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1月5日 後編

「…話はあなたが産まれる遥か昔に遡ります」

 お母様が見本のような美しい所作でお茶を飲みつつ語り出す。


「国王御夫妻にはなかなか御子が授からなかった。王太子殿下であった時のご成婚から10年経っても兆しは見えず、臣籍降下していたあなたのお父様の王族籍復帰までが真剣に話し合われていたのです。勿論…内々に、ではありますが」

 私は話の意味が分かったのだが、シエラお義母様から質問が飛んだ。

「ウィンストン公爵が…ですか?申し訳ございません、私その辺りをきちんと理解できておりませんわ」


 お母様が少し瞳を和らげて、シエラお義母様を見る。

「レディ・シエラ…私の夫、アルバート・ウィンストン公爵は、前国王陛下の末弟なのです。…現陛下よりも年が若いのですが、関係としては叔父と甥になります。少し複雑ですわね」

「…陛下の叔父……お待ち下さい。もしかしてウィンストン公爵は……」

 シエラお義母様の言葉にお母様が頷く。

「……リチャード王太子殿下がお産まれになるまでは、王位継承権第一位の……次期国王候補だったのです」

「ーー!!」

 お義母様の驚きも理解できる。

 お父様が産まれた時には既に現陛下の立太子が済んでいたと聞く。だからお父様は生後半年で臣籍降下し、ウィンストン公爵として人生を歩んで来た。

 だけど私が聞かなければならないのはそこでは無い。

 

「…お母様、続きをお願いいたします。長年御子が授からなかった国王陛下御夫妻に突然の慶事が訪れた…そのような話ではございませんのでしょう?」

 瞳に力を込めてお母様を見つめる。

「……ええ。……国王陛下は戴冠と同時に一人の女性を公妾としてお迎えになりました。名をカタリナ・オルグレン…結婚後はカタリナ・ドリュー伯爵夫人となり…」

 お母様が軽く下唇を噛む。

「……23年前に一人の男児を産んだのです」

「「!!」」

 斜め前に座るシエラお義母様の顔には驚愕が浮かんでいた。きっと私の顔も似たようなものだっただろう。

「こ、公爵夫人……まさか、まさか…ですわよね?そのような事…」

 お母様がゆっくりと首を横に振る。

 リチャード殿下の言葉が今ようやく理解できた。本来ならば王太子になどなれなかったのだと、その資格は無かったのだと……。


「…疑いようが無かったのです。宮から出ることのなかった夫人の子は、疑いようもなく陛下の御子だった。……後継が必要だった国王陛下は、産まれたその子を王妃の子として……国民に宣布なさったのです」

「…何という……」

 お義母様から次の言葉は出て来なかった。

「…それで済めば、歪ではありますが限りなく丸く収まったのでしょう。…ですが予期せぬ事とは起きるもの。リチャード殿下誕生からわずか二年後、王妃殿下にも御子が宿った。……イサーク殿下の誕生です」

 ああ……本当に何ということなの。兄弟仲が悪いとかそういう話では無かったのだわ。お二人の因縁はそんなに浅いものでは……


「…その後王宮で何が起こったかは想像に難く無いでしょう。事実を知る高位貴族は真っ二つに割れ、議会は纏まらず、国土は荒れ、外敵の脅威にさらされた結果王家の威光は地に落ちた」

「…それは……覚えておりますわ。あの頃はお茶会一つにも非常に神経を使う日々で……」

「…そうでしたね。暗い時代でした。ですがその時代を終わらせたのは……」

 無表情なお母様の顔が僅かに曇る。

「…あなたです。レジーナ」

「…え?」

「……アルバート…お父様は…リチャード殿下が国民に陛下の嫡子として宣布されている以上、長子相続の原則を違える事は出来ないとの立場を明確にされました。…リチャード殿下の出自を論う勢力を一掃するため、正統なる王家の後ろ盾を殿下に与えた。産まれてきたあなたを……殿下の婚約者に据えたのです」


 ああ…ようやくここまでの話が繋がったわ。

 ずっと胸に引っかかっていた。伯爵領での殿下との会話も、殿下が私に何を望んでいるのかも……。

 後は何故婚約が解消されたのか、なぜ旦那様との結婚の運びとなったのかだけど……。

 少しの緊張で張りついた喉を潤そうと、お茶を一口含んだ時だった。


「レジーナ、率直に聞きます。あなたはまだアクロイド伯爵と初夜を迎えていませんね」

「ブーーーッッ!!…ゴホッ!ゴホゴホッ!は…はいっ!?」

 突然の問いに思わずお茶を吐き出せば、目の前には青筋を立ててハンカチで顔を拭うお母様……。

「…けっこう。ならば堂々と王宮で褒賞を受けて来なさい」

「は、は、はいっ!?」

「けっこうだと言いました。…下がりなさい」

 ええっ!?な、何ですの?娘の床事情を尋ねておいてその言い草は…とは思ったが口答え出来るはずもなく、私はそそくさと居間を後にした。

 …視界の端に口をあんぐり開けて放心したお義母様を認めながら……。

 





 夜も遅い時間帯、胃の腑に石を詰め込んだような気持ちで邸に帰ると、居間に明かりが灯っていた。

 こんな時間に誰が……そう思いながら部屋を覗き込めば、そこには一人でグラスを傾ける後姿。

「……母上?一人でどうなさったのです。父上は…?」

「…おかえり、エドガー。お父様ならウィンストン公爵家よ。…色々と長引いてるみたいね」

「は?公爵家?…何があったと……」

 そこまで言いかけた時だった。

「時間取れるなら付き合いなさい。…少し飲みたい気分なの」

 飲みたい気分……何があったというのだ。

「……わかりました。私も今夜は少し飲みたいと思っていたので」

 

 母上と酒を飲むなど初めての事だった。というか邸で飲む姿は見た事が無い。

 よほどの事情があったのだろうと、静かにグラスを傾けた時だった。

「…エドガー、あなた体は大丈夫なの?」

「体?いたって健康ですが…」

 言いながら一口酒を口に含む。

「ふーん……。ならどうしてレジーナちゃんと夫婦の契りを交わして無いの?」

 契り……?ちぎ……

「ブーーーッッ!!ゲホッ!ゴホッ!」

 な、な、なぜ母上がそれを……!

「…こんなに息ピッタリなのに」

「はあっ!?突然何の話ですか!な、だ、誰が…」

 母上が唇を尖らせる。

「この邸でもようやく夫婦の寝室を持ったのでしょう?私てっきり……」

 ………消えたい。砂になりたい。

「本当に体は何とも無いの?…戦場に立った人間は心を病むと聞くわ。何かあるなら専門家に……」

「ご…心配には及びません。…あー……何というか……レジーナはまだ17ですので、その…」

 …なぜ母親とこんな話をせねばならぬのだ……!


「え!?は?そんな古臭い……あ、それもそうね!王族なんだもの!私ったらうっかりしてたわ〜。レジーナちゃんしっかり者だからエドガーと同じくらいだと勘違いしちゃって」

 …しっかり者では無いだろう。例えしっかり者でもあの姿で三十路だと化け物だぞ。大丈夫なのか?この人の頭の中は……。

「そうだったのねぇ……。エドガー、よくやったわ。あなたの鋼の精神力に乾杯!」

「………………。」

 どうも色々と腑に落ちないが、この場は母上に話を合わせておいた。



「…母上、私からも一つお聞きしたい事があります」

 グラスの淵をクルクル指でなぞりながら何かを考え込んでいる母上に話しかける。

「…なにかしら?」

 他人からはよく似ていると言われる顔がこちらを向く。

「……ミランダのことです」

「………ミランダちゃん……」

 悲しげに歪んだ母上の顔から、事の顛末を既に知っているのだと分かった。

「…ミランダから尋ねられたのです。17歳の時のミランダとレジーナはどう違うのか…と」

 

「…聞いたのね、ミランダちゃんから」

 私は一つ頷く。

「……エドガー、あなたはとても強いでしょう?」

「…おっしゃる強さの意味にもよりますが……」

 おそらく腕力的な意味では無いと思う。

「…あなたが何かをする前に、私やお父様に相談した事があった?」

 ……どうだっただろう。

 脳内で半生を振り返ってみる。

「ありませんね。全て事後報告だったように思います。それが強さと関係あるのですか?」

 母上が大きな溜息をつく。

「…はぁ。相談も無しに物事を決められるという事は、どんな選択をしても親がそれを認めてくれるという自信の裏返しでしょう?」

 自信……

「その自信があるのと無いのでは物事の考え方が大きく違うのよ」


 母上が行儀悪く頬杖をつく。

「当たり前に愛されて育った子はねぇ、親の顔色もうかがわないし、好きに生きようとするし、自分がどれだけ思われてるのかなんてこれっぽっちも気にしないのよ。まるでどこかの誰かさんでしょ!」

 どこかの誰か…

「え、私ですか?」 

 そう返せば母上が頬を膨らます。

「それよ、それ!!あなたはそれに輪をかけて性格に問題があるのよ!あなたが一度でも私に手紙を寄越した事がある?毎回無事の知らせをくれたのはアンディ君なんだから!」

 そうだったのか。毎回なぜ母上が私の居所を知っているのか不思議だったのだ。

「……まあ親子だからそれでもいいわ。でもあなたはきっと結婚相手にも同じようにすると思ったの。…エドガー、あなたは本当にぼんやりした子どもだった。貴族のお嬢様だったミランダちゃんになぜ一人の供も付いていなかったのか、なぜ身の回りの事が一人で出来るのか、気づいてあげられてた?」

「………!」

「…大人の目から見ればね、あの子に必要だったのは裕福な生活でもちょっとばかり見た目のいい夫でも無かった。ミランダちゃんが何より一番大切なんだと、何度も何度も伝えてあげられる……要は安心させてあげられる人だった。だからあなたではミランダちゃんを幸せに出来ないって言ったのよ」

「………………。」


 ふと、下らない事で駄々をこねて泣き喚いていた幼い日のミランダが頭をよぎる。

 あの頃ひたすら面倒だと思っていた泣き顔も、今となってみればあれ程分かりやすい感情表現は無かったのに。

「その点レジーナちゃんは最強なの」

「…は…い?」

 最強……?母上の言葉に思わず変な声が出る。

「自由だし、少々の事には動じないし、他人に何かを求める事も無い。……あなたを上回る逸材なのよ」

「求めない……」

「そうよー?あなたに言われるまでも無く、私とお父様が何度縁談をお断りしたと思ってるの?」

 え。

「公爵令嬢よ?うちみたいな適当な家が迎えられる相手では無い事ぐらい分かってたわよ!」

 え。

「でもね、公爵夫人がこう仰ったの。『他人に幸せにして貰おうなどという甘い考えではどこに嫁ごうと不幸になるだけ。与えられた環境でどう生きるかは本人の責任です。…ただ、どういう環境を与えるかは親の責任。レディ、誰に対しても等しく強くあれる御子息を見込んで、どうか私と公爵の願いを聞き入れては頂けませんか』って」

 

 母上がグラスに残った最後の液体を喉に流し込む。

「娘のために格下の伯爵家に頭を下げる公爵夫妻が育てたお嬢様よ?あなたが負けるに決まってるわ」

「………………。」

「……なんてね。どんな言い訳をしても結局私はあなたの母親で、あなた中心でしか物事を考えられなかったの。…あなたに幸せにして貰いたい女の子じゃなくて、あなたと並んで一緒に幸せに生きていける女の子を望んでいたのね。……卑怯な大人だったの」


 今夜私は、ただの爆発物だと思っていた母上が想像以上に人生の先輩であり、息子を想う母親であり、人の世を巧みに渡って来た女性だったのだと知った。





『1月5日 風強め

 難しい話はさておいて、一つだけ言い訳させて頂くわ。仕方がないのよ、お母様方。旦那様には蕁麻疹という大問題があるんだもの!私に色気が足りないせい……かもしれないけれど、きっと耐え難い痒みのせいなのよ!』

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