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12月3日 後編

 吸い込む息の冷たさも、切り裂くような鋭い風も、何故か少しだけ心地良かった。手綱を握る指先は痛いぐらいなのに。



 父上からもたらされた自領への王太子視察の情報。どんな経緯で遅れたのか、私が受け取ったのは月が変わる頃だった。

 そしてそれとほぼ同時に軍にもたらされたのは、他国の工作員として確定した〝歌劇団〟の情報。レジーナに馴れ馴れしく話しかけた黒髪の他に七名が、王都南西の関所を通過した〝らしい〟という情報。

 手配書が女の姿だったのが災いした。末端の関守にまで詳細が伝わっていなかった。


 奴らが北国の間諜だという事までは分かっている。

 だから追手が掛かってしばらく後にもたらされた目撃情報が〝南西〟だった事実に対し、腹落ちしなかったのは私だけではない。

 元帥自ら参謀本部にやって来て、〝アクロイド伯爵領の領主〟に協力依頼を求めて来た。

 ……煩い男を連れて。



「エドガー!速度落とせ!後続と離れすぎだ!」

 集団の先頭を走る私の隣に、白い息をあげる馬の鼻先が並ぶ。

「遅い方が悪い」

「馬鹿やろう!お前が早すぎるんだよ!!」

 協力依頼などという生温い内伺いをして来るような人間が、軍のトップになど立てる訳が無い。

 煩い男…言わずもがなアンディを私に押し付けて元帥はこう言った。

『可愛い未来の息子を預けよう。煮るなり焼くなり好きにしてくれて構わないが、跡取りを作る機能だけは残してくれ』と。

 つまりまあ…そこそこ五体満足で連れ帰れということ。すなわちアンディは軍人として寄越されたのでは無い。…ケイヒル侯爵領の次期後継者として預けられたのだ。

 ……なぜか憲兵隊とともに。

「…ったく、俺は中継に入る!伯爵領だな!?」

 アンディの言葉に『イエス』のハンドサインで応じ、私は再び速度を上げた。



 三か月ぶりの領地入り。

 王太子はいるし、他国の工作員の潜入の可能性もある。

 あくまでも仕事での一時帰省であり、決して心弾ませている場合では無いが、彼女に会えると思うと自然と気持ちが跳ねた。

 最後に見た顔は…などと思いながら邸の扉を開いた時、自分の頭がいかにめでたかったのかを知る。


「…エドガー………?エドガーッッ!!」

 出迎えが一人もいない玄関ホールに違和感を感じ、何やら声のする応接へと踏み入れば、グチャグチャの顔をした母上が飛び掛かって来た。

「は、母上、どうなさったのです。何という顔をして……」

 倒れ込みそうになっているグチャグチャの母上を支えながら応接間を見渡せば、そこには見慣れた近衛の制服が12、3…。

「エドガー…レジーナちゃんが、レジーナちゃんが……うう…う…ああぁぁ」

「母上…?」

 母上の狼狽ぶりを見ればいくら私でもレジーナに何かあった事は分かる。

「レジーナに何かあったのですか…?」

 涙に濡れた母上の顔を覗き込んだ時、応接間の扉が開いた。

「…エドガー!戻ったのか!?ああよかった。今王都に急使を出したのだ」

「父上!」

 私の元に駆け寄る父上と、その隣には顔面蒼白のアーネスト……。

「よく聞け、レジーナさんが拐かされた。つい一時間前の出来事だ。相手の素性は分からない。アーネスト殿の話だと……」

 ……なんだと?レジーナが……なんだと?

「……先輩………申し訳ありません…。レジーナを奪われました。俺の目の前で…レジーナが…レジーナが!!」

 張り詰めていた空気が抜けるようにその場に崩れ落ちるアーネスト。

「レジーナが……」

 拐かされた………?


「エドガー、港の船は全て出航を止めてある」

 レジーナが……

「自警団も動かした。領内で出来る事はやった。後は…」

 拐かし……

「他領への協力依頼だが……エドガー、エドガー!」

「エドガー…ごめんなさい、ごめんなさい……。私たちがレジーナちゃんに殿下の案内をお願いしたの…。こんな事になるなら、私たちが……うぅ」

 父上の話も母上の話も聞こえているのに頭に入って来ない。

 動かなければ…何か手を……

 分かっているのに、私の足は根が生えたようにその場から動かない。



 その時だった。

「勝手に入りました!失礼します!王国軍国境防衛第一師団副師団長アンディ・ケイヒル大佐……うおっ!?…葬式……?」

 バターンという扉の音とともに煩い男がやって来た。

「……アンディ………どこが誰の葬式だ!!ふざけた事を言うな!やり直せ!正面玄関からやり直せ!!」

 思わず口から出た台詞にようやく体が動き出す。

「な、何だよ。何でガチギレなんだよ…」

「煩い!アンディ、憲兵隊を中に入れろ。父上、広間を借ります。母上は少しお休みください」

 …動かなければ。

「お、おお。広間だな、待ってろ」

 アンディが扉を出て行く。

「エドガー、手伝おう」

 父上が使用人に指示を出す。

「私だけ休めるわけないでしょう!?手伝うわ、手伝う!」

 母上が父上にヨロヨロと着いて行く。

 …手を打たなければ。

「アーネスト、立て。状況確認だ」

「…先輩………」

「立て!へたり込んでいても状況は改善しない!」

 アーネストに言い残し応接室を出る。

 私の後ろで近衛隊が動き出したのを感じながら。



「アンディ、地図を」

「おうよ!」

 広間に置かれた晩餐会用の長テーブルの上、国の西半分が描かれた地図を広げる。

「状況は分かった。アーネスト、相手は何人だ」

「すみません、はっきりした事は…。レジーナにナイフをあてた黒髪の男の後ろに茶髪と栗毛が…」

 黒髪……

「移動手段は?」

「馬車です」

 馬車…まあそうだろう。体力の無い女を連れ歩いて逃げるなどあり得ない。

 となると……

「エドガー、海は考えにくい。お父上が船を止めたこともあるけど、西国に逃れるならレジーナちゃんはむしろ邪魔になる。彼女、査証が無いだろ?」

 地図上でアンディが港を指差して言う。

「ああ。お前と私の考えが合っているなら奴らは北に移動する。だが……」

 確定出来ない。レジーナを拐かしたのが歌劇団の男たちならばそれでいい。だが違った場合にあらぬ方向に進むのは余りにもリスクが大きい。

 単なる人攫いならばむしろ目指す場所は王都……


「歌劇団の男どもです!旦那様、歌劇団の男どもに間違いありません!!」

 広間に響いた高い声にその場にいた全員が入り口を見る。

「メイベル……と殿下……」

 現れたのは血の気の引いた侍女と、近衛に囲まれた色の無い王太子。

「遅くなり申し訳ございません。…気を失っておりました」

 カタカタと小刻みに震えながら私の元に歩み寄るメイベル。

「いや…心中は察して余りある。よく来てくれた。メイベル、間違いないな?間違いなく歌劇団の男どもだったのだな?」

 気丈に振る舞うメイベルの瞳に膜が張る。

「…っわた…くし、メイベル・カーター、レジーナ様のお側では……まばたき…禁止っ…でございますっ!!」

 その言葉にアンディが眉尻を下げる。

「…間違いないね。何よりの証言者だ」

 アンディがメイベルの肩を抱き、優しく諭す。

「メイベルちゃん、君の記憶力をあそこにいるオジサンたちに貸してもらえない?…オジサンたちじゃ男と女の見分けつかないんだよ」

 アンディが指差すのは憲兵の一団。

 彼らの手元にある手配書は…そうだな、女の姿だ。


 憲兵に囲まれたメイベルから視線を逸らすと、やや焦点の合わない目で王太子が私を見ていた。

「…アクロイド伯爵……すまない。全て私が悪いのだ…。迂闊だった。私が…私のせいでレジーナが……」

 私のせいで……?

 ……胸がムカムカする。

「…何もおっしゃる必要はありません。殿下に謝られる筋合いは無い」

「な…ぜだ。私が護衛を遠ざけたのだ。責めは私に…」

 …ほう、つまりレジーナと二人きりでいたという事だな。せっかく平静を保とうとしているのに心を荒らしてくれるではないか。

「……ふぅ。殿下、貴方の謝罪は個人的にレジーナにだけ述べられよ。本件においては誰もが自分の仕事をした。近衛はきちんと職務を果たし、貴方を守り切った。レジーナは……」

 泣かず、抗わず、男に連れられて行ったと聞いた。

「…伯爵領の…アクロイド少将の名誉を守りました」

 アーネストの呟きに王太子の視線が下がる。


「エドガー!間違いない!メイベルちゃん凄い記憶力!」

 アンディが興奮気味に駆け寄ってくる。

「そうか。ならばようやくお前の出番だな。…元帥はすごい。ただ者じゃない」

 有象無象の情報の中から的確に駒を選ぶ…。

「我が国で唯一北国と国境を接するのはケイヒル侯爵領だ。…行くぞ、アンディ。お前が指揮を……」

 そう声を掛けるとアンディがヤレヤレと肩を竦める。

「馬鹿なこと言ってんじゃねぇよ。どこまでぼんやりしてんだ。ったく」

 アンディが声を張り上げる。

「ここにいる全員に告ぐ!北国の間諜が人質を取って北上中である事を確認!人質はレジーナ・アクロイド伯爵夫人、王位継承権第三位アルバート・ウィンストン公爵の御息女である!確認時刻たった今!これより非常時即応態勢に移る!」

「…は?」

 王位…?

「エドガーぼうっとしてんなよ。ひじょうじ、そくおうたいせい!分かる?」

 非常時……

「はっ!非常時!」

「…大丈夫か?」

 アンディが私以上に事情通だった事に面食らっている場合では無かった。

 

 改めて周りを見ると、応接にいる人間が次々に名乗りを上げている。

「チェスター・ジーベル!近衛師団第三王室歩兵隊第二分隊長、中尉!」「ロバート・ベルツ、国軍憲兵第三分隊隊長、階級は大尉に相当」

「アーネスト・ウィンストン………第一……大尉だ」

 所属名が長すぎるのと、声が小さくて聞き取れなかったがアーネストが名乗る。

「アンディ・ケイヒル。第一師団副師団長、大佐ね」

 アンディも雑に名乗る。

 …ちょっと待て、名乗るのか?私も?ここで?あの長ったらしい呪文を?

「おい、エドガー!ビシッと決めろ!非常時には一番階級が高い人間に従うルールだ!」

 …………よし、王都に帰ったら各部隊の階級章を統一するように進言しよう。非常時に名乗り合うなど無駄な文化は変えるに限る。

「…参謀本部統合戦略局参謀総長補佐官室……割愛する。エドガー・アクロイド、少将だ。非常事態につき本件指揮を執る。全員集合!」

「「はっ!」」

 こんな事を考えている場合ではないが、なぜ軍幹部がボソボソと喋るのかが少し理解できてしまった。



 為すべきことは明白。

 レジーナ・アクロイド奪還。

 …すぐに行く。

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