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12月5日 前編

 さすがの私でもほとんど眠れずに過ごす時間。

 それでも気づけば細切れに眠っているようで、今が何日の何時なのか頭に霞がかかり出した頃、私はイゴール夫人によって服を着替えさせられた。

 …街娘……かしら?エプロンドレス、初めて着たわ。髪もお下げの三つ編み……。

 それをクルクル巻き込まれたあと、赤髪のカツラを被せられる。眼鏡もかけさせられて、鏡の中にいるのはまるで別人である。

 …旦那様、わたくしの事が分かるかしら。



「…どうせエドガーの事でも考えてるんでしょう?」

「!」

 鏡の中のイゴール夫人の唇が片側だけ上がる。

「…言わなかった?エドガーに期待しても無駄だって。…何も気づかない…違うわね、全てが他人事なのよ。どれだけ気を引こうとしても視界の端にさえ入れてもらえない。あなたの顔も覚えていないのでは無くて?」

 イゴール夫人の瞳がどこか遠くを見つめる。

「…あなたはお姫様でしょう?お姫様はお姫様らしく王子様の所に嫁げば良かったのよ。…待っていれば助けに来てくれる、王子様の所に…」

 ………王子様の所に…。

 

 伯爵領での殿下の話が蘇る。

 私がリチャード殿下の婚約者だったという話。でもあれには続きがあるはずなのだ。

 貴族の結婚が家同士の結び付きのために〝政略的に〟行われるとしたら、王族の結婚はそれこそまさに〝政治的に〟行われる。

 旦那様と参加した実家の夜会で、私と旦那様の結婚は政治的判断の結果なのだと思った。お互いの家を繁栄させるための結婚ではなく、政治的に何かと何か……もしくは誰かと誰かを比較した結果の結婚なのだと。

 ……だって、王家との縁組が必要だったなら、王子様はもう一人いるのだから。

 

 そう、王家との縁談は〝何度か〟あった。相手がリチャード殿下だけだったのなら、解消された後に再度の申込みがあったという事になる。

 でもそうではなかったら?

 …第二王子殿下……そう、殿下の弟のイサーク殿下。

 年も私と二つしか違わない。だけどお会いしたのはほんの数度だけ。あれほど王宮に出入りしていたのに。

 だからこれは私の勝手な想像だけど、ウィンストン公爵家としては、イサーク殿下との縁談をどうしても避けなければならなかったのだと思う。



「あ、準備できたー?」

 鏡に映る見慣れぬ自分と睨めっこをしながら長考していると、部屋の入り口から声がかかった。

「ふーん、まぁまぁかな。それじゃ出発だから二人ともおいで」

 振り向いた方には栗色の髪を後ろで編み込んだおねえ……いえ、多分お兄さまだけど、見た目はかなりのクオリティの女の人。

「ミランダと姫さんはここでお別れ。別行動だよ」

 え……?

「わかったわ。…鈍臭いあなたには二度と会いたくないわね……」

 そう言い残すとスッと部屋を出て行ったイゴール夫人。

 ここに来て私の中に僅かに恐怖心が生まれる。

 見知った顔が消えるという戸惑いと、これから起きる事への不安。

 ……出発…赤い髪をして向かう先……。

 のんびりぼんやり過ごした少女時代とはここでお別れするのだと、そんな事を思った。



「あ、この姿の時はカリナだから。あんたは確かオルガっていう設定のはずよ」

 …設定……?

「あんたはとある邸で侍女として働いてるの。奥様の衣装係。何となく分かる…わよね。姫だもん」

 なるほど。私は歌劇団で侍女役を演じるらしい。

 侍女の中でも衣装係は最高位の役職よね。複数侍女を置くような身分の方がこの街にいるのかしら。だとしたら公爵家…侯爵家……

 ああ…!でも考えるまでも無く私にはその役は無理だったわ!自分の服さえ着られないのに……

「んで、今日は頼んでたドレスを引き取りに行くことになってるの。その前に色々と揃えるものがあるのよね〜。あんたに仕事しろとは言わないから、大人しく従うのね」

 ……ですわよね。私に初見で仕事は無理ですわ。


 こうしてカリナと名乗ったお姉さまは、私を沢山の荷物と一緒に馬車に乗せ、色々なお店へと立ち寄った。

 私を一人にはしないつもりなのだろう。どの店の中でも必ず目の届く所に置かれていた。

 今日最後の買い物であり、当初の目的のものを求めて入ったドレスショップ。

 そこでカリナお姉さまは激しく怒っている。

「駄目よ、これじゃあ!レジーナコレクションを頼んだでしょう!?奥様の機嫌を損ねたらどうするのよ!!」

 お姉さまが声を荒げる。

 あら、今わたくしの名前が聞こえなかった?

「で、ですがレジーナコレクションは国中で品薄となっておりまして、今揃えられる他の青系統のドレスはいかが……」

「何言ってんのよ!青けりゃいいってもんじゃないの!奥様からの指定なのよ!?ああもうどうするのよ!!」

「お、お待ち下さい!アクセサリーなら確か!イエローゴールドシリーズが一揃い…!」

「アクセサリィ!?出してみなさい!!」

 よく分からないが、お姉さまはすごい剣幕で怒り狂っている。


 …奥様という方はそんなに怖い方なのかしら。お母様とどちらが怖いのかしら。

 変なドレスを献上したら長ったらしい叙事詩を覚えさせられるかしら。…いえ、お母様より怖い女の人はきっといないから、誰に会っても大丈夫。

 そんな事を思いながら改めてドレスショップ店内を見回す。

 外側からはショーウィンドウとなっているガラスケースの中には、まるで本物の女性のような人形が数体置かれている。

 まあ…!不思議だわ。何で出来ているのかしら。お顔は蝋…?あら、体の内側は綿ね。

 お母様で思い出したわ。小さな頃はよくお母様のビスクドールコレクションに紛れてかくれんぼしたのよ。得意だったわ、かくれんぼ。

 二度ほど市中警察隊が捜索に……。

 そうだったわ。すごく叱られて、それ以来邸からは金色の髪のお人形はいなくなってしまったのよ。

 ……わたくし、面白い実験を思いついたかもしれないわ。






 ケイヒル侯爵領の高級住宅地、そこにアンディの父親の別宅がある。

 侯爵家の当主は言わずもがな元帥であるのだが、アンディの父上はその弟で、侯爵領の中でも比較的豊かな土地を子爵として預かっている。…私が言えた事では無いが、アンディは苦労知らずのボンボンである。


「少将、近衛隊が集めた情報を報告します」

「ああ。精査はこちらでやる。つぶさに報告を」

 別宅の書斎を借り、急拵えの作戦会議室を作った私はアーネストの報告を聞きながら侯爵領の地図を開いた。

「…街の女性の話によると、ある一軒の民家に定期的に相当数の衣装が運び込まれているようです。針子からの証言では、手直しがほとんど不要の上客だと……」

「手直し……ふむ」

 よく分からないが、ここは情報の収集に重きを置く。

「ですが靴だけはオーダーメイドだという事です」

 オーダーメイド……

 私が近衛に依頼したのは、〝女からの諜報活動〟である。歌劇団が女に扮して活動している以上、同性からの目線で集まる情報には何らかの価値があると踏んでの事だ。


「…分かった。しばらく待機だ。次、ベルツ大尉報告を」

「は。少将の指示通り我々は検問所付近を洗いました。同時に市中の商会への聞き込みを実施。北国領事館の分館では晩餐の準備がなされています」

「晩餐……」

 憲兵隊に指示したのは彼らが最も得意とすること。〝敵国の動き〟を入手する事だ。細く散らばった情報をより合わせ、軍内部の不穏分子を炙り出すのが彼らの仕事だ。

「…これは我々が独自に掴んでいた情報ですが、北国の現大使は昨日をもってをもって離任しています。王都の大使館を出立し、恐らく本日ケイヒル領入りするものと」


 二つの隊に待機を指示し、私は考え込んでいた。

 近衛からもたらされた情報と、憲兵からの情報を頭の中で組み立てる。

 大量の衣装が運び込まれる民家…歌劇団が女装を売りにするならば衣装も相当に必要だろう。

 あの黒髪の男はかなりの細身だった。だが男にしては、だ。身長その他の特徴を誤魔化せる訳では無い。女物の服をどうやって……

「そうそう、だから手直し不要なわけ」

「!」

 頭の中を読んだように、隣に座っていたアンディが口を開く。

「ま…さか私はまた口に……」

「ところどころ。てかお前の頭の中覗くの俺の特技」

「!!」

 コイツは…危険人物では無いか…?機密も何もあったものでは…

「大方、仕立て前の服に合わせて詰め物でもするんだろうよ。詰め物とかさぁ、アレ正直やめて欲しいよね。いざって時のガッカリ感たら無い……」

「………………。」

 冷えた目線を送れば、アンディが目を逸らす。

「…あー…何だっけ、ええと…靴!ポイントは靴!いくら令嬢の真似事しても、足の大きさは誤魔化せないって事だ。特に貴族の御令嬢の足は小さいからな!」

 コイツはよくもまぁ細かな所まで女を観察しているものだ。しかしなるほど…。そうやって小さな差異を見つける訓練だと思えば少しは社交もこなせるかもしれん……。


「アンディ、次の作戦だ。…鼠を炙り出すぞ」

 そう言えばアンディがギョッとした顔をする。

「はぁっ!?お前砦でも落とす気かよ!」

「……お前はなぜ大事な所で私の頭の中が読めないのだ。この役立たず」

「んなっ!?」

 溜息を落としながらアンディに言う。

「…お前が言ったのだろう。査証を持たないレジーナを国外に出すには方法が限られる。…外交官特権だ」

「あ…」

 ようやく合点が言ったという顔をするアンディになおも続ける。

「レジーナだけでは無い。我が国でお尋ね者となっている人間を外に逃す方法も一つだけだ。…恐らく全員が領事館に集まる」

「なーるほど。領事館は治外法権だ。軍も市中警察も簡単には手が出せない!…ははあ、だから炙り出すんだな。足がデカい鼠は見つけやすいだろうなぁ」

 

 ニヤッとしたアンディに頷き返すと、一度だけ瞼の裏にレジーナを描いた。

 きっと彼女は泣いてなどいない。

 不思議な事に、それだけは確信に近いものを感じていた。

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