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9月25日 前編

 常々こう思っていた。自分の姿というものは、本来なら自分では知る必要が無いのではないかと。だって鏡が無ければ見えないのだから。

 自分の姿を見るのは他人なのだから、他人がいいと思うようにしてくれれば良いのだと。

 だから…鏡に映る自分の姿を、こんなに食い入るように見た事は無い。



「メ…メル、わたくしどこかおかしく無いかしら」

 今夜は実家であるウィンストン公爵邸での夜会の日。

 先日南部から戻られたばかりの旦那様と、初めて出席する本格的な社交場だ。

「レジーナ様の皮より外側におかしな所などございません!」

「え、どういう意味?」

「そのままの意味…つまり、完璧でございます!完璧!これぞパーフェクト!!アナ、リタ、姿見追加!」

 着替えを手伝ってくれていたアナとリタが、どこかの部屋から姿見をもう一つ運んで来た。

「レジーナ様、どうぞ後ろもご覧下さい。…お美しいです」

「本当に……!アナが子どもの頃持ってた絵本の中のお姫様が偽物だったって分かりました……」

 二人に促されるまま鏡合わせで自分の後ろ姿を見る。

「メル…髪に編み込まれているものって……」

「……銀糸で飾り紐を作ったのです。今日だけは助け舟を出しますけど、後は旦那様次第ですからね!」

 髪束の中に編み込まれた銀色に輝く細い紐……。

「…メル…綺麗にしてくれてありがとう。……ええと、助け舟で誰を助けに行くの?旦那様次第って何のこと?」

「………さ、参りますよ。今日はメルもお供します」

「「行ってらっしゃいませ」」

「ええ?」



 玄関ホールへと続く階段をそろそろと下りる。

 階段下ではキラキラの旦那様がジッと私を待っている……などという事は一切無かった。

 普通に剣を振っていた。しかも目にも止まらぬ速さで。

 ……キラシュシュ星人……ダメダメ、今日は余計な事を考えている場合では無いのよ。…集中、集中!


「旦那様、お待たせして申し訳ございません」

 微笑みながら階段を下りて行くと、先日以来のタキシード姿の旦那様がジッと私を見る。

 …何かしら。

「ふむ……」

 旦那様が、前から横から後ろから私を観察する。

「ど、どうなさいましたの?何かございます?」

「いや、想像したよりも力が無さそうだ」

 ……はい?

「子どもの頃振っていたレイピアが出て来たのだが、軍の装備品に興味がありそうだったので君にどうかと一振り持ち出したのだ。…だがその様子では……」

「ええっ!?もしかしてその細い剣を頂けますの!?わたくしに剣を!?」

 確かに夜会は、淑女同士が微笑みながら斬り合いをする戦場とも言う。

 タタタと旦那様の元に駆け寄り剣を受け取ろうとした瞬間だった。

「助け舟離岸します。とてもじゃないけど手に負えません」

 それはそれは冷たいメルの声が響いた。


 

 剣を没収された私と、腰に隠したナイフを没収された旦那様は、静かに馬車に揺られていた。

 付き添いのメルの目を盗んでコソコソと旦那様に話しかける。

「…剣が無いと落ち着かれませんの?」

「……抜かりは無い」

 そう言ってズボンの裾をチラッと上げる旦那様。

 まあ……素敵!


 さあ行くわよ!闘いの地へ…!






 ……広い…というよりデカい。

 ここを落とすとなると相当苦労するな。

 そんな第一印象のウィンストン公爵邸。

 場所は知っているし、この邸が昔王家の宮の一つだった事も知っている。…父上に聞いた。

 だが足を踏み入れるのは初めてだった。

「旦那様、この邸には沢山の秘密の抜け道がありますの。…コソ…わたくし建築当初の建物図面をこっそり持ったまま嫁いだのです。ですから迷子になっても必ず見つけ出して差し上げますわ!」

 ………初めて来る人間への邸の紹介がそれでいいのだろうか。…いや、返せ。図面を即返却しろ!討ち入りの準備をしていると疑われるだろうが!


 とにかく…ここがレジーナが育った場所……。

 改めて玄関ホールを見上げる。高い天井にはよく分からないが多分価値のある絵が描かれ、正面には両サイドから上階へと上がる階段が伸びている。

 後は人の頭しか見えない。

「レジーナ、最初に公爵夫妻に挨拶させてもらいたい。案内頼めるか?」

 これは当然の事だ。彼らは主催者であり、まあ…義理親でもある。

「……嫌ですわねぇ」

「は?」

「…などと言っている場合ではございませんわね。よろしいですか、旦那様」

 明らかに曇った顔のレジーナが、いつになく真面目な声で言う。

「お母様に何か言われても、笑顔、笑顔ですわよ!そうすればお説教は一時間で済みます!」

 …ながい。そして…無理だ。

「…善処する。ちなみに笑顔では無かった場合は……」

「え?……あら、試してみましょうか」

「………………。」

 これは公爵夫人は説教を途中で諦めて来たとみえる。


 何となく自然に腕を取るようになったレジーナが、器用に大ホールの人波を掻き分けて行く。

 やたらとすれ違う人間の好奇の視線を感じるが、今夜は睨み返している余裕は無い。

 …前方に……間違いなくウィンストン公爵家の一団がいる。


「お父様、お母様、そしてお兄様方、ご機嫌麗しゅうございます。レジーナただ今参りました」

 レジーナが腰を深く落とし最上位の挨拶をするのに倣い、私も胸に手を当て頭を下げる。

「公爵家の皆様に置かれましてはご健勝の事まことに…」

 型通りの口上を述べ始め時だった。

「ア…アクロイド伯爵……!!来てくださいましたのね!お顔を上げてよく見せて下さいな!」

 …は?

「これこれアラベラ、挨拶は最後まで聞きなさい。悪かったね、エドガー君。固苦しい挨拶はけっこうだよ。…妻に顔を見せてやってくれたまえ」

 は?…は?

 訳も分からず顔を上げると、目の前には眉を下げ困ったように微笑むウィンストン公爵。

 右斜め前に柔らかく微笑むクリストファー・ウィンストン、左斜め前には白けた目をするアーネスト。

 そして眼下には……胸を抑えて蹲る公爵夫人……。

「レ、レジーナ、義母上の体調が…!」

 慌てて隣を見れば、目を見開き、口をパクパクさせるレジーナがいた。



「見苦しい所を見せて悪かったね」

「いえ……」

 まだ何もしていないはずなのに公爵夫人に詰め寄られているレジーナを遠目に見ながら、ウィンストン公爵に相槌を打つ。

「…はぁ。御前試合で君を見かけた時からアラベラはあんな風でね。普段必死に抑え込んでいる何かが堰を切ったように『流星殿、流星殿』と……」

「は、はあ……」

 こ…れは……どう反応していいのか分からん!

「三年前の御前試合、素晴らしかった。うちのアーネストを一瞬で斬り伏せたあの剣技!君の父上がいつも自慢していた気持ちがよく分かったよ」

「そ…それは…」

 これも…どう反応していいのか分からんぞ!


「父上、それは無いでしょ。そこは流星とやる羽目になった息子に同情する場面です」

 公爵の後ろからアーネストが現れる。

「何を言う。素晴らしいものは手放しで称賛するものだ。お前ももう少し真面目に鍛練せぬか」

「はいはい。毎日ゴリゴリに精神力を鍛えてますよ。それよりアボット侯爵がお探しです」

「む…。エドガー君、後でまたゆっくり話そう。一旦失礼する」

 待て、もうお腹いっぱいだし、行くなら息子を連れて行け…とは言えず、軽く会釈をして公爵を見送る。


 そしてこうなる。

「よ、義弟(おとうと)、王宮以来だな」

「……………。」

「おかしいな、義兄(あに)が優しく声を掛けてるのに無視するのか?」

「……………。」

「…嘘です。ごめんなさい、許してください。エドガー……先生…先輩…」

「…分かればいい」

 過去この男が部下だった事はない。

 こいつが軍の配属が決まる前の訓練生だった時代に剣術指導をしただけだ。

 生意気だから名前と顔を記憶していたが、レジーナと結婚しなければ二度と話す事も無い相手だった。


「レジーナはあなたを好きになりましたか?」

 無表情のまま突然紡がれる言葉に驚く。

「な……何の話だ」

「王宮で言ったでしょう?出世するかレジーナに惚れられろって。…時間が無いんですよ。何のためにレジーナをあなたに嫁がせたと思ってるんですか」

 何のため……

「アーネスト、その話だが……」

 言いかけたところで、肩口に得体の知れないオーラを感じる。

「……おやぁ?面白そうな話をしているねぇ?二人とも、兄様も仲間に入れておくれ」

 レジーナによく似た面立ちに、明らかに偽物だと分かる微笑みを浮かべて、その人物は現れた。

 公爵家最大の曲者……クリストファー・ウィンストンが。


「アクロイド伯爵、レジーナの相手は大変だろう?」

 クリストファーがにこにこと私に問いかける。

「…彼女の相手を大変だと思った事はありません。大変だと思うほど側にいてやれないのが現実で…彼女には申し訳無いと思っています」

 クリストファーが私にグラスを一つ渡す。

「それはそうだろう。私も妻が身重だというのに、こうして〝仕事〟の最中だ。…君は私より遥かに忙しい」

 この国に起こっている事を全て見透かすかのような淡い緑色の瞳の中に、僅かだが憂いが浮かぶ。

「伯爵、レジーナの相手に君の事を公爵に押したのは、ここにいるアーネストだ。公爵…父は親友の息子である君を公爵家の事情に巻き込む事に難色を示した」

「え……?」

 アーネストが?…関わったのは彼の入隊直後の一か月だけだぞ?

「…だって俺と兄上を一緒に暮らす案山子程度にしか思ってない妹ですからね」

 ……アーネストの言葉の裏側はよく分からないが、表側だけ捉えるならば、私だって生物として認識されているか疑わしいのだが。

「そういう事だ、伯爵…いやアクロイド少将。少将か……いいね、これ。私たち友人になれると思わないか?」

 

 ……思わない。全く。

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