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9月30日

「…で?どうだったよ、公爵家の夜会は」

「ああ…悪く無かった」

「わるくなかった……?何だそのつまんねー感想は!」


 ああ…煩い。すごく煩い。果てしなく煩い。

 問い、なぜアンディはいつも騒がしいのか。

 答え、暇なのだ。


「よし、決めた。少し早い気もするが引継ぎを始める。アンディ、そこに座れ」

 執務室に設置されている簡易応接を指差し、アンディを促す。

「…引継ぎ………?」

 間抜けな顔をする男になおも続ける。

「ああ、引継ぎだ。近々配置替えが発令される。…異動だ」

 

 邸に公爵夫人がやって来た日、私は結局間に合う時間に帰る事が出来なかった。天秤にかけたつもりは無いが、軍に所属する以上トップである元帥の呼び出しを断れる訳もない。

 戦場では別として、他国に比べて日常の我が軍の上下関係は緩いのだが、元帥だけは別である。


「異動って…どういう事だよ。エドガー…どっか行くのか?」

 だから応接に行けというのになぜ私の机に寄って来る。

「………まだ内々での話だから誰にも言うなよ?」

「言わないけど…ってそうじゃねえよ!何でお前が異動するんだって聞いてんだよ!!第一師団はお前が育てたようなもんじゃねえか!お飾りの師団長が仕事しない時代もお前が必死に…!」

 …そうだったか?やりたい放題やらせてくれるいい師団長だった気がするが。

「アンディ、元帥からの命令なのだ。断れない。…というかお前の未来の義父のせいでこうなった。恨むなら義父上(ちちうえ)を恨め」

「伯父上……おっけ、諦めた。んで?次どこ行くわけ?」

 ……切替早いな。そんなに怖いのか……?

「次…か。………最悪の部署だ。私にとって」



 アンディの間抜けな茶色い瞳を見ながら、顔立ちだけは血の繋がりを感じさせる元帥との会話を思い出す。


『アクロイド少将、そろそろ一師団だけではなく、複数団を動かす時期ではないか?』

『…おっしゃる意味が分かりかねます。私は第一師団を任されてまだ二年です。満足に仕事ができているとは思いません』

『まだ二年…か。それは師団長としてだな。実際に指揮を取って何年だ。私の記憶ではそろそろ七年になるが』

『それは……』

『あの解放戦以来、南はほぼ平定したと言える。少将が尽く〝芽を摘む〟からな。……中央へ来い、アクロイド。その読みの強さを活かす場はここにある』



「…参謀本部だろ?どうせ」

「!!」

「やっぱり」

 アンディの言葉に正直に驚く。

「なぜ…」

「なぜって……はぁ。お前以外はみーんないつかそうなると思ってたよ。だいたいお前春からこっち、ほとんど南に戻されなかっただろ?言っとくけど軍にハネムーン期間なんか無いからな」

「……………。」

「…お前はなぁ、天然にも程がある」

 てんねん……

「自分の事が分かって無いって言ってんだよ。お前の中のエドガー・アクロイドはいつまで経っても剣術馬鹿の脳足りんなんだろうけど、いい加減認識を改めろ」

「あ、改めろと言われても、それ以外に何がある。頭を使うより剣を振る方が明らかに得意だ」

 …異動させられるなら前線に戻りたかったぐらいだ。

「それ以外に何かあるから今がある。…お前はテレンスの呪縛からいつ解放されるんだよ?…本当なら士官学校の卒業の時には気づいてなきゃいけなかったんだ」

「…は?それは…どういう」


 アンディが青筋を立てて微笑む。

「だからお前は天然だっつってんだよ!引継ぎ上等!さあ書類持って来い!!」

「あ、ああ」

「式典まで五時間!待っててね、レジーナちゃん!今日は僕と踊ろうね!」

「…ちょっと待て。聞き捨てならん」

「こーんな剣術馬鹿より僕の方が色々上手だよ!」

「……………。」

 とりあえず空中に向かって誰かに手を振るアンディには、厚さ15センチの書類束で鉄槌を下した。






「…今さらですけれど、どうして私がクリストファー兄様と一緒に舞踏会に行くのです?」

 今日はシーズン最後の夜会…つまり王宮での舞踏会の日。

 城へと向かう馬車の中で、相変わらずニコニコと何を考えているのか分からない兄様を問い質す。

 そもそもは欠席する予定だった。

 旦那様とダンスという組み合わせはどう想像力を働かせてもしっくり来ないし、それを本人に伝える必要もなく旦那様は普通に仕事を入れていた。


「どうしてって…その1、ローゼリアは身重だから夜会には出られない。その2、私は王宮からの招待を断れない。その3、舞踏会には一人で出られない。その4………」

「け、けっこうです。十分に理解いたしました」

 そうだった、そうだったわ…。兄様はこういう人だった。絶対に声を荒げたりしないけれど、理詰めで延々と精神攻撃をしてくる人だった…。

「おや?その4が一番重要なのに。先日東部の正式な停戦が決まったから、今夜は陛下が功労者を労うパフォーマンスがあるわけだ」

「パフォーマンスって兄様……」

 ……不敬なのでは無いかしら。

「功労者……それはもちろん私の親友であり、可愛い義弟でもあるアクロイド少将も含まれる」

 親友?え、兄様いつの間に旦那様と親友に?

「レジーナは夜会に行かなければならない。しかし一人で王宮へ行くなど言語道断!…そこで兄様だ」


 ニコッではありませんわよ。

「ですから分からないと申しております。式典が終われば旦那様も自由なのでしょう?一人ではございま……」

「駄目だ」

 笑みの無い兄様の顔にビクッとする。

「レジーナ、王宮は魔窟だよ?…可愛いレジーナが魔物に囚われてしまったら、兄様は最新の攻城兵器を用意しなければならないだろう?いい子だから兄様の側を離れないでね?」

「は、は、はい!」

 笑顔に戻った兄様も、それはそれは怖かった。

 


 舞踏会の前座として行われた勲章授与の式典の間中、私の目は旦那様に釘付けだった。

 タキシード姿だったから旦那様があんなに素敵に見えたのだと思っていた。でもそうじゃない。壇上にいる誰よりも輝いているし、何度も見たはずの軍服姿の方がキラキラが百倍ぐらい多く出ている。

「あれまぁ、ぽーっとしちゃって」

 隣で一緒に式典を見ている兄様のからかう声も、虫の羽音にしか聞こえない。

 旦那様って……もしかしてものすごく麗しいのでは……?


 私に浮かんだ衝撃的発見は、しばらく後に確信に変わる。

「キャー!!流星さまー!!こちらをご覧になってー!」

「ああ!今日も何て麗しいの…!!」

「アクロイド伯爵!私と踊って下さいませ!!」「いえ私と!」「私が先ですわ!!」「ちょっとあなた割り込まないで!!」

 王宮の大広間で繰り広げられる旦那様の争奪戦…。

 あまりの光景に瞬きも忘れていたらしい。

「レジーナ、鳩みたいな顔になってるよ?それでも可愛いけど。まぁしばらくはあの状態が続くから…レジーナ、私と踊ろう」

 しばらく…あの状態?

 ここに来てようやく兄様が言った『一人で王宮へ行く』の意味が分かったのだった。


 デビューに続いて二度目のダンスも兄が相手だったという微妙な舞踏会。

 ダンスを終えれば口煩いお母様が仁王立ちしていた。

「レジーナ!だからあれほど仲睦まじい姿を世間に見せろと言ったでしょう!」

「まあまあアラベラ、エドガー君の身綺麗さは散々調べただろう?何も心配することはないよ」

「そうですよ、母上。偏屈なまでに潔癖で逆に心配だとおっしゃっていたではありませんか」

「あなた、クリストファー…。そうは言ってもレジーナは年頃の娘らしいそのあたりの経験が……あら?レジーナ?レジーナ!?」


 

 途絶える事無く沢山の女性に囲まれる旦那様をしばらく眺めながら、私の心には今まで感じたことの無いさざなみが立っていた。

 わたくし…勘違いしておりましたのね。

 旦那様は誰から見てもキラキラと輝く素敵な男性だったのだわ。相手にされなくて当然だったのよ。わたくし…どう考えても子どもだわ。

 一瞬だけまともな事を考えてみても、視線は既に目の前のケーキに釘付けである。

 まあ…!今年の流行はやっぱりオレンジなのね。さすがバート……などと思った時だった。


「…レジーナ?」

 聞き覚えのある声が背中にかかる。

 ふと振り向いた瞬間だった。

「ああ…やはりレジーナだ。会いたかった…!」

 声を出す間もなくすっぽりと私を包むこの方は……

「…王太子殿下?」

 包まれた胸の隙間から見上げれば、幼い頃に一緒に王宮を走り回った殿下の顔が見える。

「レジーナ、どうして王宮に顔を出してくれないんだ。会える日をどれほど待ったと思っている」

 ええ?だって殿下とっくの前に成人されて、ご結婚もなさったでしょう?

 成人したら男女は一緒に遊ばないものだと父様も母様も…。


 私を包んだまま、殿下が頭の上で何かを話している。

 きっと何か大切な事を言っている。だけど真っ白な頭には何も入って来ない。

 …というかこの状況は頂けない。

「…殿下、いけませんわ。そろそろ離し「妻を返して頂こう」

 パッと開けた視界には、今までに見た事が無いような冷たい目をした旦那様が、殿下の腕を掴んでいた。

「…アクロイド伯爵、不敬であろう。腕を離せ」

「………それは失礼した。不敬にあたるような人物が他人の妻に狼藉を働くとは思いもせず」

「ろ…ろうぜ」

「行こう、レジーナ」

「は、はい」

 冷たい顔のままの旦那様に肩を抱かれ、騒めく大広間を出口へと向かう。


「旦那様、申し訳ございません!わたくしの不注意で……!」

 きっと私は青褪めている。王族の腕を掴む事の意味が分からないような教育は受けていない。

 けれど旦那様は柔らかくふっと微笑んだ。

「心配いらない。連れ戻して来いと言ったのは君の父上と母上だ。…あと兄上ズ」

「あにうえず」

「貴族世界の作法に厳しい君のご家族の進言だ。何も問題無い」

 広間を横切りながら、視界の端に父様と母様を映す。

 二人はまるで何も無かったかのように大勢の貴族の中心にいる。

 そして出口の扉をくぐった時、クリストファー兄様が真顔で立っていた。

「…少将、助かった。この礼は必ずする」

 兄様が旦那様に頭を下げる。あの、兄様が。

「いえ、私も早くレジーナの元に行きたかったので、呼びに来て頂き助かりました。…連れて帰っても?」

「ああ、当然だ」

「義兄上の許可も下りた事だし…帰ろう、レジーナ」

 

 繰り広げられた一連の会話の意味は分からなかった。

 けれど何か大きな事から旦那様が守ってくれたことだけは確かだった。





『9月30日 にわか雨

 帰りの馬車の中で、旦那様から今日貰われた勲章を見せて頂いたの。裏面に刻まれた謎の略語の読み方を教えて下さったわ。覚え方は根性では無かったみたいね。そうそう、旦那様の顔を見ていたら、なぜかホッとするような、胸がギュッとするような、不思議な現象が起きたのよ。メルに聞いたら「ハッとしてグーじゃないなら大丈夫です」ですって。……これは本気でどういう意味?』

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