るように紡がれる陛下の御言葉を聞いていた。

 夏の終わりの舞踏会では陛下の御姿は見かけなかった。御前試合の時は表彰式を見なかった。だから最後に陛下にお会いしたのはデビュタントの時だ。

 あれから2年と経っていないというのに、陛下のお変わりようと言ったら……。


「…では褒賞を……」

 陛下の御言葉に促され、私の目線の先に儀礼官と思しき靴がピタッと止まる。

 顔を上げて手渡される目録を一度高く捧げると、姿勢を正し、ようやく王家の皆様方と正体する。

 痩せた体に力無い微笑みを浮かべ私を見る陛下、その隣には色の無い顔をした王妃殿下、そして一段下陛下の右側に王太子殿下御夫妻、そして左側には第二王子殿下御夫妻……。

 いつものように笑みを浮かべる王太子殿下と、私を興味深そうにじっと見つめる王太子妃殿下。

 他の方々の表情は……仮面ね。王族としての完璧な仮面だわ。


「国王陛下並びに王妃殿下、そしてこの場にお集まり頂いた殿下方並びに妃殿下方におかれましては……」

 褒賞に対する感謝の口上を述べ、静々と後方へと下がる。

 とりあえず失敗はしなかったと思う。

 だけど、胸に抜けない棘のようなものが刺さったような、そんな気持ちだった。


 

 何とか儀式を終え、厳重過ぎるほどの王宮警備隊に囲まれてメルの待つ控室へと向かう道すがらの事。

「…アクロイド伯爵夫人」

 突然背後から声がかかる。

 聞き慣れない女性の声に振り向けば、そこにはたった今辞去を述べたばかりの姿がある。

「王太子妃殿下…?」

 思わぬ事態に慌てて体ごと向き直り頭を下げる。

「ああ、良いのです。急に呼び止めてごめんなさいね。顔を上げて?」

 柔らかくかけられる言葉に少し戸惑いながら正面を向けば、薄い茶色の髪を見事に纏めた、明るい青い瞳の美しい妃殿下が微笑んでいた。

「夫人、お時間が許すようならば少しお付き合い頂けないかしら。……お茶でもいかが?」

 …これは流石の私でも分かる。お母様からの招待以上に断れないお誘いだ。

「…妃殿下にお声かけ頂けるなど光栄ですわ。ぜひ喜んで」


 お母様仕込みの貴族の仮面を貼り付けながら思った。

 …社交をさぼるのでは無かったわ。何とかを知れば百戦危うからず……。

 そして、後悔先に立たずね。






 イライラする。

 物凄くイライラするし、ソワソワする。

 参謀本部での仕事のほとんどは会議なのだが、今日は月に一度の全体会議…つまり幹部会だからこそ、こうして大人しく席に座っているというのに、一体なぜこうも席空きが多いのだ。

 出席しなくてもいいのならば、私だってレジーナの付き添いをしたかったのだぞ。

 王宮警備隊を脅し上げて……丁重に依頼をして、普段の3倍の人員を配置させはしたが、王族への謁見に一人で行かせるなど、そんな薄情な仕打ちがあるか。

 役立たずな父上と母上は例の如く何処かに飛んで行ってしまうし、今頃レジーナが心細くて泣いてるかも知れないだろうが。

 いや、泣いてはいない。彼女は人前で泣かない。

 しかしイライラす………


「……アクロイド少将、どう思う」

 …は?

 突然元帥から名前を呼ばれる。

「……私ですか?」

 すみません一言も聞いてませんでした、と心の中で唱える。

「そうだ。東部の戦も今回の件も、現場に居合わせたのは君だけだ。報告書に載っていない…そうだな、肌感覚というものを知りたい」

 …はぁ?ふざけるなよ。じゃあ何のために膨大な時間をかけて報告書を書かせたのだ。ついでに目の前に総指揮を執ったでっぷり腹のマクレガー大将がいるだろう!…とは言えない。

「…はい。それでは私より所感を述べさせて頂きます」

 いつもは淡々と仕事をしているが、今日の私は機嫌が悪い。

 

 会議室に集まった面々の顔をチラリと見ながら、昨年の夏からずっと腹に据えかねていた事を述べる。

「…東部での開戦も停戦も経緯は各方面から上がって来た報告書記載の通りです。王太子殿下誘拐未遂事件も、結果として表沙汰になる事もなく処理できました。ですが私は一つだけ納得できていない事があります」

「ほう…?全てこちらに有利に運んだと思うが」

 参謀総長が私を見る。

「偶然の産物です」

「偶然か」

 今度は元帥が私を見る。

 あなたが描いた絵図に偶然巻き込まれたのは誰だと思っている。

 レジーナだ!私の妻のレジーナなんだぞ!?


「…この場にいる皆様に伺いたい。北国の間諜に略取されていたのが王太子殿下であった場合、軍をどのように動かす予定だったのですか?まさかどこかの司令官に小隊を率いて国境を越えさせるつもりではありませんよね。今回だけではない。第一師団長として東部戦線に立った時も、現場に下された命令は国境線の死守だった。防衛戦なので従いましたが、戦いが有利に進んだとしても、東国の砦一つも落とせとは言われなかったでしょう。つまり……」

 

 腹立ち紛れに一気に喋ったが、会議室内の空気が明らかに陰鬱になったのを感じて口を閉じた。

「……仮に同じ事が起きた場合の対応策があるのか、という事だな」

 参謀総長が静かに口を開いた。

 …そうでは無い。一連の流れの原因は分かっているだろうと言いたいのだ。

 これは領土争いに端を発する外患では無い。

 内憂なのだ。

「…アクロイド少将の言う通りだ」

 元帥が口を開く。

「皆も気づいての通り、この度の落とし所はあくまでも対隣国向けのものだった。…だが根本原因が除かれた訳では無い。本件は、王国軍設立以来の……憂慮すべき事態だ」

 …なるほど、例え元帥でも直接口にするのは憚られる訳だ。

 ならば同じ事はまた起こる。

 それこそ次代の王の首がすげ変わるまで延々と……。


「…だから、だ。我々は王国軍設立の基本理念に立ち返る事ができるのかが問われている。この意味が分からない者はおるまい」

 元帥の問いに室内に緊張が走る。

「…ですが、我らの身の内には近衛隊も王宮警備隊もおります。彼らの職務は……」

 王室参与次官が苦しそうに言う。

「その通りだ。…我々は今大きな命題を与えられた。次回はそれぞれの持ち場で起こるであろう諸問題を持ち寄る事としよう。……今日は散会とする」

 ……喋り過ぎた自覚はあるが、元より空気を読む事は苦手だ。邪魔くさいと思われるならそれまでの事。

 それより今はレジーナの元に……

 

 ガタガタと席を立ち、出口に詰め寄る人波に紛れた時だった。

「アクロイド少将」

 背中を元帥の声が追いかけて来た。

 ……嫌な予感がする。

 ここは聞こえなかった振りを……

「アクロイド少将!」

 …………無理か。

「……なんでしょうか」

 振り向いて、煩い男を思い出させる元帥の顔をじっと見る。

「居残り」

「!!」

 ああ…クソ、やっぱり喋るんじゃなかった。

 

 不敵に微笑む元帥と、その隣でニヤニヤしている参謀総長を見て思った。

 …後悔先に立たず。

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