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12月4日

 カタポコカタポコと馬車は行く。

 カタポコ…いいえ、ガタボコッガタッボコッと馬車が頑張っている。

 目隠しをされていても分かる。

 この馬車は……遅い。


 これは想定外だわ…。

 わたくしのイメージでは、拐かされた後は猛スピードでどこかに連れ去られるものだと思っていたの。

 何をのんびりしているのかしら。このままでは眠たくなってしまうじゃない。


「アーベル、手筈は整ってるんだろうね?」

「何度も言いますが問題ありません。予定通り落ち合います」

「…少し遅くなったかな」

「ですがこれ以上無い成果を手に入れました。…使い道は無限大……」

「そうだね…」


 時折馬車の中で交わされる会話を盗み聞きした限りでは、車内には少なくとも5、6人の人間がいる。言語は北国。

 …わたくしだって伊達に公爵令嬢ではなかったのよ。近隣四か国の言葉は厳しく仕込まれたもの。…あまり身に付かなかったけれど。

 声の感じからして、黒髪のお姉…お兄さまはアーベルという名のようだ。残りは名前と顔が一致しない。

 そして彼らはどこかに向かっていて、そこで誰かと落ち合うらしい。

 何やらとても大きな成果をお土産にする事だけは理解した。


 今は何時なのだろう。

 目隠し布をされていても、太陽がとうの前に沈んだ事は分かる。

 お腹が空いたような気もするし、お花摘みに行きたい気もするし、いつもだったら夢の中のような気もする。

 …こういう時の為に体内時計が本当に存在するのか確かめておくべきだったのよ。私なりに色々考えて邸中の時計を止めたのに、お母様はカンカンだったし、お父様は邸中の使用人に懐中時計を持たせるし、本当に危機意識が無いのだから。

 子どもの頃の思い出に文句を言っても仕方がない。

 今後悔している事は、馬車の揺れだけで何処を走っているのか判断する実験をしなかった事だ。

 …実験と言えばもう一つ、あの頃殿下と二人でやっていた毒林檎の見分け方を極めるなどという遊び。

 極めておくべきだったわ……。



「…アクロイド夫人」

 拐かされて初めて掛けられた声に一瞬ビクッとなるが、返事代わりに一つ頷く。

「……今から貴女の目隠しと戒めを解きます。決して声を立てぬよう」

 再びコクコクと頷くと、私の目を覆っていた布と、ご丁寧に噛ませられていた猿轡が外される。そしてようやく自由になった両手……。

 苦しかったけれど、お喋りな私が黙っていられたのもこれらのお陰なので、一応、ほんの少しだけ感謝しておく。

 いざ目隠しを解かれたものの、目に映るのは暗闇。だけどその闇の中にあっても、ギラギラと光る獣のような複数の瞳だけは分かった。

 …歌劇団の皆さまはギラギラ星人でしたのね。


 元々遅かった馬車がその動きを止めたあと、私が連れられたのは一軒の家。何の変哲も無い、普通の民家だった。

 ココンココンコンという妙なノックの後、開いた扉から現れたのは……

「アーベル、待ってたわ!うまくいったの……」

 まあ!イゴール夫人?ご無沙汰しておりますわ。

「な…何でこの子が……!?アーベル、どういうことなの!?ライナスはどうしたのよ!!」

「ミランダ、予定は変更です。それよりもアクロイド夫人の世話を」

「…は?ど、どうしてよ!ライナスを連れて来てくれる約束でしょう!?」

 …何かしら、前にもあった気がするわ。私そっちのけで突然始まるバトルが……。

「黙りなさい。…夫人がいれば貴女の望みは全て叶う。我々の目的も。さあ夫人の世話をなさい!」

 グッと背中を押されて、思わず正面のイゴール夫人に抱きつく。

 ご、ごめんあそばせ!

「なんで…なんでよ!ライナス……あぁ……!」

 

 声を立てないように命じられていたため、立ち尽くして泣いているイゴール夫人に私は何も言ってあげられなかった。

 …声が出せたとしても、何を言うべきなのかきっと分からなかったと思う。






 隊の編成ならば何度もやってきた。それこそもう何度も。

 そんな私でも今回率いる非常時即応部隊総勢40名…一個小隊以下の規模の編成は新鮮だった。

 近衛隊は王太子の護衛に半数は残さねばならなかったため、アーネスト率いる第一分隊を借り受けた。

 近衛に選ばれる基準というのは、『背が高く顔が整っている者』だという噂がまことしやかに流れていたが、それはその通りであるらしい。

 アンディいわく、〝良家出身のイケメン揃い〟らしいがそこはどうでもいい。私が驚いたのは、全員が同じ歩幅で歩く訓練をしているという点だった。

 …正直それをどう使えばいいか分からん。

 憲兵隊に至っては、まさか協動する事など想像もしていなかった上に訓練内容も秘密ときた。そして彼らはアンディいわく〝見分けるのが難しいほど平凡な顔〟らしい。

 …お前に24時間張り付いてるだろうが。そこは見分けろ。

 だがそれぞれの受け持つ業務の特性をそれなりに考慮し、私はいくつかの作戦を立てた。


「しっかしお前んとこの領地って余裕あるんだなぁ」

 一番後方をややゆっくりと馬を走らせながら隣のアンディが言う。

「さあ…そうなのか?」

 領地の財政など気にした事も…それはそれで問題はあるが。

「そりゃそうだろ。足りない馬を用意できるだけでもびっくりするのに、自警団の予備服が100着あるってどういう事だよ」

 ……それはおそらく母上の発注ミスだ。

 だが助かったのは事実。ただでさえ目立つ近衛隊のド派手な隊服が誤魔化せたのは大きい。

「お前も大人になったんだな。てっきり先頭駆けてくと思ったんだが」

 そうしたいのは山々だったのだが……。

「…私が入隊時の選抜試験で唯一バツがついた項目がある」

 そう言えばアンディがニヤっと笑う。

「唯一じゃねぇだろ。斥候と潜伏、それから内偵…」

「な、なぜ知っている」

「………お前より頭いいからな。かなり」

 ……ショックだ。

 そう、私は極秘任務はことごとく不適格という結果だった。今回のような敵の居所を探る任務は向いていない。…そもそも訓練すら受けさせてもらえなかった。


「…せんぱ……あー…少将」

 少し前を行っていたアーネストが馬を止め私を振り返る。

「どうした」

「……一つ聞いてもいいですか?」

「なんだ」

 妹を目の前で奪われてすっかり元気がないアーネスト。気持ちは痛いほど分かる。だが私はこいつは立派だったと思う。

 私が近衛だったなら、きっと頭に血が昇った結果王太子など守らずに、レジーナに触れた男を斬った。部下には常々単独行動を慎め、基本行動に忠実になどと言っておきながら。

「…どうしてレジーナが無事だと確信できるのです?…俺だって無事だと思ってます。けれど少将の立てた作戦はあまりにも楽観的だと……」

 …それ以外に考えたくないから……という理由では納得しないだろうな。


「アーネスト、お前は戦場に立った経験は無いな」

「ええ…それはそうです。選抜試験など受けるまでもなく、俺には近衛か王宮警備以外に道はありませんでした」

 まあ…筆頭公爵家の子息を前線に送れる強心臓の持ち主はいないだろう。ほとんどの場合士官学校を出ていない人間は、歩兵からのスタートだしな。

「戦場での不文律がある。将官は滅多に殺されない。…敗将はほとんどが敵国の捕虜となり、停戦交渉の際に賠償金を吊り上げる目的に使われる。人質の価値が高ければ高いほど金になる。…ゆえに、生かされる」

 アンディが隣でこくこく首を縦に振る。

 だからと言って全く拷問を受けないという話では無いが。

「…人質の価値………」

 アーネストが何かに思いを巡らせるように呟く。

「…私は王家のお家騒動とやらには興味は無い。だがお前の話を聞いて思った。…敵にとってレジーナは、王太子以上に価値があるのだろうと。王太子の視察情報を事前に入手し、気づかれる事なく潜伏し、そして王太子を狙わずにレジーナを連れ去った。…どう考えても不自然だ」

 だからこれは希望的観測の話では無い。レジーナは無事だ。そして必ず何かの取引材料にされる。


「ま、俺は何となく裏で手を引いてる人間も分かるけどね。だろ?アーネストくん」

 アンディが含みを持たせてアーネストに問いかける。

「………女の怨みって根が深いですね」

「ねー。アーネストくんもモテるだろうけど、付き合う女は厳選しなよ?」

「…肝に銘じます」

 ちょっと待て。今の会話のどこに女が出て来た。

 敵は…女?女の格好をした男だろう?


 今選抜試験を受け直したら、私は砦の見張り番すら任せて貰えない気がする。


 




『たぶん12月4日真夜中 小雪舞い散る心の日記

 泣き止まれたイゴール夫人はとても親切に食事や湯浴みの世話をしてくださったの。5分に1回は〝どんくさいわね〟と言いながらそれは見事な手際だったわ。喋っては駄目だと思ったけれど意味を聞いてみたの。素晴らしく私に相応しい単語だったわ。』

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