11月23日
数日前からお義父様とお義母様の様子が変だった。
何かを真剣に話し合っては溜息をつき、どこかに手紙を書いたり誰かを呼び出したり、慌ただしくされている。
「ねぇメル、お義父様たちはどうなさったのかしら。領地に何かあったのならば、わたくしもお手伝いした方がいいのではなくて?」
邸の様子にはメルも気づいていたようで、顎に手を当て何かを考え込んでいる。
「…レジーナ様にお話が無いという事は、伝えるべき事では無いとの判断なのでしょう」
「そうなのかしら。でもまあ…そうね、私ではお役に立てる事など無いもの。それより先ほどの見積りの取り方をもう一度教えてちょうだい」
「………もう全部買われたらよろしいのでは?」
まあ!メルったら何を言ってるのかしら。今選んでいるのは領地の学校に寄付する学用品なのよ?
アクロイド伯爵家の資産の中から出るお金なんだから。
一応教えを請う身。ブツブツは心の中で唱える。
「レジーナ様。正直申しまして、納品業者も領内の者なのですから変に金額を下げる必要は無いと思います。どのみち拠出された資金は領内を潤す事になります」
「あらそうなの?だったらこの純金でできたペン軸を100本ほど……」
「見積りの取り方ですが、まず個別の品物を比較します。それから配送料、保証などを……」
何よ、やっぱり見積りがいるんじゃない。
お義母様から少しずつ教わっている伯爵家の会計というもの。領地全体の収支は領主である旦那様の管轄なのだが、アクロイド家の日常の決済は当主夫人の管轄なのだそうだ。
先月初めてお花を買っただけの私には相当難しい仕事である。
うんうん唸りながらサロンで各商会の値段を見比べている私の頭上に、サッと影が走った。
パッと顔を上げると、そこには少し困ったように微笑むお義父様が。
「まあ、お義父様。いかがなさいましたの?あ、宜しければお茶をいかがです?」
そう声をかければお義父様が一つ頷いて、私の対面へと腰を落とす。
メルがお義父様の目の前にお茶を出したのとほぼ同時、お義父様が静かに私に語りかけた。
「…レジーナさん、伯爵領に視察が来る事になった」
視察…ぐらいは知っている。
公爵領にもたびたび視察と銘打って、王宮官吏や大臣が羽根を伸ばしに来られていた。
「どなたがいらっしゃいますの?」
私の問いにお義父様が目線を落とす。
「…王太子殿下だ」
「殿下…?」
王太子殿下が自ら伯爵領の視察に…?
「領内の案内は私とシエラで担うと返事をしたのだが、王宮からは正式な領主夫妻が付き添うべきだとの回答だった」
「まあ……」
「エドガーにも急ぎ知らせを出しはした。だが戻って来ることは難しいと思う」
それは間違いなくそうだろう。旦那様は新しい仕事場に移られたばかりだと聞いている。
…なるほど。これは試練だわ………!
「お義父様…ご不安な気持ちはよく分かりますわ……」
「そ、そうかい?ならば長患いという事にして……」
「わたくし、実は船の〝もやい〟の結び方を練習しましたの。けれど細い紐ならまだしも、私の握力ではロープを結う事がかなわなくて……」
「…うん?」
「それに魚も捌けませんわ。新鮮な魚をご賞味頂きたくてもやはりそれも無理……」
ああ…本当に物覚えが悪くて嫌になるわ……。
「魚……は私も捌けないが」
「あらそうでしたの?」
「…船も係留させた事は無いね」
「まあ!それでは案内は陸地でよろしいのです?」
「…ああ。そういう事に……なるかな?」
あら、そうだったのね。だったら何も問題ないわ。
「お義父様、ご安心くださいませ!わたくしには歩く懐刀と虎の巻がおりますもの。旦那様の名誉を損なわず、しっかりとアクロイド伯爵夫人として務めさせて頂きますわ!」
手を当て、どーんと胸を張る。
「アクロイド伯爵夫人……」
お義父様がボソリと呟く。
「ええ!わたくし旦那様と結婚した瞬間からレジーナ・アクロイド伯爵夫人であり、アクロイド少将夫人ですわ。二つも肩書を頂けて大変光栄です」
にこりと微笑めば、お義父様にも柔らかな笑みが浮かんだ。
「そうだね。レジーナさんはアクロイド伯爵家の人間だ。エドガーの可愛いお嫁さんだ」
か…可愛いだなんて…!
「わかった。我々も心づもりをしよう。本番まで時間が無い。…扱かせてもらうよ?」
「ええ!弟子だとお思いくださいな。あ、私の事はレジーナと。私知ってますわ!すぽこんですわ!」
「…ははは」
お義父様の笑いがどことなく乾いている気はしたが、深いことは気にしない。
「レジーナ様?一つだけ確認しておきますが、〝懐刀〟と〝虎の巻〟とは何のことです?」
メルが私をじいっと見ている。
「あら、私そのような事を口走ったかしら?」
「…まさか私のことじゃ………」
「え?ふふふ。さてさて忙しくなるわ〜」
お義父様とお義母様の不安がそんな事では無いことぐらい私にだって分かっている。
けれど誰も私には何も教えてくれないのだから自分で確かめるしかない。
この試練を乗り越えなければ、私は無責任に旦那様に恋をしている場合では無いと思うから。
軍には激震が走っていた。
もうすぐ本格的な冬を迎えようとしていたこの日、西の宮に現れたのは100人近くの憲兵隊。
軍内部を取り締まる、いわば仲間内の余所者たち。
彼らの目的は何となく分かっていた。おそらくそのきっかけを作ったのが自分だという事も。
事の始まりは一月半前まで遡る。
『アクロイド少将、これが東部での開戦に至るまでの全過程だ。我々も手をこまねいていた訳では無い。極秘にではあるが、北には何度も増兵を送った。だがその都度見事に北国に躱されてきたのだ』
新入りらしく次の作戦会議までに〝これまで〟の作戦内容を頭に入れておこうと会議資料を読み耽っていた時だった。
なぜかその場に現れた参謀総長が、これまたなぜか地図を広げ、わざわざ盤上で駒を動かし私に北での動きを見せてくれたのだ。
『少将、君ならどう考える』
いい歳の取り方をしたらしい、口髭が良く似合う総長が目に力を込めてそう尋ねてきた。
盤上で展開された北部の動き。北を守る第九師団に与えられた一年に渡る作戦行動。
『…そうですね、軽々しく論ずる立場にはありませんが〝よく知っているな〟と思います』
おそらくそのような事を言ったと思う。
『〝知っている〟とは』
『北国は師団長と各連隊長の性格をよく知っているな、という意味です』
あの時の総長の目は怖かった。
間諜を炙り出す、そう炎のように息を巻く怖い目つきの総長の前で私は何を喋ったか。
作戦を実際に行動に移す現場の指揮官にはそれぞれに個性があるだとか、頑なに守る験担ぎやルーティンがあるだとか、そういった話だったような気がする。
黙って耳を傾けていた総長が最後に吐き出したのは『まるで長年連れ添った妻のような視点だな』だった。
……まあ、とりあえず目つきが怖かった。
バタバタと西の宮を出入りする憲兵の足音に、今日は仕事にならないと判断し、練武場へと足を運ぶ。
そこにはまるで待ち伏せでもしていたかのような顔があった。
「よ!すごい事になってんなー。久しぶり!」
「ア…ンディ?お前…南はどうした。まさか早速クビ……」
こいつは新しい師団長とともにひと月も前に駐屯地へと向かったはずである。
「アホか!!呼び出しだっつーの!…俺だけじゃなくて同期全員呼ばれてる」
「…ああ……なるほど」
理由に心当たりはある。だが嘘であって欲しかったという気持ちで心がさざめく。
「ほらよ」
アンディが模擬刀を放って寄越す。
「…お前嫌なことあると剣振り回して壁壊すだろ。鈍ってないか確かめてやるから打ってこいよ」
「……馬鹿も休み休み言え。朝晩の鍛錬は……欠かした事は無いっ!」
剣を正面に構えるアンディに向かって腕を振り抜く。
「げっ!ちょ、ま」
「遅い!お前こそ私がいないのをいい事に相当サボってるだろう!」
後ずさるアンディにニ打目を放つ。
「ぎゃーーー!!」
しばらく打ち合った後、本気で何をしに来たのか足元に転がってゼーハー息をするアンディの隣に座り込む。
「…お前なぁ…ゼー……遠慮しろよ…ハー……」
「…この間テレンスの墓参りに行って来た」
無視してそう言えば、アンディがガバッと起き上がる。
「おまっ……やっぱ知ってたんだな!?そんなことだろうと思ったよ!手配書見せられた時に目玉が飛び出るかと思ったんだからな!!」
……手配書…か。
「……別に全て分かっていた訳じゃ無い」
「いーや!お前の事だから嫁さんに粉かけた男をしつこく調べ回ったに違い無い!手配書の顔はアレだ!お前が通りで剣を抜いた男だ!」
…それは全くの偶然だ。
私がした事と言えば、あの日、探偵団とかに強制参加させられた日、レジーナに夫として注意しただけだ。
……男娼のパトロンになる意味が分かっているのかと。
まあ……それを怖い顔の誰かにポロッと話したかもしれん。それ以上はあずかり知らぬ事だ。
「…女の方は……なーんでこんな事になっちまったんだろうな。仲良かったよな、テレンスと……嫁さん」
「………………。」
仲が良かったのかどうかは分からない。記憶の中の二人はいつも一緒で、いつの間にか夫婦になって、そして当然のように親になった。
「…やっぱアレか。寂しかったんだろうな、旦那が死んで……」
寂しかった……
「ま、詳しいことはこれからだ。いいか、エドガー。寂しかろうが辛かろうが国を売っていいって話じゃないからな。抱え込むなよ?…あー……お前は自分の嫁さんを寂しがらせないようにしろ」
思えばこの男はいつもこうだった。
私の事を見透かしたような事ばかり……
「お前がそんな風だから変な噂が立つのだ!人の心配より自分の心配をしろ!」
「はぁっ!?」
「元帥は娘が15になったら婿を呼び寄せるって言ってたぞ!?」
「じゅうご……今11月…あと半年……ヒーーーッッッ!!」
夏の初め頃、突然現れたミランダを思い出す。
あの時何か言葉をかけるべきだったのだろうか。
…後悔の起点は、こうして増えていくのだろうか。
『11月23日 雨
後悔しているわ。どうして私は地図をグルグル回さなくても読めるように訓練しておかなかったのかしら。それにしてもお義父様って凄く教えるのが上手でいらっしゃるわ。だってお義父様の言葉は私の頭にポンポンっと入って来るのだもの。あとは引き出せるかどうかだわ……。』




