11月4日
秋、それは狩猟の季節。
ここ伯爵領も例外では無く、お義父様と付き合いのあるご友人やその関係者が大勢集まり、オフシーズンの社交が繰り広げられている。
森に用意されたテーブルセットの一つを陣取り、メルと一緒に獲物を追う男性たちの様子を見ていると、お義母様がやって来た。
「レジーナちゃん、楽しんでる?今日は陽射しが強いわねぇ……」
「ええ、本当に良い天気ですわ。お義母様もお掛けになって下さいな」
「ありがとう!持つべきものは可愛い義娘だわ!」
「まぁ…!ふふ。メル、お義母様にも飲み物を」
「かしこまりました」
伯爵領の狩猟は少し変わっている。三日間に分けて行われる狩猟の結果、一番多くの獲物を仕留めた男性が気になる女性にダンスを申し込むという、ロマンチックなお祭りとなっているのだ。
「今年はどんなカップルができるかしら〜!レジーナちゃん一口賭けない?」
「まぁお義母様、私に賭け事を申し込まれるからには相応の品を頂きますわよ?」
「ふふふ…私を誰だと思ってるの。エドガーの母親よ?あーんなものやこーんなもの、そうねぇ例えば士官学校時代の制服とか……」
「!!」
み…見たいですわ!途轍もなく見たいですわ…!!
できれば着て頂きたいわ……!!
「なーんてね。冗談よ!純粋な気持ちで領の発展を見守らなきゃ!」
「ざ……残念ですわ……」
そう、お祭りと銘打つだけあって、伯爵領の森には大勢の女性が集まっている。
若い女の子たちはお目当ての男性の活躍に声援を送ったり、奥様方は何とか子どものために良縁を掴もうと皆精力的に動き回っている。
「実はここだけの話なんだけど、私と夫の出会いもこの狩猟祭だったの。…あの人若い頃は素敵だったのよ?寄宿学校を出たての爽やかな青年って感じで…」
お義父様とお義母様の若い頃……。シルバーブロンドの爽やかな青年と遠い星のキラキラ貴婦人……
「素敵!素敵ですわ!ああ……なんていう奇跡なの!ありがとうお義母様!旦那様の存在は奇跡の賜物ですわ!!」
興奮して椅子から立ち上がった私にメルから叱責が飛ぶ。
「レジーナ様!レジーナ様はお客様では無いのですよ!?ホストとして相応しい振る舞いを…!」
「あ、あら、わたくしったらつい……」
「ふふふ、まあまあメルちゃん。私の方こそありがとうだわ」
お義母様が不思議なことを言う。
「ありがとう…でございますか?」
「そうよ。レジーナちゃんもちょっとはエドガーのこといいなって思ってくれてるんでしょう?」
いいな……?
「だけど性格に難有りだもの。中身も好きになって貰えるように鍛えなきゃ!まずはやっぱり優しさよね。それから紳士的振る舞い、あとは誠実さでしょ、それからそれから……」
す……好き……好き!?
好き………
「レジーナちゃんの回りは素敵な男性ばかりだものね。お嫁に来てもらってこんな事言うのもアレだけど、やっぱり初恋とかって………」
「お……大奥様!シーッでございます!!レジーナ様には時期尚早!!ようやく案山子から人形に進化したばかりで……」
「ええ?」
お義母様とメルの掛け合いが頭の中を巡る。
初恋……?
恋……恋………恋!!
ようやく理解した。
領地での暮らしは新鮮で楽しくて、今までの私なら毎日毎日大量に日記を書いていたはずなのに、最近は何を書いても嘘のような気がしていた。
あの夢のような夜や、お別れした朝を思い出すたびに、胸に宿るもどかしさ。
記憶の中の旦那様は鮮やかに蘇るのに、思い出すたびに寂しくてたまらなかった。
「レ、レジーナちゃん!?」
「レジーナ様っ!?」
お義母様とメルがなぜか滲んで見える。
「………わたくし、旦那様に…会いたいですわ」
言ってしまってから後悔した。
自分の望みを軽々しく口にするなんて、決してやってはいけないことなのに……。
今年の狩猟祭の優勝は、自警団の団員さんだった。
彼に花冠を贈られた若い女性の朱色の頬を見て、なぜかまた少しだけ瞼が熱くなった。
「アクロイド補佐官、悪いが経理官を助けてやってくれ」
「……承知しました」
上司…つまり狸か狐の呼びかけに、また来たかという感想しか無い。
参謀本部に異動してひと月。仕事が楽しいかと聞かれると、正直微妙である。
好き勝手に振る舞えた師団長としての立場から一転、まあ言うなれば新人に逆戻りという状況。
個室も無ければ煩い副官もおらず、毎日毎日他部署の調整に駆り出される日々。
今だって若い経理官がビクビクしながら王宮の財務省に赴くのに付き合わされている。
「も、申し訳ありません、アクロイド少将。…軍からの予算申請はだいたい一筋縄では通らないのですが、今回はご難所がしつこくて……」
「いや、構わない」
とは言ったものの、私が付き添った所で解決するとも思えないが。そういう仕事は煩い男に任せ切りだった。
私の仕事はヒョロヒョロしたインテリの後ろで真顔でつっ立っているだけ……
「ああ、親友。ようやく来てくれたんだ?六度も予算申請突き返した甲斐があったよ」
…は?
扉を開けた先に見えた顔に一瞬思考が途切れる。
「…アクロイド少将、財務省のご難所……ウィンストン財務大臣補佐官です……」
クリストファー……大臣補佐官……
「…ボソ…とりあえず通常通りやれ」
「ええっ!?闘ってくれるんじゃないんですか!?」
「闘うわけないだろう。口喧嘩で勝てる相手じゃない」
「何のために参謀補佐官について来てもらったと思ってるんです!?」
「相手が悪い」
入り口で事務官とボソボソやり合っていると、ニコニコ顔のクリストファーが、柔らかいくせに有無を言わせない口調で言い放つ。
「経理官、君はもういいよ。さあ少将入っておいで」
「「…………はい」」
簡易応接でクリストファーに向き合えば、夜会で会った時よりも数段得体が知れない感じがする。
「…まあ私としては軍部の事情も分からない訳では無いけどね。軍事作戦を詳らかにするのは難しいだろうから」
「はあ…」
「でも申請理由を知っているのが君たちだけなのだから、理由は付記出来ないまでも、一言あって然るべきだろう?」
「ええ…」
「だから一言よろしく。それで申請は受理するよ」
相変わらず全てを見透かしているような目をするクリストファー・ウィンストン。
レジーナと似たような顔をしているのに、こちらが抱くイメージは真逆だ。
いや、思考が読めないのは同じか。
「…ウィンストン大臣補佐官」
「ブッブー」
は?
「ウィンストン…侯爵」
確か彼は儀礼称号を名乗っていたはず……
「違うなぁ」
…はぁ?
「クリストファー殿」
「近づいて来たね!」
「クリストファー義兄上」
「もう少しもう少し」
「………失礼する」
立ち上がり一礼する。
「待って待って、クリストファーだろ?私たち親友じゃないか」
「ご質問を頂ければ趣意書をお届けします。それでは…」
踵を返すと、背中を溜息が追いかけて来る。
「…つれないなぁ。分かったよ。今回の申請の骨子は対北国だね?」
クリストファーの言葉に思わず振り向く。
「当たったかい?…やはりね」
「……なぜお分かりに…」
クリストファーがニコリと微笑んで口を開いた。
「今夜飲みに行かない?」
ふむ…かなり嫌だ。
「へえ!それじゃあ少将ともあろう人が立って話聞いてるの?すごい所だね、参謀本部」
「まぁ…新人ですから。それにあまり頭がいい方とは言えないので、記録が出来ない以上手元を見て見て覚えるしか無いのです」
嫌だと思っても断れる相手では無い。仕事相手としても、義兄としても。
だから嫌々だが、指定されたいかにも高そうな店の酒の席に着き、機密ばかりで話せる事などほとんど存在しない会話の引き出しから無理矢理話題を引っ張り出している。
「そうか。…いいね、軍は」
「え?」
今の会話に軍の良さなど出ていただろうか。
「……君は今少将だ。だけど過去には中佐だった時もあり、未来では大将かもしれない。…階級が変わる……私たち貴族には殆どあり得ない事だと思わないか?」
「……ええ、確かにそうかも……しれません」
グラスを傾けるクリストファーの言わんとする事が今一つ理解できない。
「……我が国の硬直した序列から唯一外れた存在が君たちだ。君たち軍人は、この国で唯一、王家の所有物ではない」
「……え?」
「まあ飲んで飲んで!今夜は先日の御礼なんだから。あ、綺麗な花が必要だったかな?」
……この男は突然何を言うのだ。義弟に女をあてがってどうする…!
「…ふふ、冗談だよ。少将がどれだけ女性に苦労したかは知っている。まぁ仕方ないよね。男の私から見ても君は美しいから」
うっ…うつく……?気色悪い……!!
背筋にブワッと粟が立つ。
「私も今夜は自制しよう。これは私の持論なんだけどね、男には鋼の理性をもって乗り切らなければならない時がある」
「鋼の…理性ですか」
ようやく興味が湧く話題が出たな。一体どのような場面で…
「それは妻が身重の時。つまり今」
「……………は?」
「それから……正妻との間に子が無い時だ」
「………………。」
聞いて損した。
「今聞いて損したと思っただろう?だけどこれは真理だよ。…絶対に面倒な事になる。それこそ未来永劫何十年も遺恨を残す」
まるでどこかで見て来たような口振りだな。そう頭に浮かんだ次の瞬間だった。
「そして面倒な結果として、君がレジーナと結婚する羽目になった」
「…は?」
何を言って……
「君にとってレジーナはまだまだ子どもだろう?きっと女性として愛する対象にはならないと思う。それでもいい。事が済むまでレジーナを側に置いてやって欲しい」
穏やかに言い切るクリストファーの言葉が上手く頭に入って来ない。
「事が…済むまで……ですか?」
クリストファーが柔らかく微笑む。
「そう。君は何も気に病む必要は無い。どれだけ不名誉を被ろうと、レジーナは貴族にとっては非常に価値の高い女性だ。…次の嫁ぎ先などいくらでも見つかる」
「ーーー!」
心臓がドクドクと脈打つ。
なのに顔から血の気が引くのを感じる。
指先にも強烈な冷えを感じるが、全身の血は沸騰しそうだった。
「…出世以外には何が必要だ」
ポロッと出て来たのはそんな言葉。そして自分でも驚くほど低い声。
クリストファーの瞳がまん丸に見開かれ…そして大笑いが響いた。
「あっはっはっは!そう!その目!!その目があれば大丈夫!」
「…ぁあ?」
「いいね!やっぱり友人になろうよ。私たち同い年じゃないか」
…そうだったのか。知らなかった。
知った後でも絶対に友人にはなりたくない。
『11月4日 快晴
自分の気持ちを自覚したからには、日記ぐらい正直に書くわ。ギュッとしたいわ!旦那様をギュッとしたい!ギュッとしてスリスリしたいわ!この日記を見つけた人はそっと閉じて燃やして頂戴!』




