10月4日
「お義父様とお義母様へのお土産はこれでいいかしら?」
「メイド長からの引継ぎによると、前伯爵は『名勝百選』の最新号をご所望で、前伯爵夫人はピエルカルダの秋の新作ルージュを毎年楽しみにされているとのこと。あとはそうですねぇ……」
社交シーズンの終わりとともに、王都の貴族が続々と領地へと向かうこの時期。
私も初めての領地入りを前に一仕事している最中である。
「それにしても旦那様は前回領地に帰られたのは5年も前なのですって。お忙しくてらっしゃるのねぇ…」
「自宅に帰るのもやっとといった方ですから、致し方無いと思います。今年も相当無理をなさったのだと思いますよ?」
「…そうね」
私もそうだと思ったからこそ、旦那様に一人で領地入りする事を申し出た。
さすがに嫁いで最初の年に当主夫人が領地に顔を出さないなど許されない。
…少し前までなら、居てもいなくてもいい駄目な妻を体現できる機会だと大喜びしたと思うけれど。
「……旦那様は私を大切にして下さってるわよね」
「……………はい」
「…含むわねぇ?」
「最初が最初ですから。…ですがあれもまた不器用さ故だと今では理解しております」
不器用……
「あら?旦那様すごく器用でいらっしゃるわよ?この間など私の髪をそれは見事に纏めて下さったもの。細長い…何かしら、ええと、そうそうアンキとかいうものでクルクル〜っと……」
あ…しまったわ。髪結いはメルの魂だったのに……
「はあっっ!?あんのピー×××は何考えてんですか!?よりにもよってそんな危険なものでレジーナ様の髪を纏めた!?はあっ!?前言撤回!!危険すぎます!不器用改めピピピー××ピーです!!」
……ものすごく悪い言葉を使ったのでしょうけど、本気で聞き取れなかったわ。
メルはどこで新しい言葉を仕入れて来るのかしら。
「まあまあメル、お買い物も一段落した事だし、若い御令嬢に人気だというカフェに行ってみましょうよ!わたくし反省したの。お茶会も夜会もつまらないでしょう?行かなくていいならそれに越した事は無いと思っていたのだけど、さすがに話題についていけなくて焦ったもの」
……本当は昔から苦手だったのよね、お茶会。どこそこのドレスがどうのこうの、新作のジュエリーがどうのこうの。でも女性の噂話は時代の最先端だと気づいたのは、旦那様と一緒に通りを歩いたからだわ。
「ウプッ……レ、レジーナ様、この〝フワフワミルクケーキのチョコソースがけ〟は私には甘すぎます…」
「ええ?メルったら大袈裟ねぇ………」
なかなかの盛況振りの話題のカフェ。
メルの強引さで窓側の一番いい席を陣取った私たちは、もちろん一番人気だというケーキを注文した。
…カチャリ。
「……レジーナ様もフォークを置かれたでは無いですか」
「ほほほ!何かしら?最近バートの素朴な味に舌が馴染んでしまったのね!ほほほ!」
……これは盲点だったわ。ナダメールのお菓子の試食をし過ぎたのかしら。とてもじゃないけれど甘さなど通り越して苦……ええっ!?このぐらい苦くないと世間では受け入れられないの!?
バートと今後の経営方針について話し合わなきゃ…とお茶を喉に流し込みながら大きな窓から外を見た時だった。
あら…?
通りを行き交う人々の中に、見覚えのある豪華な巻き毛の女性がいる。
「メル…?あちらにいらっしゃるのって……」
いつまでも渋面が解けないメルが、私の視線の先を追う。
「…イゴール夫人……」
ああやっぱりそうね。日傘で半分隠れているけど間違いなかったわ……
「……と、例の歌劇団の男ですね」
「えっ!?」
メルの言葉に再びイゴール夫人を凝視する。
「本当だわ…!メルったら目がいいのねえ!」
「………レジーナ様の目の作りが特殊なのです」
だって今日も女性の姿じゃないもの。
それにしてもイゴール夫人も歌劇団に〝推し〟がいらっしゃったのね。世間は狭いというけれど……などと呑気な感想を抱いたのは、どうやら私だけだったらしい。
「…レジーナ様、旦那様に急ぎご報告差し上げましょう」
「え?どうして?」
「……探偵団の出番かと思われます」
探偵団?旦那様も一緒に?…えっ、面白そう!!旦那様にはどんな役を演じていただこうかしら!
私の頭の作りでは、これ以上の感想は出て来なかった。
カツ…カツ…カツ…ザッザッザッザッ…
王宮西の宮の最上階からの帰り道、私とゲイルは静かに並んで歩いていた。
お互いに言いたいことはあるのだが、とりあえずあと20メートルは耐え…
「お先に悪いな!ガハハ!」
耐えきれなかったゲイルがいかにも嬉しそうな声を出す。
「…順当だろう?今回昇格するならお前以外にいない。あー…おめでとうございます、フレッカー中将」
「ガッハッハッハ!苦しゅうない、苦しゅうないぞ、アクロイド君!ガッハッハッハ!」
肩を組むな、うっとうしい……。
だがこれには何の文句も無い。ひたすらめでたい昇格だ。
ゲイルはこの度も東部を守り切った。高いとは言い切れなかった部下の士気を鼓舞して、東国と正面からぶつかり合ったのはゲイル率いる第二師団だ。
「…よかったのか?中央に呼ばれたんだろう?」
そう声をかければ、ゲイルが肩を竦める。
「いいも何も俺には向かん。お前以上に書類仕事は好きじゃないし、お前よりちょーっと口も悪いからな。…俺は師団長のままでいい」
「…そうか」
ほとんどの先達は、中将昇格をもって現場を離れて行ったように思う。もちろんいざ開戦となれば司令官として指揮を執るのだが。
階下に続く階段の踊り場に差し掛かった頃、ゲイルが静かに呟いた。
「…お前は行くんだなぁ…アッチの世界に」
「あっち?」
「政治の世界だよ」
…政治………。
「ま、行かざるを得ないな、お前の場合。王子様とケンカするにはそれしか無い!」
「喧嘩?私がいつ誰と喧嘩などした。究極の平和主義者なんだからな」
ギロッとゲイルを睨めば大笑いが返って来る。
「へ、平和主義ぃ!?ぎゃっはっはっは!そりゃまた導火線の短い平和主義者だなぁ!!あー笑える!」
…実際のところ笑い話では無いのだがな。
あの舞踏会でのやり取りは軍の幹部もバッチリ目撃していたらしく、翌日出勤して直ぐ幹部会に召喚された。
何らかの叱責を受けると思いきや、全員が真顔で親指を立てていた。…無言で。意味不明すぎて怖い。
「ま、頑張れよ。現場離れるとみーんな太るからな。ダルマのお前を打ちのめしてもつまらん」
「馬鹿も休み休み言え。節制こそ私のポリシーだ」
「そーかよ。あ」
別棟の各師団長に与えられたフロアまで辿り着いた時、ゲイルが何かを思い出したらしい。
「お前の後任だけどな、アンディに安心しろって伝えとけ」
「………ああ」
「俺が育てた、俺の右腕だった男だ。本当なら第二師団長に就けてやるべきなんだが、それは無理だしな!」
…後進に道を譲るという考えは無いんだな。
「……貧乏男爵家の次男、つまり、ほぼ農作業して育った。根性ある。…ぶっちゃけると俺より頭いい」
「それは大抵の士官がそうだ」
……私も似たようなものだが。
「第二師団の副官出身、ありがたい話だ。うちの副官はああ見えて典型的なボンボンだからな。根性は無い。あと途轍もなく騒がしいが、まぁ…字は綺麗だ」
そう言えばゲイルがニヤッと笑う。
「ほんじゃ、そっちの引継ぎは一週間後って伝えとく。嫁さんによろしく!」
「それは断る」
「はは……なぜだ!?」
叫び声を上げるゲイルの背を見送り、執務室の扉を開く。
…とうとうここを出るんだな。
色々な思い出が…二、三個しか出て来なかったが、少なくは無い荷物を箱に詰め始めた。
柄にも無く少ししんみりした気持ちで過ごしたこの日の終わり、よもや邸に帰って〝ドクター・アクロ〟とかいうマッドサイエンティストを演じさせられるとは思わなかった。
『10月4日 晴れ
今日の探偵団に私の出番は無かったわ。メロ君とドクター・アクロがずっと何事かを真剣に話し合ってたの。大人しくしてたのに最後は二人にすごく叱られたのよ?私が何をしたというのかしら。二人の話だとどうやら私の目はあまり良くないみたいなの。眼鏡をあつらえた方がいいのかしらね?』




