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9月25日 後編

「…お母様?」

「…なんです」

「お母様は旦那様がお好きなの?」

「……………。」

 凍えるような空気感にもめげす、とりあえず直球で聞いてみる。

「…ええ」

 信じられない事に、あのお母様が素直に心情を吐露…

「………最推しなのです」

 え?サイオシ?

「分かっています。年甲斐もなくはしゃぐ事がいかに愚かな事なのか…。ですがあの日アーネストを一瞬で斬り伏せた銀色の星屑が目に焼き付いて……」

 え、兄様かわいそう。

「それだけです」

「え?」

「私は紛う事なき流星派。…メイベルの報告ではあなたは烈火派だとか……」

 レッカハー?


「それよりレジーナ、伯爵と二人で皆に挨拶なさい。世間に知らしめるのです。あなたたちが固く結ばれた夫婦である事を」

「お母様……ってお待ちになって。ここから大事な話をなさるのでしょう?私と旦那様がどうして結婚する事になったのかとか、どうして旦那様でなければならなかったのかとか、そういう大事な話を…!」

 

 お母様の無表情な顔が少し…も崩れない。

「今さら何を言っているのです。あなたの嫁ぎ先は軍人以外に有り得なかった」

「え?」

「相手を選定する際に、〝未婚で婚約者も無い適齢期の男性〟という条件に合致した人物は11人。公爵令嬢として育ったあなたの生活を支えうる事の出来た人物は一人だけだった」

「…そ…それが……理由ですの?お母様が旦那様を気に入られたのでは?」

 お母様が溜息を吐く。

「…わたくしが公爵家の縁組に私情を挟む訳が無いでしょう。あなたのお父様が婚約者の選定を終えた報告書を持って来られた時には、何という偶然かと驚きました」

 私は軍人の方と結婚しなければならなかった。

 でも偶然…。旦那様との結婚は偶然……。

 

「レジーナ、あなたはこの国の筆頭公爵家に生まれた娘。血筋だけでいうならば、現状あなたより身分の高い女性はこの国にはいないのです。…あなたに降りかかる全ての事には意味がある。分かったなら伯爵と挨拶回りをなさい」

 アーネスト兄様にそっくりなお母様の無表情な顔を見て、私はしっかり頷いた。

 …最後の一言に全てが詰まっている。

 お母様はやっぱり何かを私に伝えたかった。だからこそ今夜ここに私を呼んだ。

 過去、私に何かが降りかかった。もしくは未来で私に何かが降りかかる。

 だけどきっと旦那様……いえ、エドガー・アクロイド少将ならばそれを回避できる、そういう事なのだろう。


 

 慣れ親しんだ実家の大ホール。

 沢山の人々が笑い合うこの場所で、私は笑顔の仮面を貼り付ける。

 ホール中央を突っ切る私を、皆がハッと振り返る。

 私はこの家の姫だった。…この国唯一の姫だった。

 ウィンストン公爵家はただの貴族ではない。今もなお王位継承権を持つ、旧王族だ。

 分かっていたのになぜだかとても泣きたい気持ちだった。

 …お母様がただ単に、旦那様に憧れて私を嫁がせてくれたのならよかったのに。

 お父様がご友人の息子を気に入って私を嫁がせてくれたのならよかったのに。

 


「…旦那様、兄様たちに虐められてはいませんか?」

 どこにいたって見つけられるキラキラした背中に声を掛ける。

「レジーナ、公爵夫人は大丈夫なのか?」

 振り向いた旦那様の綺麗な瞳に微笑みかける。

「ええ。耳にタコですわ。それよりわたくしに付き合って下さいな。素敵な旦那様を皆さんに自慢させて下さいませ」

「ほう…?レジーナは少将にすっかり懐いたんだねぇ?」

 横からニュッと顔を出したクリストファー兄様が私を茶化す。

「ええ。旦那様はすごく優しいですもの」

 旦那様の腕にしがみ付き、クリストファー兄様をあしらう。

「優しい……へぇ。でもアーネスト兄様の方がカッコいいだろ?」

「…兄様、鏡ご覧になったことございますの?旦那様の方がかっこいいです。…行きましょう?」

「あ、ああ…」

「「行ってらっしゃい」」

 二人の兄に謎の笑顔で見送られ、ホールの中を歩き出す。

 

 …ごめんなさい、旦那様。

 本当にごめんなさい。

 私たちの結婚は、政略結婚などという生温いものではなかったのです。

 そう、これは高度な政治判断。

 私は……あなたの妻をやめられません。






 目が合う全ての人間に微笑みながら挨拶をし、そして私を紹介するレジーナ。

 それについて何かを言うつもりは無いし、それが社交であり、夜会だということも理解している。

 だが…まるで何かが壊れたかのように完璧な貴族の姿を見せるレジーナに戸惑いが浮かぶ。

「…本当に素敵なご夫婦ですこと。今度我が家にお誘いしてもよろしいかしら」

「まぁ、光栄ですわ。ですが主人は多忙でして、今日は我儘を言って特別に付き合ってもらっておりますの。わたくしで宜しければ是非伺わせて頂きますわ」

「あら残念。それではお茶会にいらして。そう言えばお聞きになりまして?」

 ………慣れる気がしない。


 

 先ほどのクリストファーとアーネストとの会話で、レジーナの二人の兄が妹を溺愛している事はよく分かった。

 レジーナには国内外合わせて数百の縁談の申込みがあったらしい。それはそうだろう。筆頭公爵家と繋がりたい家は掃いて捨てるほどあるはずだ。

 だが公爵家が最終的に下した決断は〝アクロイド伯爵家出身の国軍大佐〟だった。

 こういう時に頭が良く生まれたかったと思う。

 私が持つ全ての肩書のどれをもってしても、ウィンストン公爵令嬢のレジーナ・ウィンストンに必要とされる部分が思いつかない。

「旦那様…疲れさせてしまったのでしょう?わたくしのとっておきの場所をご案内しますわ」

 そう言って私にも完璧な微笑みを向けるレジーナ。

 君の生きる世界がそういうものだとは理解している。でも私は……その笑顔が好きではない。



 レジーナが連れて来てくれたのは、公爵邸の裏庭にある東屋だった。小さなテーブルと二脚の椅子だけがある、ひっそりとした場所。

「…辛いことや悲しいことがあるとよくここに来ましたの。本邸から死角になっておりますでしょ?誰にも見つからずに…」

 そこで言葉を止めたレジーナが夜空に浮かぶ月を眺める。

「…ここで泣いていたのか?」

 そう言葉を繋げれば、レジーナがハッとした顔を向ける。

「…お分かりになりますの?」

「……何となく」

 本人は無意識なのだろうが、微笑みながら泣きそうな顔をしている。

「…わたくしが泣くと、大勢の人間に迷惑がかかるのですわ。わたくし…出来の良い方では無くて、使用人も家庭教師も何人も辞めさせられて……」


 私のカフスと揃いのイヤリングが月明かりを反射する。

「今は何を気にしてそんな顔をしているのだ。誰に迷惑がかかった」

 レジーナが大きな瞳を見開く。そして閉じることのないまま、明るい緑色の瞳から一筋の涙が流れた。


「…公爵夫人に何か言われたのか?」

 レジーナが首を横に振る。

「……私の態度が悪かっただろうか」

「違います!夜会はお好きでは無いのでしょう?こうして来て頂いただけで充分です…」

 俯いてしまったレジーナの側に跪く。

「君は私の妻だろう?そして私は君の夫だ。…好きとか嫌いとか、そういう世界の話ではないはずだ。話してもらえないか?私は人の心に疎いのだ。しかし…君の心には聡くありたいと……何というか……」

 ……何と言えば良いのか……本当に頭が良くなりたい。


「…わたくし、旦那様に嘘をつきました」

「嘘…?」

 こくこく頷くレジーナの瞳からは、もはや涙が止まる様子が無かった。

「旦那様が…望まれないのなら、この…結婚を無かった事にすると……あなた様を解放すると…約束しました。でも、でも……」

 ……そう言えばそういう話だったな。初めて会話を交わした食卓で、レジーナがそんな事を言っていた。

 

 嗚咽で小さく揺れる彼女の肩を見ながら、言葉の意味を反芻する。

 私が望まなければ………

「…あー……それについては……心配無用だ」

「…え?」

「言葉にするのがすごく難しいのだ。……思い当たる言葉が浮かばない。けれど、どうしたいかは分かる」

 涙に濡れたレジーナの頬を指先で拭う。

「…旦那様?」

 そして彼女の体を抱きしめた。


 ピタッと動きが止まったレジーナから早鐘のような心拍音が伝わってくる。

「…レジーナ、おそらく私たちはあまり深く考える事が得意では無い。泣くほど考えても結局解決しないのだろう?」

 左頬のあたりを、レジーナの複雑に結い上げられた髪が数度掠める。

「だったら得意な事をすれば良い。与えられた環境を楽しむのでは無かったか?君がそう言ったから…私は楽しんでいる。君がいる日常を、楽しんでいる」 

 そう、レジーナがいる日々は、楽しい。

 

「だ…旦那様…」

 左の肩口から消え入りそうな声がする。

「ああ…悪い、苦しかったか?」

 腕を緩めようとすると、今度は慌てた声が聞こえる。

「お待ち下さい!」

 ……待てと。

「わた…くしも……腕を回してみてもよろしいでしょうか」

 …来たな、異星人レジーナ。

「…どうぞ、お気に召すまま」

 耳元でそう囁けば、今度は体温が上昇する。

 そろそろと私の背に回る、とても剣など振れそうにない細い腕。

「な…何ということでしょう……!身長との対比から一見細身であると思われた旦那様がこのような逞しい体をなさっていたなんて…!これはマル秘データブックを書き換えねばなりませんわ……!」

「………………。」

 …可愛いのだがな。

 面白くて、楽しくて、間違いなく可愛いのだが、何かこう……残念だ。

 




『9月25日 三日月

 色々あったけれど、実家での夜はいい夜だった。帰り際に旦那様がお母様への挨拶のために手を取ったら、お母様が気絶してしまったの。無表情なはずのアーネスト兄様は爆笑していたし、父様と兄様はにこにこしながら淡々と事後処理をなさっていたわ。そうね、確かに考えるだけ無駄なのかもしれない。全てはなるようにしかかならないのだもの。私はレジーナ・ウィンストンだった。そしてレジーナ・アクロイドになった。実家の家族はみんな変人で、旦那様はとても素敵。今夜私の中に収まった真実はこれだけだわ。』

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