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12月5日 後編

「総員、配置に付きました!いつでも大丈夫です!」

 アーネストの報告に頷く。

「こちらもいつでも大丈夫です!」

 ベルツの言葉に再び頷き、右手を掲げる。

 

 時は夜20時。

 北国領事館の分館から優雅な音楽が鳴り出した頃、我々は作戦行動を開始した。

 掲げた右手を振り下ろした瞬間、立ち昇る大量の煙。まるで邸を飲み込む蛇のように巻き付き、冬の夜空へ伸びていく。

 しばらく煙に巻かれる建物を眺めていると、音楽がピタリと止まった。

「まさに非常時即応体制だ。…第一部隊、突入!」

 私の掛け声とともに正面玄関に突入する自警団の制服に身を包んだ近衛隊。

「一人残らず救出しろ!」

 自分でも言っていて可笑しいとは思うが、この場ではそうとしか言えない。

 大量の煙を吐く邸を、大勢の野次馬が何事かと足を止めて見ている。

「ベルツ、邸から出て来る人間は一人残らず確保だ」

「承知。包囲は完璧です」

 ベルツの言葉に頷き、後方のアンディを見やる。


「諸君、ご苦労!アンディ・ケイヒルだ。消化活動は我々に任せて、民の避難誘導を!」

「は!」

 アンディが侯爵領の市中警察隊を誘導している。

 そう、消化活動に加わられては困るのだ。

 …火など出てはいないのだから。


 ふと南部の奪還戦を思い出す。

 あの頃民間人が砦や城郭に立て籠った時によく使った手だ。相手が軍人ならば蒸し焼きにするのもやぶさかでは無いが、大抵の場合籠城戦に付き合わされているのは民衆である事が多い。

 放っておいても飢えと渇きと疫病で籠城戦は惨い結果をもたらすが、攻める方も自分達の兵站を気にしながらの戦いは楽では無い。

 ゆえに私はあらゆる方法をもって相手を炙り出す事にしていた。何度も言うが、だらだらした戦は好きではないのだ。

 今回は風向きを考慮して、分館敷地外で発煙筒を大量に……


「エドガー、どうだ」

 大通の真ん中に立ち、館を見上げる私の隣にアンディが立つ。

「…第一群が出てきた。敵の選別は憲兵隊に任せる」

「わかった。あー…中に入りたいなら持ち場預かってもいいけど?」

 アンディの言葉にしばし考え込む。

「……アーネストがいれば中を見逃すはずは無いと思うが…」

「何か引っかかるのか?」

 何か……そうだな、何かが引っかかる。

「…レジーナがただ黙って迎えを待つような女なわけが無い」

「そうなのか?あんまり活動的に見えないけど」

 時々しかまともな仕事をしないアンディの顔を無表情に見つめる。

「…そうでは無い。レジーナのいる所にトラブル有り。ウィンストン公爵家にはそういう格言があるのだ。……作戦が順調すぎる」

「はあ?順調なのはいいこと…」

「アンディ、やはり場を任せる。どうにも胸騒ぎがする」

「はっ!?」


 踵を返し領事館前を立ち去る私に、アンディが『頭おかしくなったのか!!』と叫んでいたが、私のこの予感は全くもって正しくて、正しかった事に対して人生で初めて肝が冷えた。






「…ん………」

 パチパチと瞼を数度まばたかせる。

 目に映るのは暗闇の中で時折光を反射する何か…。

「あら?わたくし何を……」

 ぼんやりと辺りを見回しながら、記憶の断片を辿る。

 ええと、確かカリナお姉さまとドレスショップに行ったのよ。そこで面白い実験を思いついて……

「!」

 ここで意識が急覚醒する。

 何を…では無いわ。わたくしあのまま眠って……!


 おそらくあれから数時間以上は経っている。

 夕方私はこのガラスケースの中に入って、ドレスショップの店員と言い争うカリナお姉さまの目を盗んでマネキンが被っていた帽子を拝借した。帽子の影でコソコソとメガネを外し、被っていたカツラをシュルシュル外してドレスの中に隠した。

 ビスクドールの真似をしたあの頃を思い出し、マネキンがやっているように花畑で冠を作る真似をして固まる事数分。

 物凄い叫び声を上げながらカリナお姉さまが店を飛び出して行った。

『オルガッッ!!オルガーーッッ!?』

 ガラス越しに目の前で何度も何度も呼ばれたけれど、私は返事をしなかった。

 だってわたくしはレジーナ・アクロイドですもの。〝レジーナ〟か〝伯爵夫人〟か〝少将夫人〟以外は私の名では無いの。


 走り去って行くカリナお姉さまを固まった顔のまま見送ったあと、それでも再び戻って来る事を考えてしばらくやり過ごそうとしたのがいけなかった。

 どうやら…私は眠っていたらしい。

「ああ…わたくしって何て至らない人間なのかしら。どう考えてもお店が閉まっているわ」

 暗闇なのも当たり前だ。すっかり明かりの落ちた街並みは、目を凝らしてみても薄らと雪が積もる歩道以外に何も見えない。

 …ぼんやりは卒業したはずなのに、また入学してしまったという事かしら。

 などと下らない事を考えている場合では無い。何とかこの場を脱出して助けを求めなければならない。

 自分の今いる場所は分からないけれど、大きな街である事は間違いない。だとすれば市中警察の詰所がどこかに……。


 どこか……。こういう時に世間知らずを痛感する。

 どこかってどこかしら。詰所は夜も開いているのかしら。お兄様たちは時々夜遊びをしていたから、夜に開いている店はあるはずよね。歓楽街というのだったかしら。歓楽街にわたくし一人で向かっても大丈夫かしら。確か女衒とかいう怖い人間がいるとか何とか……。

 誘拐されておいて今さら女衒を怖がるのもお門違いな気もするが、私の足は一歩を踏み出せずにいた。

「……わたくし、一人が怖いのだわ」

 瞼の向こうにメルが浮かぶ。いつだって私の側にいて、侍女というよりは友人のような、姉のような存在のメル。

 そして見上げた夜空の星々に旦那様を思った。

 …旦那様……私が伯爵領にいない事を知ったらどう思われるかしら。夫以外の男性と一緒にいたなどと知ったら何と思われるかしら。…妻失格だと、伯爵夫人失格だと思われるかしら。情け無く拐かされたりして、軍人の妻失格だと……。

 心寂しさからなのか、堪えていたはずの何かが胸に迫る。

 せめて涙は溢さないようにしようと、目線を遠くに向けた時だった。


「…煙……?」

 まるで絵筆で描いたように、夜空を灰色に昇るものが見える。

 火事…かしら。火事ならばそこには物見の人だかりが出来るはず……。

「行かなくては…」

 ようやく血が通い出した足を引き摺るようにして、私は店の扉を開いた。


 鍵を開け放したままにする事を心の中で詫びながら、煙が見える方向に足を踏み出した時だった。

 ガバッと何かが体に巻きつく。

「!?」

 突然のことに驚いて声も出ない私を、何かがぎゅうぎゅうと締め上げて来る。

 ここまで来て…なの?一体わたくしが何をしたというのよ……。

 もはや絶望以外頭に浮かばない私の耳に、消えそうな声が届く。

「…レジーナ………」

 声と同時に再び強くなる締め付け。

「レジーナ……レジーナ!」

 泣き出しそうな、だけど力強く低い声……

「……だん…な…さま…?」

 口にするよりも早く回転する体。

 そして見上げた先には夜闇でもはっきりとわかる藍色の瞳……。

「レジーナ!怪我は無いか!?顔を見せろ!」

 目新しい自警団の制帽を被り、必死の形相で私の顔を包む手の主は、間違いなく旦那様その人だった。

「ああ…何という事だ。血の気が引いている!少し待て、すぐに医者を…」

 血の気が引いたのは貴方様のせいですとも言えず、なすがままにされる私。

 私の戸惑いをよそに旦那様が体を横抱きにした時だった。


「…さすが英雄と称される方ですね。闇の中でも金星は見逃されないようだ」

 もう沢山だと思った。

 十分に怖い思いもしたし、訳も分からないままひたすら静かに彼らに従った。

 もう……解放して欲しかった。

「…アーベル…さん…」

 呟いた先、私と旦那様の前に立ち塞がったのは、どう控えめに表現しようとしても爆発物としか呼べない代物を片手に掲げた、もはや見慣れた黒髪のお姉さまだった。

「……レジーナ、知り合いか?」

「え?」

 旦那様が素っ頓狂な事を言う。

「知り合いならば申し訳無い。だが私は何処の誰だか分からないこの女が気に食わない」

「…ええ…と?」

 …お会いになった事ありませんでした?私の記憶違いだったかしら……。あ、女性の姿だから……って今さらそんな事ありますの?


「…何をごちゃごちゃと喋っているのです。私の左手が見えませんか?…アクロイド夫人、あなたが私の元を去るというのなら、この街の罪なき人々はあなたを永遠に恨みながら死んで行くことに……」

 心に棘のように突き刺さる台詞を放つアーベルさんを前に、旦那様から呆れの籠った溜息が落ちた。

「レジーナ…少しの辛抱だ。すぐに終わる」

 そう言って瞼に一つ口付けられると同時に、再び雪の上に降ろされる両足。

 あとのことは一瞬だった。

 私の瞳に映ったのは、煌めく銀色の流星が暗闇に描いた星屑の軌跡だけ。

 

「行こう」

 まるで何事も無かったかのように再び私を抱き上げた旦那様の後ろでは、影のように素早く動く、旦那様と同じ服を着た数名の人物。

 そして雪の上には、真っ二つに割れた黒い球体が転がっていた。


   



『12月何日かしら。真冬なのにとても温かい夜の心の日記

 ちゃんと分かってるわ。これで終わりでは無いことも、これから始まる何かがある事も。本当に不謹慎よね。助けられて真っ先にこんな事を考えるなんて……。でもこう思わずにはいられない。旦那様が……素敵すぎる。』

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